【シリーズエッセイ】カラダにまつわる数字のリアリティー その1「DNAの太さと長さ」
さて、今日から新しいシリーズエッセイを書いてみます。
ネタが続く限り、不定期に続ける予定。。
テーマは「カラダにまつわる数字」です。
カラダ系のことをいろいろやっていると、よく、こんな言葉を聞きますよね。
「カラダの声を聞いてくださいね〜」
まあ、そういうのがとっても大事なのは、もちろん僕も同意します。
(なにしろ、そういうタイトルの本を書いたこともあるぐらいですから。。)
そういうタイトルの本↓
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ただね、、、
「カラダの声」っていう言葉で表されるものは、とてもあいまいで、感覚的なものです。
だから、カラダに関する無意識のイメージ(ボディイメージ)の持ち方次第では、かなり恣意的にゆがんだり、偏ったりしやすいのです。
自分のカラダについて、どんなイメージを持っているか。
感覚的なものを大切にするためにこそ、まずは数字で裏付けられたきちんとしたボディイメージを持つことが、とっても大事だと、僕は思うのです。
で、、実際、細かな数字をいろいろと拾っていってみると、、、僕らが無意識のうちになんとなく抱いているカラダのイメージと、サイエンスが明らかにした現実のカラダの構造や働きは、けっこうずれていることが多いです。
そのあたりを埋められるように、面白く且つリアルに書いていけたらいいな、と思ってます。
そんなわけで、第1回のテーマは「DNAの太さと長さ」です。
続きを読む京都の書道道場で、ヒモトレと書道とギターをやってきた
先週の土曜日、京都に行ってきました。
書道家の武田双鳳さんが、ご自身の道場で開催しているヒモトレ講習会に参加するためです。
指導しているのは、“京のヒモ魔人”との異名を持つ、つじ鍼灸院の辻敦志さん。
武田さんには、先日発売になった『ヒモトレ入門』に記事を載せるために、インタビューさせてもらいました。道場での指導に、ヒモトレや骨ストレッチを取り入れて、大きな成果を上げているそうで。
「骨」と「ヒモ」というのは、まさに僕自身の関心領域ともピッタリ重なっているわけで、インタビューは、それはもう、とても楽しい、大盛り上がりの時間だったのです。
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でも、実際にそれで書道がどんなふうに変わるのかは、まだ自分で体験していなかった。
ならば、せっかくのご縁だし、この講習会で書の体験をさせてもらおう、、と、そんな気持ちでした。
さらにもうひとつ。
一つ前の記事でも書いたように、僕自身は、ヒモによる体の変化を、ギター演奏を通じて強く実感しています。
それを、いろんな人に伝えたいという気持ちもあるのです。
なので、書道の講習会なのに、ギター持参で行きました(笑)
武田さんには「ギター弾きますんでよろしく」と、無茶なお願いをしておいて。。
「体のセンサー」と「ギターの音」、そして「重さを感じる」こと
昨日の記事で、ヒモトレが「体のセンサー機能に働きかける」という話を書きました。
この件に関してFacebookでコメントをいただきまして、そこでのやりとりを通じて、さらに気づいたことがあります。そこで今日は、その話を続けますね。
「ギターを弾く時にヒモを巻くと、体のセンサーが繊細になる」という感覚を、僕は主に、手の指先で感じています。
ギターは、左手で弦を押さえ、右手で弾く楽器(右利きの場合ね)。
わかりやすいのは左手だと思うので、まずそっちの話をしますね。
弦を押さえる時は通常、「弦を押さえる時に指先を立てる」ことが、推奨されます。
こんなふうに、第一関節が指板に対してなるべく垂直になるのが、よいやり方。
指先を寝せるのは、よろしくない。
これはまあ、全くその通りなのですが。。
でも、僕が実際にギターを弾く時には、「指先を立てよう」という意識はあまり持っていません。
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熊野市・花の窟神社に行った
昨日、三重県は熊野市にある花の窟神社に行ってきた。
新幹線と特急を乗り継いで、東京から日帰りの弾丸ツアーだ。
海岸の道路からちょっと脇道に入ったところに、こんな感じで鳥居がある。
脇の説明書きはこんな感じ。読めるかな?
