だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

【ももクロ考その20】4人で新しいももクロを作っていくために必要なこと(主に心理面)

1月21日を境に、4人になったももクロ

いま、メンバーたちは、この先のイベント、全国ツアー、さらに10周年東京ドーム公演などに向け、4人編成のフォーメーションや歌唱パート割りなどに取り組んでいることだろう。

 

やることは山積み。

 

そんな忙しさの中にいるときはたぶん、目の前の課題に集中しているので、それ以外の感情が心に降りてくる暇は、あまりないと思う。

 

ただ、ちょっと時間の隙間が出来たときや、1日のスケジュールが終わって一人に戻ったときなどに、ふと、なんともいえない心細さというか、「不安」な気分が湧いてくることも、もしかしたら、あるかもしれない

 

僕がそう思うのは、、杏果の卒業発表以降、いろいろなメディアに出てきた4人の姿を見ているなかで、そんなタイプの感情の存在を、表情の奥に感じたから。

 

25日の「ももいろフォーク村」に出てきた姿にも、それは感じられた。

まあ、4人のなかでも個人差はあるかもしれないが。

 

それから10日ほど。

 

いまのメンバーたちは、どんな心境にいるのだろう。

 

_____

 

「不安」というのは、いわゆるネガティブな感情の代表的なものです。

 

そして、いろいろとあるネガティブな感情のなかで、「不安」に特有の特徴というか、性質がひとつあります。

 

それは、、、不安がおおむね「未来」に付随する感情だということ。

 

これ、他のネガティブ心理と比べてみると分かりやすいのですが。

 

例えば、くよくよする心理や、うつうつ気分はだいたい「過去」と結びついています。

あのときああすればよかったという後悔とか、たられば系の言い訳。あるいは、いろいろやってきたけどどうせ何やっても私なんかね、みたいな屈折した心理は、だいたい昔のあまり快く思えない記憶と結びついているものです。

 

一方、怒りやムカつき、イラっとくる感情は、たいてい現在形です。

まあ、過去の記憶や未来の予測に対して腹をたてることもないわけじゃないですが、たいていは、今直面している出来事に対して、ムカッとくることが多いでしょう。

 

そして不安は、「未来」。

なんらかの将来予測があり、それが、「こうであればいいな」という理想や願いから外れそうに思えて仕方がない、そんなときに、不安が湧いてきます。

 

「ああ、うまくいかないかもしれない、きっとだめだ、どうしようどうしよう」と。

 

ももかの卒業にまつわる状況と、重ねてみましょう。

 

ももクロ小さな巨人」がキャッチフレーズだった有安杏果は、抜きん出た歌唱力とダンス力を武器に、パフォーマンスの重要部分を担ってきました。

たとえば「灰とダイヤモンド」。5人が畳み掛けるように連なって歌うあの終盤パートのアンカー部分などは、杏果の歌唱力があってこそ成り立つ代表例でしょう。

 

youtu.be

この動画の3分あたりから聞いてみて。杏果の出番は3分10秒あたり。

 

杏果がいなくなって、あそこ、誰が歌うの? 他のメンバーが歌ってファンは納得してくれる? などと考えるところから、不安が湧いてきます。

 

こんなタイプの心理を、仮に「できるかな不安」と呼ぶことにしましょう。

 

それで、ですね、、

 

このタイプの不安は、実際に役割分担を決め、練習を重ね、、、そして最終的には本番に臨むことで、やがて解消されます。

 

どうせ誰かがやるしかないのだし、だれがやっても杏果と同じものになるはずは、ない。

だったらもう、結果がどうなろうが、腹をくくってやるしかない。

 

そう、どうせ、いつか、誰かがやるのです。

うまくいこうがいくまいが、とにかく、やることになってるんだし。

 

「できるかな不安」は、未来を思い描くもの。まだやってないから、「うまくいく?」という不安がわく。

だから逆に、時が進んで未来が現在になっていけば、この不安は自然に消えるんです。

 

まあ、もちろん、不安が的中してなにかしらまずい状況に陥るという場合もあります。

でも、そうなれば、それはもはや「不安」ではない。「現実」です。

現実に生じた問題は、まあ、何とかして対処するしかない。

もちろん、それはそれで大変でしょう。でも、問題が現実化してしまえば、「不安」というつかみどころのないモヤっとした感情は消える。

むしろ「失敗」という形で顕在化してしまう方が、スッキリすることも多いものです。

だって、あとはやるっきゃないのだから。

 

