だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

「パッカーン」ってなったときによく現れる、こころの中の「ラスボス」

いきなり「パッカーン」とか言われてもなんのこっちゃですけど。

 

これは、心屋さんとこの界隈でよく言われる言葉で、無自覚の思い込みや思考・行動パターンにとらわれて生きてきた人が、「ああ、そういうことだったのか」って悟ったときの、視野がパッカーンって開けるような感じを指す、、らしいです。

 

たとえば、自分を責めるクセがある人がいたとして。

(はい、僕は元々そのくちです)

で、そんな自分に振り回されたり、傷ついたり、ということを積み重ねてきた、と。

 

なんでそうなるんだろう? などと自分の心と向き合っていって、、ああこれは自分を責める姿勢をとることで人から責められないように防御線を張ってるんだな、とか、完璧じゃない自分を許せないという立場をとることであたかも本当の自分は完璧であるような妄想に浸りたいのだな、とか、そんなふうに、自分の心の奥底にある、自分が妄想的に作り上げたストーリーに、はたと気付く。

 

「おわぁっ、そうだったのかぁ〜!!」って感じで、感動とショックが合体したような衝撃を感じたりします。

こころが解放されたような清々しさとか、ひざカックンされたときの脱力感のような感覚もあります。

 

まあ、そんなこんなを通じて自分を責めるループから抜け出せるならいいんだけど、、、

 

実際には、「あ、これがパッカーンか!」ってなったことを通じて、むしろ強力なラスボス的落とし穴にはまってしまうパターンもあるんじゃないか、と思うんですね。

 

・・っていうのは、

 

「責める」の背景にある、自分が勝手に作り上げた独自のストーリーを発見したときは、いったん「アホやなぁ・・」(笑)みたいな感じになるんですけど、、、

 

元々が「自分を責める」ループの中にいた人ですから。

 

しばらくして、(笑)の感触が薄れてくると、「アホやなぁ…お前、ほんまにアホやな!」って、このポイントで改めて、自分のことをねちねち責め始めたりするんです。

 

でも一方では、なまじ「パッカーン」的な素晴らしい発見をしたと思っているので、その「アホやなぁ」を手放す方向には、なかなかいかない。

むしろ、強力にそこにしがみつく。

自分では、心の解放へ向かう大事な発見をしたと思ってるわけですから。

 

パッカーンだったはずなのに、いつの間にかそれが自分を責める強固なパターンとして定着してしまう。

強力なラスボス(笑)に化けてしまうわけです。

 

たぶん、そんな落とし穴にはまる人って、けっこういるんじゃないかなぁ、と思ったわけです。

そう思ったのはもちろん、自分がそんな穴によくはまるから、ですけどね。

 

パッカーン的悟りは、言葉を変えれば、自分のこころの中の謎解き。

さらに言葉を変えれば、原因探し。ここからさらにもうひとつニュアンスを変えると、簡単に「悪者探し」になります。

 

自分の心と向き合ったのは、悪者探し(自分を責める)から抜け出すのが、本来の目的だったはず。

なのに、「そうか、だから私は自分を責めていたのか」と気づいたときに、「それをネタにして自分を責める」という、一層やっかいなパターンが生じる。

 

さらには、自分を責めていることに気づいたときに、「あー、またやってるよ、まったく私ってほんとにダメだ…」と、そこからさらに攻め立てる方向へ進んだりする。

 

完全に、本来の目的を見失っていますね。

でも、意外とありがちなパターンだと思いません?

 

それじゃ、どうしたものかって話ですが。

 

自分の経験に照らすと、パッカーン的悟りがラスボスにつながるかどうかを左右する要素は、実に単純なところにあります。

 

そのとき「機嫌がいいかどうか」です。

 

ヒトは、機嫌が良ければ、自分を責める気になんて、ならないのです。

(少なくとも僕はそうです)

 

アホみたいに単純な話ですけど、真実って往々にしてそんなものでしょう(笑)

 

で、、ということは、パッカーンのようなちょっと高尚な気づきより、単純に機嫌のいい状態でいることのほうが、現実的にはよっぽど大事なんです。

 

じゃあ、どうすればいい機嫌で居られるか、っていうと、これはもう人によっていろいろでしょうね。

美味しいものを食べるのが好きな人、気の合う人とおしゃべりするのがいい人、部屋を綺麗に片付けるのがポイントという人、おしゃれをしたら気分が良くなる人、体を動かすとすっきりする人。。。

一言にまとめるなら、「やりたいことをやる」に尽きます。

 

これもまた、実に単純な話ですけど。。

ここをあいまいにして、ココロの仕組みを謎解きするような方向ばかりを深掘りしても、まあ、ろくなことはないと思うのです。

 

たとえばアドラーさんの心理学などには、「原因論より目的論」という言い方で、謎解きを深追いすることを戒める部分があります。

これに対して心屋さんのパッカーン論は、謎解きプロセスそのものも、自分の機嫌を良くする(笑える)ネタに組み込んでしまおうっていう発想なのだと思います。

まあ、ウルトラCと言いますか、すごい発明です。

 

でも、、もともと自分を責める系のループに居座っていた人の場合は、「パッカーン」のすぐそばにはラスボルがいるって覚えておくと、いいんじゃないかな。