【ももクロ考その17】杏果には自分の人生を好きなように生きて欲しい
有安杏果さんの「卒業」トピック。
昨日の電撃報告から、いろいろと続報が出ています。
とくに、テレビ朝日のインターネット放送「川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし」に5人が生出演し、これまでの経緯やそれぞれの心境などを語ったことで、かなり全体像が見えてきました。
僕自身、昨日は第一報を聞いた直後に「とにかくなんか書かなきゃ」って思って、そのときの第一印象だけで昨日の記事を書きなぐったのだけれど、そのあと、上述のネットテレビなどを見て、誤解していた部分があることがわかり、かなり頭の中が整理され、気持ちも変化してきました。
なので、改めてこの件に関する自分の考えをまとめておきます。
いちおう、健康ジャーナリストとして、心身の健康維持に関わる多少の知見も交えつつ、ね。
たぶん、昨日の記事の内容から一部前言撤回っぽくなると思いますが、それは、こういう流れの中で、自分自身、考えがまとまってきたプロセスだった、ということでご了解ください。
で、、まず結論的なことをいっておきますと。
杏果さんが「卒業」という形で芸能活動から離れる決意をしたこと、僕は心から喜ばしく思います。
まあ、モノノフ緑推しのひとりとしては、もちろん寂しいです。
でもそれ以上に、彼女が一人の人間として、自分でそういう決断をできたこと、そして周囲がその決断を受け入れられたことは、とても良かった。
そしてこの先、彼女には、自分の人生を「好きなように」生きて欲しい。
そんなふうに思うに至りました。
昨日の「ひとりふんどし」に現れた杏果さんの表情は、すっごくサバサバ、スッキリしていました。
ちょっと変な言い方ですが、まるで「憑き物が取れた」ような印象といいますか。
まあ実際、これまでの彼女の人生は、物心がつくよりまえからずっと芸能活動という「人に見せる仕事」をやってきたわけですね。
周囲から期待されるように歌やダンスや演技をこなすのが仕事。
そして、スケジュールも自分の都合じゃないところでどんどん決まっていく。
そんな状況がずっと当たり前だったわけでしょう。
幼い頃から20年以上、そんな生き方をしてきた人が、そこから抜け出す決心をした。
これはいってみれば、人生の主体性を取り戻す決意。
平たく言えば、「自分の人生、自分の好きなように生きる」ってことでしょう。
彼女が本来、歌と踊りが大好きな女の子であることは、疑う余地もありません。
そして、大好きなことを仕事にして、それで大きな成功を収められたのだから、そういう意味ではここまでの人生は、充実した、恵まれたものだったといえるでしょう。
ただ、、、どれほど好きなことでも、それが「仕事」という枠組みにはまった時点から、単純な「好き」だけには収まらない力学やロジックが働き始めます。
いわゆる「大人の事情」ってやつです。
それはまあ、ビジネス(プロ)である以上、ある程度は仕方がないことかもしれない。
ただ、自分の心の中の価値観までそっちのロジックに大きく侵食されると、、原点だった「好き」という感覚がわからなくなってしまうことが、往々にしてあると思うのです。
このあたりのお話は、1年ちょっと前にこのブログで書いているので、こちらもみてください。
技量や才能を見込まれて仕事を依頼されれば、誰だって嬉しい。
「よし、頑張って期待に応えるゾッ」って気になるだろう。
それ自体はまあ、悪いことではないとしても、、
でも、そういう「期待に応えたい」的な動機一辺倒になってしまうと、いつの間にか、原点の「好き」がどこかへ行ってしまう。
すると、何に向かって頑張っていたのかわからなくなる。
高い技術や能力を持った、プロ意識の強い人が陥りやすい、心理的な落とし穴です。
そんな状態で行き着くところまで行ってしまうと、、、最悪の場合、心身ともに燃え尽きてしまう。
杏果さんはたぶん、そうなる手前のところで、立ち止まる決心をした。