そもそも彼女たちは、これまでに山ほどの「できるかな不安」を越えてきたでしょう。そのあたりは、世間で普通の生活をしている人とは比べ物にならないほどの修羅場を通っているはず。

だから、このタイプの不安を克服するすべは、体得していると思います。

 

なので、これに関しては、僕はさほど心配していません。

 

で、、、問題はむしろ、もしかしたらいま4人のココロの中には、「できるかな不安」とは異質の、これまであまり経験していないタイプの心理が紛れているのではないか、と、僕はそんなふうに思うのです。

そっちについては、ちょっと立ち止まって、しっかり考えておくほうがいいんじゃないかな、と。

 

どんな心理?

 

できるできない、ではなくて、「在る」にまつわる心理です。

 

英語で言えば、Doではなくて、Be に関わること。

 

ちょっとわかりにくいですが、、、説明してみますね。

 

ももクロは、2011年に早見あかりが抜けて5人になってから、7年以上メンバー変更をしていませんでした。

その間、、名前にZがつき、、人気がぐんぐん上昇し、、次々に大きな壁を越え、、紅白にも出て、国民的アイドルと呼ばれるまでになった。

 

つまり、ももクロももクロとして確立されていくプロセスはそのまま、5人のメンバーが「不動の顔ぶれ」として定着していく過程でもあったのです。

 

他の多くの女性アイドルグループが頻繁にメンバー変更をしているのと好対照だった事もあり、ももクロの5人は「奇跡の5人」と言われるまでになった。

 

だから、おそらくメンバーの心の中にも、ももクロはずっとこの5人、という意識があったはず。事実、杏果の卒業発表のとき、何人かのメンバーが、「この5人でずっとやるものだと思っていた」と発言しています。

 

その一角が突然、欠けた。

 

ずうっと一緒だと思っていたメンバーの一人が抜けた事によって、「不動のメンバー」という基盤的な観念が、揺らいでしまった。

 

これは、「できるかな不安」よりもっと根源的な不安定感。

 

自分の存在の一部が欠けて、セルフイメージが壊れてしまったような、そんな感じ。一種の喪失感といえます。

 

交通事故などで後天的に手や足を失った人は、それに伴う現実的な問題(◯◯ができなくなる、という不便さ)を思って落胆するというより、そもそも自分の一部を喪失したことによる欠落感に、まずさいなまされることが多いといいます。

いってみれば、自分が「五体満足ではなくなった」という現実を受け入れるところで、苦悶するわけです。

 

あの乙武さんのように、「五体不満足も個性」と思えればいいのですけど。

 

偶然ですが、ももクロもずっと「5」人でした。

5人そろってこそももクロ、という強い信念があったからこそ、そこから一人欠けたことに対して、強烈な欠落感やショックを覚える、というのは、十分にありえると思います。

 

さらに言うなら、、

 

不動だと思っていたところから一人欠けた、という事実は、「不動」という観念そのものをもゆさぶっていることでしょう。

 

単に5人が4人に減った、というだけではなく。

 

「そもそも不動などというものは、この世には、ない」という冷淡な事実を突きつけられたような、そんな感じ。

 

人間は、ずっと信じていた考え方の基盤が突然崩れると、「何を信じていいのかわからない」といった混乱状態に陥ります。

 

まあ、、長い目で見るなら、そうやって世界観が壊れてはまたできて、、と、ココロの枠組みを更新していくことで、人は成長するわけですが。

壊れたその瞬間は、かなり混乱するのは避けられません。

 

ある程度人生経験を経た大人なら、誰でも、そういう経験をなにかと持っていると思います。

 

つまり、、いま4人が直面している状況は、これまで無意識のうちに信じていた「不動の5人」という観念が壊れて、一時的に混乱しているところ。

 

だけど、、、

 

古い世界観が壊れたからこそ、新しい世界観や人生観を構築するチャンスでもある、と、そんなふうに理解できると思うのですね。

 

さて、このように現状を捉えたうえで、、

 

ひとつ、あえて、指摘しておきたいことがあるのです。

 

杏果が選んだ「卒業」=ももクロを抜けるという選択肢は、可能性としては、ほかの4人にも同様にある、ということです。

 

