だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

【ももクロ考その18】5人のラストライブ、ももかが去ったステージに残った4人のこれから

 

花束を抱えた杏果の姿が、ステージ下に降りていくエレベーターに消え、、、

 

ステージ上に残ったのは4人。

 

思いのほかあっさりと、、本当に、えぇっと思って見ているうちに、、

4人になってしまった。

 

本当に4人になったんだ。そんな実感が、初めて湧いてきた。

 

胸の真ん中に、ぽっかりと空洞ができたような気分。

 

あーりんが端っこにいるのが、なんだかなじまない。

 

緑が抜けた色のバランスも、暖色系ばかり目について、なんとなく落ち着かない。

 

それぐらい、5人いるのが当たり前、5人いてこそももクロ、と、そういう観念が、頭に染み付いてきたのだろう。

 

もちろん、一番そう感じているのはステージにいるメンバーたちに違いない。

 

だから、そのあと歌った、4人での初めての歌唱となる「あの空へ向かって」は、10年前から歌ってきた古い曲にもかかわらず、どこかぎこちない、地に足のつかない感じとなった。

 

まあ、それは仕方ないだろう。

 

5人ももクロ最後のライブとなった今日の幕張メッセのステージ、僕は残念ながらチケット抽選に外れたので、AbemaTVで見ることになった。

 

5分前から、テレビの前に正座して待っていた。

 

そんな待ち構え方をしていることに気づいたときは、さすがに我ながらちょっとおかしくて苦笑してしまったけど、、、気がついたら、体がそんな風に振舞っていた。

 

ライブスタート。

 

最初の方からもう、なんとなくぎこちない。

 

卒業する杏果本人は、すっかり気持ちの整理ができているようで、晴れやかな笑顔を振りまいているのだが。

他の4人、とくに夏菜子が、表情が硬く、声や動きにもいつものキレがない。

 

まあ、見るこちら側も平常心ではないのでそう見えた、という面もあるかもしれないが。

 

いや、でも、たとえば杏果から夏菜子へと力強くソロパートが繋がれる「白い風」(ファンの間ではこのパートは「二段ロケット」と呼ばれる)での夏菜子の声は、あきらかに普段と違っていた。

彼女独特の倍音がかった金属的なハイトーンが、いつもの伸びやかさを失っていた。

 

涙こそ見せてはいなかったものの、、もしかしたら、「杏果とこの曲を歌うのもこれが最後」という思いが去来した途端、何かがこみ上げてきたのかもしれない。

 

まあ、それも仕方ないだろう。

 

終盤、4人が順番に杏果に語りかけるコーナー。

 

1人目のれにちゃんがいきなり号泣するのは予想通りだけど、“鉄のハート”と評されるあーりんもぼろぼろと涙を流しながら杏果との思い出を語り、いつも冷静沈着なしおりんも、なんともいえず淋しげな表情を浮かべて言葉を詰まらせた。

 

そして夏菜子が涙をこぼしながらこう語る。

「本当は5人で10周年を迎えたかった」

 

そう、今年の5月にももクロは、10周年を迎える。

 

その大きな大きな節目を目前にした、有安杏果の卒業。

 

残った4人が、不安や戸惑いを覚えるもの当然である。

 

・・・4人になってからのステージトークで、客席のファンに向かって、夏菜子の口から何度か、こんな言葉がこぼれた。

 

「私たちについてこいとか、そういう勇ましい感じの言葉はなかなか言えないですけど・・・」

 

夏菜子自身、前に向かって力強く踏み出す気持ちに、まだ、なりきれていないのだろう。

 

10周年記念として、東京ドームという大きな会場のライブが発表され、いままでだったらその目標に向かってぐっとギアを上げていくところだろうけれど、、、今回は、今日のところは、まだ、そうなっていない。

 

それも、仕方ないことだと思う。

 

あの5人からメンバーが欠けるような事態を、誰もまったく予想していなかったのだ。

 

僕自身、このライブ中継を最後まで視聴し、頭ではもちろん、杏果がいなくなったことを理解したにもかかわらず、、、情動的には、まだ4人になったという現実をたぶん受け入れられていない。

 

僕のようなモノノフ歴の短いいちファンでさえ、そうなのだ。

 

まして、これまで苦楽を共にしてきた4人のメンバーにおいては、、現実をしっかり受け入れ、腑に落ちた状態になるには、たぶんもう少し時間がかかる。

 

これは、周囲や本人たちが「頑張れ」とか「しっかりしろ」とか、そういう叱咤をしたところで、どうにかなるものではない。

 

予期せぬ環境変化に対する人間心理の自然な反応であり、、、寒くなったら鳥肌が立つのと一緒で、がんばって克服できるようなものではない。

 

むろん、最終的には時間が解決することだけれど、、、

 

そこまで至るプロセスとして、こういうときは、まず「寂しい」「悲しい」という気持ちのなかにいったん浸り、涙を流したり、思い出話を語り合ったり、、ということをたっぷりやったほうがいい。

 

「私は大丈夫」などと強がらず、湧いてくる感情にどっぷりと浸りきることが、実はそこから抜け出すための最善手なのである。

 

これは、いってみれば、悲しみの「お弔い」。

お通夜で故人を偲んでいろいろ語る、あんな感じのプロセスが、たっぷりとあった方がいい。

 

「お弔い?何言ってるの、縁起でもない」とかいう人がいるかもしれないが、、、

ずーっと身近にいた人が急にいなくなるという意味で、転校や転職と、人の死は、けっこうよく似ている。

 

そして、それらのつらい出来事を克服して前向きな気持ちを取り戻すための段取りとして、お弔いのプロセスは、実によくできている。

こんなときは、先人の知恵として、素直に真似したほうがいい。

 

もちろんアイドルである以上、表向きは元気いっぱいの姿を見せなくてはいけないだろうけれど、、、

メンバー間や、気心が通じたスタッフとの間で、納得がいくまでメソメソしてほしい。

 

ももクロというグループの特徴といえば、いつも元気いっぱいで全力投球。

頑張って、高い目標に向かってチャレンジして、それを克服してきた。

 

「頑張って、成し遂げる」「努力して、成長する」

 

少年漫画などでも多用される、魅力的なストーリーである。

 

だが、この「頑張ればできる」的な世界観が成り立つのは、実は子供の世界だけだ。

 

人は大人になると、世の中には、頑張ってもどうにもならないものごとがある、ということを知る。

 

今回の杏果の卒業という出来事は、ほかの4人のメンバーにとってまさに、この「頑張ってもどうにもならないものごと」に相当するだろう。

 

誰かが悪いわけではないし、誰かを責めることもできない。

むしろ、大好きな仲間の旅立ちを、笑顔で送り出したい、と思っている。それは本音だ。

でも自分の心は傷つき、悲しみがこみ上げている。

そして、その状況に対して、自分ができることは、ほとんど何もない。

ただ、、、受け入れるしかない。

 

と、、こんなふうに捉えてみると、、

 

今回の杏果の卒業は、そこで生じた心の傷みをうまく昇華することさえできれば、もしかすると、残った4人のメンバーの精神性を、一気に大人の領域へと押し上げるのかもしれない。

 

もしそうなれば、、それはももクロというグループの性格にも、大きな影響を与えるだろう。

 

願わくばその先に、今までのももクロとはひと味もふた味も違う、大人の魅力を備えた新しいももクロがあってほしい。

 

いま、言えることはそれだけ。