もしかすると、大好きだったはずの歌やダンスなのに、なぜだか心から楽しめていない、という感覚を感じ始めていたのかもしれません。
まあ、この辺は想像なので、実際のところはわからないですけど。
世間でもよく、「自分の人生なんだから、好きなことをすればいいんだよ」みたいなことを言われることがありますよね。
で、その時に必ず、「でも、自分は何をやりたいのかがわからないんです」と反応する人がいる。
「周囲の期待」とか、「損得」とか、「マーケットのニーズ」とか、そういうことを優先的に考えて、「好き」をないがしろにしていると、そんなふうになりやすいんです。
それらはすべて、突き詰めれば、「他人目線」の判断基準。
人の目ばかりを気にして生きていると、自分が何者かを見失ってしまう。そういう話です。
さらには、、、自分では「好き」のつもりでやっていたことの中にも、「期待に応える」的な動機がかなり侵食していることがあります。
とくに杏果さんのように、子供の頃から芸能活動(=周囲の期待に沿って自分を見せる活動)をしてきたような場合だと、「好き」と「周囲の期待」が複雑に込み入って、こんがらがっている可能性もあるでしょう。
そんなときは、、、とにかく全部、スパッとやめてみるのは、とてもいい方法。
「やらなきゃいけない」とか「やったほうがいい」とかを全部止めて、そのうち勝手に湧いてくるであろう「好き」や「やりたい」が出てくるのを、のんびりと待つ。
と、、こんな風に考えると、「何も予定のない日々を人生で一度くらい過ごしてみたいなと思ってます」という彼女の言葉は、とても健全な方向を向いているように思います。
そんなわけで、、こういう健全な決断が彼女のなかに湧いてきたことを、僕は嬉しく思うに至りました。
だから、、21日のラストライブ以降は、とにかくのんびりしてください。
そして、何かやりたいことが出てきたら、それからぼちぼちやってみればいい。
今の時点から、やりたいことを考える必要なんかない。
「何も予定がない状況」に存分に浸った上で、そこから何か湧いてきたら、やってみればいい。僕は、そう思います。
で、、、まあ、そうはいいつつ、モノノフもしくは杏果推しとしての関心事は、、その「やりたいこと」の中に、歌や音楽に関わること(あるいはももクロ活動)が出てくるかどうか、というところに向くわけですけれど。。
それは、、、どうでしょうね。今の時点では誰もわからない。
もし出てきたら、やればいい。でてこなければ、それまでです。
・・・といいつつ、僕個人としては、昨日のブログに書いた「杏果が音楽を辞めることはないだろう」という部分は、今でもそう思っています。
たぶんそのうち(半年後なのか、はたまた10年後なのかはわからないけど、いずれそのうち)、杏果さんは歌いたくなるだろうと、そう思って(あるいは願って)います。
でもね、、それは、僕が勝手に思っていることです。
僕以外にも、同じようなことを思ったり願ったり信じたりしている人はたくさんいると思いますが、それらはすべて、その人たちが勝手にそう思っているだけです。
杏果さんはそれを、期待として受け止める必要は、まったくありません。
むしろ「うるさいな、私の人生なんだから、私の好きにするよ」ぐらいの気持ちでいてほしい。
なんなら、このセリフ↑声に出して言って欲しいぐらい。
こういうのは声に出したほうが、心にビリビリって響くものなので。
たぶん、こんな感じのちょいと黒い心理も、心の中のどこかにはあると思うんですね。
そんな気持ちの居場所をちゃんと認めることも、「好きなことをする」の一部だと思うから。
そして、好きなように、自分の人生を生きてください。
そうなったうえで、もしもう一度「歌いたい」って思うようになったとしたら、、、きっと、今どころじゃない、ものすごい歌が歌えるはず。
もしかするとシンガー杏果の本領発揮は、そこからなのかもしれない、、、っていうのは、僕の勝手な妄想です、はい 笑
心の旋律 ギターソロバージョン