夏菜子、しおりん、あーりん、れにちゃんも、「私、ももクロを卒業します!」と言い出す選択権を、常に、持っているのです。

 

おいおい、いきなり何の話を始めるんだ、と思うかもしれませんけど、僕は、この点をはっきりさせておくことが、いま、とても大事だと思っています。

 

あかりんが抜けたときと違って、今回は、メンバーはもうみんな20代。世の中の同世代の人たちは、もう大学を出て就職してたりしている、そんな年齢です。

つまり今回の出来事を、一般の人が経験するものごとに例えるとするなら、、子供のときに経験する「友達の転校」よりは、むしろ大人の「同僚の転職(または退職)」に相当する、と考えていいでしょう。

 

子供の転校はたいてい、親など、家族の事情で生じます。本人の意思で転校するというケースは、ないとは言いませんが、少数派でしょう。

だから、仲のいいクラスメートが転校していったことをきっかけに、「私も転校を考える」なんてことは、普通は起きません。

 

これに対して転職や退職は、基本的に本人の意思です。

社会人ですから、進む道は自分で決める。当然のことです。

そして、同僚の転職などをきっかけに、自分自身の人生設計を見直すというのは、社会人経験を持つ大人なら、やはり誰もが多少なりとも経験していることだと思うのです。

 

大人の社会では、だれもが転職する権利(可能性)を持っている。

それを行使するか、しないかは、自分が決めることです。

 

思うに、今回の「不動の5人観念の崩壊」は、「他の4人(自分も含む)だっていつか抜けるのかもしれない」という可能性を、心の奥に(無意識下で、かもしれないけれど)想起させたんじゃないでしょうか。

 

ずっと5人でいくと思ってたけど、杏果が抜けた。

それ自体ももちろんびっくりだけど、、、

それだけじゃない、ちょっと待って、よく考えたら、、

えっ、、、ってことは、他の人も抜ける可能性があるの???

、、っていうか、私はどうなのよ?

 

みたいな感じ。

そして、そんな思わぬ気づきが、精神状態のベースを不安定にしているのではないでしょうか。

 

実際、その通りなんですです。他の4人だって、もし本当に本人がその気になれば、「抜ける」と言い出すことは可能なんです。

 

それは、隠したり、気づかなかったことにしておくべきじゃない。

 

むしろいまは、そこまできちんと、前向きに見つめたほうがいいと思う。

 

なぜなら、、

 

ももクロ以外の人生を考えたこともない」のと、

 

「他の選択もあるけど私はももクロを選ぶ」というのでは、

 

ももクロをやっていく上の動機として、ずいぶん違いがあるはずだから。

 

これまでのももクロのカルチャーは、大まかに言うと、「大人が設定した課題を全力でクリアする子供たち」という構造でした。

そこにおいて子供達(メンバー)は、目の前の課題に無我夢中で、それ以外の世界には目もくれない、という、いかにも子供っぽい姿勢を全開にして、活動していました。

 

もう、そういうのは、卒業してもいいと思うのです。

メンバーの年相応に、大人の世界観で成り立つカルチャーにシフトするほうが、本人たちも、ファンも、やりやすいと思います。

 

メンバーにとっては、いまが大きな節目です。

 

杏果が、自分の意思で、ももクロを卒業する決心をした。

じゃあ、私はどうなのよ?って、自問したくなる気持ちが、心のどこかに出てきてもおかしくない。

 

それを、きちんと見つめて欲しい。

 

もちろん現実の状況として、軽々しく「私もやめる」なんてことは言い出せない、、とか、ファンの人の気持ちを考えると、、とか、そういうのはもちろんあるでしょう。当然です。

 

でも、頭の中では、いったんそういう現実的な事情をすべて、横に置いてみて欲しい。

 

いろんなしがらみとか、責任とか、人からどう思われるかとか、期待されてるのにとか、あるいは経済的な事情とか、そんなのを、もしも、まったく、なにひとつ考えなくていいのだとしたら、、

 

自分は何をやりたいんだろう?

 

ももクロをやりたいんだろうか?

 

あるいは、、もう一度生まれ変わるとしたら、何をやりたい?

それでももう一度、ももクロをやりたい?

