「体のセンサー」と「ギターの音」、そして「重さを感じる」こと
昨日の記事で、ヒモトレが「体のセンサー機能に働きかける」という話を書きました。
この件に関してFacebookでコメントをいただきまして、そこでのやりとりを通じて、さらに気づいたことがあります。そこで今日は、その話を続けますね。
「ギターを弾く時にヒモを巻くと、体のセンサーが繊細になる」という感覚を、僕は主に、手の指先で感じています。
ギターは、左手で弦を押さえ、右手で弾く楽器(右利きの場合ね)。
わかりやすいのは左手だと思うので、まずそっちの話をしますね。
弦を押さえる時は通常、「弦を押さえる時に指先を立てる」ことが、推奨されます。
こんなふうに、第一関節が指板に対してなるべく垂直になるのが、よいやり方。
指先を寝せるのは、よろしくない。
これはまあ、全くその通りなのですが。。
でも、僕が実際にギターを弾く時には、「指先を立てよう」という意識はあまり持っていません。
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熊野市・花の窟神社に行った
昨日、三重県は熊野市にある花の窟神社に行ってきた。
新幹線と特急を乗り継いで、東京から日帰りの弾丸ツアーだ。
海岸の道路からちょっと脇道に入ったところに、こんな感じで鳥居がある。
脇の説明書きはこんな感じ。読めるかな?
巨岩をご神体とする自然崇拝的な神社、とのこと。
鳥居をくぐってずーっと進むと、奥に、こんな岩が現れる。
ご神体というか、、、れっきとした、岩山だ。
ちょっと見にくいけど、上のように縄が渡してある。これが、年に2回架けかえられる大縄。
岩盤から、結構強烈な氣の圧のようなものを感じる。
人が作った神社とはかなり趣の違う、鮮烈な空間である。
こういう自然そのものの雄大な存在感に接すると、、、人の心はたいてい、謙虚になる。
別にご神体と銘打ったものじゃなくてもいい。海とか、山とか、川とか、日の出とか。そういうものに接すると、人はしばしば「自分の存在がちっぽけであること」や、「自分の命の源がこういった自然の中にあること」を感じて、ありがたや、という気持ちになる。
自分が、「生かされている存在」だと気づく、そんな感じ。
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現代の社会では、私たちは通常、人に迷惑をかけずに自力で生きることが奨励されている。
そして都会の生活システムの中では、ある程度のお金さえあれば、あたかも人に迷惑をかけていないような感覚で生活することができる。
まあ、文明化とは、そういうシステムを作り上げることだったといっても過言ではないだろう。
そんな中で私たちは、「人に頼る」とか「迷惑をかける」ような生き方は、よろしくないという考え方に陥りやすい。
その発想自体がすでに傲慢で、勘違いなのだ。
「パッカーン」ってなったときによく現れる、こころの中の「ラスボス」
いきなり「パッカーン」とか言われてもなんのこっちゃですけど。
これは、心屋さんとこの界隈でよく言われる言葉で、無自覚の思い込みや思考・行動パターンにとらわれて生きてきた人が、「ああ、そういうことだったのか」って悟ったときの、視野がパッカーンって開けるような感じを指す、、らしいです。
たとえば、自分を責めるクセがある人がいたとして。
(はい、僕は元々そのくちです)
で、そんな自分に振り回されたり、傷ついたり、ということを積み重ねてきた、と。
なんでそうなるんだろう? などと自分の心と向き合っていって、、ああこれは自分を責める姿勢をとることで人から責められないように防御線を張ってるんだな、とか、完璧じゃない自分を許せないという立場をとることであたかも本当の自分は完璧であるような妄想に浸りたいのだな、とか、そんなふうに、自分の心の奥底にある、自分が妄想的に作り上げたストーリーに、はたと気付く。
「おわぁっ、そうだったのかぁ〜!!」って感じで、感動とショックが合体したような衝撃を感じたりします。
こころが解放されたような清々しさとか、ひざカックンされたときの脱力感のような感覚もあります。
まあ、そんなこんなを通じて自分を責めるループから抜け出せるならいいんだけど、、、
実際には、「あ、これがパッカーンか!」ってなったことを通じて、むしろ強力なラスボス的落とし穴にはまってしまうパターンもあるんじゃないか、と思うんですね。
続きを読む歌う心理カウンセラー、武道館ライブ
昨日は、武道館でライブを見てきた。
ここに来たのは、ずいぶん久しぶり。かなり前にクラプトンのライブを見にきて以来かな。
今回ここに登場するのは、心屋仁之助さん。
はい、心理カウンセラーです。歌手じゃない。
でも最近はカウンセリングはやってないらしい(笑)。
代わりに、講演会やセミナーで喋ったり、ギターを持って歌ったりしている。あとは本を書いたり、Podcastの番組で喋ったり。