巨岩をご神体とする自然崇拝的な神社、とのこと。
鳥居をくぐってずーっと進むと、奥に、こんな岩が現れる。
ご神体というか、、、れっきとした、岩山だ。
ちょっと見にくいけど、上のように縄が渡してある。これが、年に2回架けかえられる大縄。
岩盤から、結構強烈な氣の圧のようなものを感じる。
人が作った神社とはかなり趣の違う、鮮烈な空間である。
こういう自然そのものの雄大な存在感に接すると、、、人の心はたいてい、謙虚になる。
別にご神体と銘打ったものじゃなくてもいい。海とか、山とか、川とか、日の出とか。そういうものに接すると、人はしばしば「自分の存在がちっぽけであること」や、「自分の命の源がこういった自然の中にあること」を感じて、ありがたや、という気持ちになる。
自分が、「生かされている存在」だと気づく、そんな感じ。
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現代の社会では、私たちは通常、人に迷惑をかけずに自力で生きることが奨励されている。
そして都会の生活システムの中では、ある程度のお金さえあれば、あたかも人に迷惑をかけていないような感覚で生活することができる。
まあ、文明化とは、そういうシステムを作り上げることだったといっても過言ではないだろう。
そんな中で私たちは、「人に頼る」とか「迷惑をかける」ような生き方は、よろしくないという考え方に陥りやすい。
その発想自体がすでに傲慢で、勘違いなのだ。
「パッカーン」ってなったときによく現れる、こころの中の「ラスボス」
いきなり「パッカーン」とか言われてもなんのこっちゃですけど。
これは、心屋さんとこの界隈でよく言われる言葉で、無自覚の思い込みや思考・行動パターンにとらわれて生きてきた人が、「ああ、そういうことだったのか」って悟ったときの、視野がパッカーンって開けるような感じを指す、、らしいです。
たとえば、自分を責めるクセがある人がいたとして。
(はい、僕は元々そのくちです)
で、そんな自分に振り回されたり、傷ついたり、ということを積み重ねてきた、と。
なんでそうなるんだろう? などと自分の心と向き合っていって、、ああこれは自分を責める姿勢をとることで人から責められないように防御線を張ってるんだな、とか、完璧じゃない自分を許せないという立場をとることであたかも本当の自分は完璧であるような妄想に浸りたいのだな、とか、そんなふうに、自分の心の奥底にある、自分が妄想的に作り上げたストーリーに、はたと気付く。
「おわぁっ、そうだったのかぁ〜!!」って感じで、感動とショックが合体したような衝撃を感じたりします。
こころが解放されたような清々しさとか、ひざカックンされたときの脱力感のような感覚もあります。
まあ、そんなこんなを通じて自分を責めるループから抜け出せるならいいんだけど、、、
実際には、「あ、これがパッカーンか!」ってなったことを通じて、むしろ強力なラスボス的落とし穴にはまってしまうパターンもあるんじゃないか、と思うんですね。
続きを読む歌う心理カウンセラー、武道館ライブ
昨日は、武道館でライブを見てきた。
ここに来たのは、ずいぶん久しぶり。かなり前にクラプトンのライブを見にきて以来かな。
今回ここに登場するのは、心屋仁之助さん。
はい、心理カウンセラーです。歌手じゃない。
でも最近はカウンセリングはやってないらしい(笑)。
代わりに、講演会やセミナーで喋ったり、ギターを持って歌ったりしている。あとは本を書いたり、Podcastの番組で喋ったり。
本人曰く、「心がときめくことしかしない」のだそうです。
その集大成としての、武道館ライブだ。
僕は去年ぐらいから、心屋さんのセミナーなどにちょこちょこと参加している。
話が面白いし、自分にとってためになることが多いので、心屋メンタルメソッドのファンになったわけだ。
ただ、正直なところ、歌に関しては「うーん、どうかな・・・」って思っていた。
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「好きなこと」と「得意なこと」の境目
最近、「好き」と「得意」の違いについてよく考えている。
「好きなこと」と「得意なこと」は、現実には、かなり重なり合っているものだろう。
「好きこそものの上手なれ」なんてことわざにもあるように、好きなことは誰だって時を忘れて取り組むので、結果的に上手、つまり「得意」になる、というわけだ。
でも、、それは結果として重なるという意味であり、両者は本来、全く別物だ。
「好き」っていうのは、自発的に湧き出る性質。対象はなんでもいいんだけど、無条件に、ひたすらその対象のことを好ましく感じて、ずっとそばにいたいとか、その行為を続けていたいとか、そんなふうに感じる。どこまでも主観的なステイトメントだ。
理屈の上では、「へただけど好き」というのもあり得る。
これに対して「得意」では、「うまくやることができる」という評価者的な視点が入ってくる。他者の目から見て客観的に「うまい」という結果を出せる場合にのみ、「得意」という称号が与えられる。
理屈の上では、「嫌いだけど得意」というのもあり得る。
そして、「好き」と「得意」が重なり合っている場合でも、どちらの動機に重きを置いてその行為をやっているかによって、行為遂行の中身や方向性に違いが出てくるように思う。
自分の例を挙げてみよう。僕が子供の頃の話。
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