だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

「アラカン」人生、絶好調

数日前、誕生日だった。

 

55歳である。

 

1の位が5になると、四捨五入で次の大台に繰り入れられる。

 

おおまかにいえば、約60歳、、ということだ。

 

四捨五入して次の台になることを、最近は、「アラ◯◯」のような形で呼ぶようだ。

 

アラサーとか、アラフォーとか、アラフィフとか。

 

じゃあ今度はアラシクスとかいうのかと思ったら、違うらしい(カミさんが教えてくれた)。

 

「アラカン」である。

 

このカンはもちろん、英語ではない。日本語だ。

 

赤いちゃんちゃんこを着る、あれだ。

 

そうか、ということは、自分もぼちぼち長寿を祝われるような年代にさしかかかってきた、ということなのか。

 

これはなかなかに、、感無量である。

 

これと同系統の感慨は、ちょうど5年前、50歳になったときも感じた。

 

50歳といえば、多くの人が、織田信長が好きだったと伝えられるあの一節、「人生50年~」を思い浮かべるだろう。

 

子供の頃は、何の疑問もなく、そんなもんかと思っていたが、自分がその領域に届いてみると、やはりちょっとした感慨がある。

 

ひと昔前の感覚でいえば、もう、いつ死んでもおかしくないぐらいの年齢なのだな、と。

 

で、、今回はさらにその上をいく。

 

なにしろ、赤いちゃんちゃんこである。

 

もはやおめでたい境地、なのである。

 

いや、正確にはまだそこには届いていないのだけれど、「四捨五入すればおおむねおめでたいあたり」までは届いた、のである。

 

おもしろいものだ。

 

50になったとき、「もう、残りの人生は余禄」というフレーズが、ふと脳裏に湧いてきた。

 

もはや、生きてるだけでまるもうけ、なのである。

 

だったらもう、好きなことやって生きよう、と。

 

それが5年前の2013年。

 

あのころから、自分の人生はガラリとシフトチェンジしたように思う。

 

実際に自分の身の上で、ずいぶんいろんなことが起こった。

 

新しい出会いもたくさんあった。

 

逆に、コンタクトがほとんどなくなった関係も、山ほどある。

 

身体系のメソッドでは、それまで野口体操一筋だったところから視野が広がり、骨ストレッチやヒモトレなどに出会った。

 

骨ストレッチのセミナーに初めて行ったのは、たしか2014年。はるか遠い昔のような氣がするけど、実はわずか4年前のことだ。

 

ヒモトレ入門の本が出たのは2017年。これはつい去年。でも、これももうずいぶん前のような氣がする。

 

いま一番興味を持っているのは、心屋仁之助さん(およびそのお仲間の人たち)のココロメソッド。

 

このあいだの日曜日は、心屋さんの定期セミナー「beトレ」に参加してきた。

 

当日のテーマは、「快楽」。

 

心から氣持ちイイと感じることを、遠慮せず、ためらわず、もっと追求しよう、って話だ。

 

逆に、快楽ベースではない判断、たとえば「やったほうが得する」「人としてやるべきである」のような判断でやっていることは、断捨離してしまえ、と。

 

ザクッとしたレビューはこちら

https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12387876363.html

 

まさに、、、ああ、これこそ、我が意を得たり!なのである。

 

この1年で、僕は、あらたに6本のギターを入手した。

 

5年ほど前に「断捨離」と称して、当時山ほど持っていたギターから、選び抜いた2本以外は全て処分したのだが、そこからこの1年で再び8本まで増えた。

 

なかでも、一番最近ゲットしたのは、Gibsonのアコギの歴史上、最高峰とされる機種、Advanced Jumboである。

 

これはもう、、ポロンと弾くだけでその官能的な音色が放つ恍惚の波動のあまりに身が震えて泣きそうになる、そんなすさまじいギターなのだ。

 

戦前に300本未満しか作られていない、国宝級のギターである。

 

ついこの間までの自分だったら、こんな貴重なもの、自分にはふさわしくないとか、もっと上手くなったら、とか、宝くじに当たったらね、とか、そんな言い訳をして、まず、手を出さなかっただろう。

 

でも、、いや、もう、そんなん、いちいち氣にせんでも、ええやんか。

 

恍惚に浸っちゃえば、ええやん!

 

。。って、遠慮なく思えるようになった。

 

これを快楽と呼ばずして、何が快楽か。

 

ラカン人生、全開である。