本人曰く、「心がときめくことしかしない」のだそうです。
その集大成としての、武道館ライブだ。
僕は去年ぐらいから、心屋さんのセミナーなどにちょこちょこと参加している。
話が面白いし、自分にとってためになることが多いので、心屋メンタルメソッドのファンになったわけだ。
ただ、正直なところ、歌に関しては「うーん、どうかな・・・」って思っていた。
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「好きなこと」と「得意なこと」の境目
最近、「好き」と「得意」の違いについてよく考えている。
「好きなこと」と「得意なこと」は、現実には、かなり重なり合っているものだろう。
「好きこそものの上手なれ」なんてことわざにもあるように、好きなことは誰だって時を忘れて取り組むので、結果的に上手、つまり「得意」になる、というわけだ。
でも、、それは結果として重なるという意味であり、両者は本来、全く別物だ。
「好き」っていうのは、自発的に湧き出る性質。対象はなんでもいいんだけど、無条件に、ひたすらその対象のことを好ましく感じて、ずっとそばにいたいとか、その行為を続けていたいとか、そんなふうに感じる。どこまでも主観的なステイトメントだ。
理屈の上では、「へただけど好き」というのもあり得る。
これに対して「得意」では、「うまくやることができる」という評価者的な視点が入ってくる。他者の目から見て客観的に「うまい」という結果を出せる場合にのみ、「得意」という称号が与えられる。
理屈の上では、「嫌いだけど得意」というのもあり得る。
そして、「好き」と「得意」が重なり合っている場合でも、どちらの動機に重きを置いてその行為をやっているかによって、行為遂行の中身や方向性に違いが出てくるように思う。
自分の例を挙げてみよう。僕が子供の頃の話。
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【ももクロ考その9】ももいろフォーク村、失敗の効能
週の頭からいろいろバタバタしてて、28日(月)放送の「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」、録画していたのを昨日になってようやく見られた。
今回は、「Girls' Folktory16」と題して、ゲストミュージシャンが次々に登場する豪華な流れ。いまや準レギュラー格のコアラモードや、声優でアニメシンガーの豊田萌絵さん、スターダスト系各グループの紫カラー担当者で作ったユニット「紫しぶき」の面々など、バリエーション豊かな構成でした。
いやぁ、実に面白かった。
昨日の昼ころ、初めて見た。夕方にもう一度、さらに夜中になってからもう1回見た。そして今もまた、見ている。
それぐらい、よかった。
この番組はいつも楽しく見ているけれど、今回はほんとにいい!
何がいいかというと、、、これ、けっこう逆説的な話になるので、もしももクロや番組の関係者がここを読んだらがっかりするかもしれないのだけど、、、今回は、この番組のスタート当初に匹敵するほど、放送中のミスや事故的なハプニングが、ひさしぶりにバンバン出たのである。
それが、良かった(ごめん、、、でも、それが正直な感想なので。。)
続きを読む最近のマイブーム:心屋仁之助さんのメンタルメソッド
このあいだの週末2日間、心屋仁之助さんのところのメンタル系セミナーに参加してきた。
心屋さんは、京都を拠点に活動する心理カウンセラー。独自のメソッドを柱に据えた「心屋塾」というメンタル系セミナーを各地で開催している。自前の講師やカウンセラーを養成し、著書が山ほどあり、全国テレビに出ていた時期もあるというから、この世界ではけっこう有名人といっていいだろう。
僕が彼の名前を知ったのは今年の夏ごろ。友人が本を貸してくれたのがきっかけだった。さらさらっと読めるわかりやすい本で、なるほど~って思いながら一気に読んだ。
まあ、そのころまで僕がはまっていたアドラー心理学と、大まかな世界観は共通だなと思ったので、とっつきやすかったというのはある。
実際、アドラー心理学は、その後に現れたいろいろな実践的なメンタルメソッド(NLPとか、コーチングとか)に軒並み影響を与えているので、心屋流のメソッドもその流れから影響を受けていても、なんら不思議ではない。
で、、、その時点では「ふーん」っていうぐらいだったのだけど、、、その後、本人の講演会に誘わたり、podcastの番組を聴いたりして、、要は、本人の語り口や、聴講者とのやりとりを聞くうちに、だんだん興味が湧いてきた。
なんていうかな、、、ココロ系のセミナーや講演会にありがちな(と僕は思う)、押し付けがましい共感の雰囲気とか、私は全部わかってます系のもったいぶった笑顔とか、そういうものが一切ないのだ。
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