 

そんなふうに一度、自分に問いかけてみるのがいいと思うんです。

 

いまのようなタイミングじゃないと、なかなか本気で自問できないから、いまがチャンスなんです。

 

もちろん、この提案はある種のリスクを含んでいます。

 

残った4人の中から、さらに「本当は違うことやりたい」と言い出す人が出てくる可能性もあるからです。

 

でもね、、もしも、もしも、本当に本気で自分を見つめ直した結果、そう思う人が杏果以外にもいるんだったら、この際、その人も、ももクロを抜けたほうがいい。

本人にとっても、ももクロにとっても、そのほうがいいと思います。

 

そして、、、そこまで見つめ直した結果、4人のそれぞれの氣持ちが「私はやっぱりももクロをやりたい」となったとすれば、、、

 

その氣持ちこそ、これから4人で新しいももクロを作っていくための、強固な基盤になるでしょう。

 

僕自身の話を、少しだけ、しておきます。

 

僕は28歳から45歳ぐらいまで、出版社に勤務していました。

 

勤務中、先輩や同僚が転職などで会社を辞めていくという出来事に、何度も遭遇しました。

勤めてまだ日が浅かったころは、そのつど結構なショックを受けたりしていました。

 

とくに、編集部の中で、もうこの人がいなきゃ仕事が回らない、とみんなが思っているようなエース級の先輩が辞めた時は、あーこの先どうするんだろう、なんて思ったりもしました。

 

まあでも実際には、抜けたら抜けたでなんとかなるものです。

 

そして、、最終的には自分も会社を辞めてフリーの物書きになるわけですが。

 

そうなるまでの勤続期間に於いて、自分は「会社に骨をうずめる」とか「責任感を全うする」とかではなく、むしろ「いつ辞めてもいい」というつもりで、仕事をしていました。

 

いつ辞めてもいい。でもいまは、自分の意思で、この仕事を選んでいる。

 

そういう氣持ちを、折に触れて確認していました。

 

それはたぶん、会社勤めの始めのころに、会社を辞めていった先輩たちの姿を見ていた中で、自然に自問自答し始めたものだったと思います。

 

そして、そういう姿勢だったからこそ、僕のような集団協調性の乏しい人間が、20年近くも楽しく仕事ができたのだろうと、いまもそう思っています。

 

4人になったももクロにおいて、この先の過程は、1人抜けた穴を埋める作業ではありません。

ももクロという看板を守る仕事でも、ない。

 

新しいももクロを作っていくプロセスです。

 

簡単な過程ではないと思います。

それは、義務感や責任感だけで担えるものではないでしょう。

 

4人が、自ら「新しいももクロを作りたい、作ってみせる」っていう思いにあふれていてこそ、できることだと思うのです。

 

いまは、そこを問い直す、絶好のチャンスなのです。

 

さて、、、最後にもう一度、この記事の始めのほうに出てきた「できるかな不安」の話に戻ります。

 

未来を想像して、うまくいくかどうかわからないと思った時に、不安が湧いてくる。それを「できるかな不安」と呼んだわけですが、、、

 

実は、未来を想像してできるかどうかわからないと思った場合でも、不安とは違う感情が湧いてくることも、あるんです。

 

できるかどうかわからない → それ、ワクワクする!楽しそう!! っていう心理です。

 

こっちは、「できるかなワクワク」と呼ぶことにしましょう。

 

これ、自分が心底「やりたい」と思ってやっていることなら、心はこっちへ行きやすいんですよ。

一方、「やりたい」以外の動機、たとえば「やらなきゃ」(義務感)とか「やるべきだ」(正誤判断)「やったほうがいい」(損得判断)のような動機で動いていると、できないかもと思った時に不安になりやすい、そういうものです。

 

だから、、「ももクロやりたいっ!」ていう氣持ちをとことん追求すれば、、「できるかな不安」は勝手にフッ飛び、「できるかなワクワク」でココロが満たされていくのです。

 

そんなふうに、メンバー自身がワクワクしながら、楽しみながら、走っていくのが、ももクロだと思うんです。

イメージはこんな感じ(これは5人だけどね)。

これ、ライブパフォーマンスの最中なのに、楽しくて、おかしくて、メンバーが笑い出したりしてるんです。笑

それに伴い、ラップのノリとダンスのキレが、どんどん盛りあがっていく。めっちゃ楽しいです。

 

youtu.be

 

僕は、そんな姿を、これからも見ていたいと思っています。