だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

ひさびさのファスティング体験と、man3DAL(マンサン)、そして内臓の弾力の感触

めちゃ久しぶりに、ファスティング(断食)をやった。

準備食2日+酵素ドリンクのみ3日+回復食野菜スープ3日。

 

10月29日スタートで、昨日(11月5日)までね。

 

仁さんとこのカウンセラーさんのしゅーくんが部長になって、

オンラインでサポート受けながら取り組むシステムがあって。

 

ameblo.jp

 

↑これはいまから始まるやつだけど、僕が参加したのはこれの10月期。

 

うん、なんかね、ちょうど引っ越したところだし、いろいろリセットする感じの流れになってるみたいで。

この募集の文字を見た時に、「あ、これ、いいかも」って思ったので、パッと飛び乗った。

 

まあ、今から思うと、、
もともと断食は甲田光雄先生直伝で習ったんだし、週末断食を毎週のようにやってた時期もあった。だから、とても久しぶりだけど、そんなに大変でもないだろう、って、ちょっと甘く見てたとこもあった。

 

やってみたら、、、やっぱりそんなことは無いのだな。

ちゃんと、そのとき抱えている問題、というか、課題にまつわる何かが浮かんできて、自分の中のアレヤコレヤがあぶり出されるようになってる。

 


8日間の流れはこんな感じ。

nuzzleone.com

 

 

以前、これとほとんど同じプログラムをやったことがあってね。

酵素断食3日間の前後に、準備期と回復食期がある。

雑誌紙面で紹介するプログラムを、「記者がやってみました」っていう企画ね。

 

そのときは、断食初日がちょっとだるくてしんどかったけど、2日目、3日目とどんどん調子が良くなって。

3日目の帰宅時なんか、元気が有り余って、駅の階段を2段飛ばしぐらいでぴょんぴょん駆け上がったほど(笑)

 

そう、その時のぴょんぴょんの感覚は、自分でもすごく感動的だったので、今でもはっきり覚えてる。

だから、ああ今回もあんなふうにぴょんぴょん元気になるんだろうって、心のどこかで期待してた。

 

今回も、2日目までは同じような流れ。
2日目はBeトレの日だったんだけど、この日は絶好調。
仁さんの歌が過去最高に心に沁みて、自分でも驚いた。
カラダがすっきりしてくると、センサーの感度も良くなるのね。

。。ところが3日目になったら、いきなり頭が痛くなってきて。

目も痛むから、ネット画面を見続けるのもしんどい。

ただぼーっと座るか、ゴロゴロしながら、時間が経つのをやり過ごすしか無い、そんな状態。

 

ここで、梯子を外された、って感じになったわけです。


ぴょんぴょんを楽しみにしていたのに、おかしいよ!話が違うじゃん! みたいな気分。
このタイミングで痛くなるなんて、どういうこと?なんか悪いことした?みたいな原因探しも、始まってしまう。

そんなこんなで、うーうー唸りながら時間が過ぎ、、

 

、、、で、まあ、やがて夜になったんで、お風呂にでもはいろうか、と。

湯船の中で、ふと、足指もみとか、頭皮マッサージとか、それに合わせて呼吸法とか、そんな感じのことをじっくりやってみた。

そしたら、顔面や頭皮がじわーんと緩むような感触があって、、それで、頭痛も和らいできて。

それで、ぽこっと、頭の中に浮かんできた。

ああ、こんなふうに体とちゃんと向き合えばよかったんだな、と。

 

断食でも、健康法でも、心屋メソッドでも一緒なんだけど、「これで、うまくいった」っていう経験が重なってくると、心のどこかでそれを「便利な方法」として捉えるようになってくる。
すると、「次もこれでうまくいくはずだ」って、安易なハウツー的なやり方にハマっちゃう。

 

すると、体の声とか、自分の本当の気持ちとかから、遠のいてしまう。

 

 

これはまあ、人生この先に向けての、一種のシミュレーションでしょうかね。

自分がよくはまる思考パターンを再認しておくための。


で、、翌日から回復食。

 

野菜を煮込んだだけのスープ(僕は圧力鍋を使いました)なんだけど、これが染みるんだなぁ。


「あぁぁーうんまい!」

味付けほとんどなしの、ファスティング前だったらたぶん食べる氣にもならなかったようなスープが、本当に美味しく感じられる。

で、、2日目、3日目と、徐々に味付けも、具の種類も強くしていって。

3日目にはついに鶏肉が入れられる。

鶏肉を買いに、近所のスーパーに行ったんです。徒歩10分ぐらいかな。

そのとき、、ふと思いついて、マンサンを履いて出た。

マンサンっていうのは、はだし感覚で歩いたり走ったりするための底がペラペラに薄いサンダル。
靴のソール素材を切り抜いて、自分で作る。

man10000.hatenablog.com


トレラン業界ではわりと有名なもの
らしい。

僕は、ヒモトレで知り合った鍼灸師の浜島先生に教えてもらって、たぶん1年以上前に自作したんだけど、、

正直なところ、これを履いて歩くと、すぐにふくらはぎやアキレス腱周りが痛くなって、、あまり好んでは履いていなかった。

いや、芝生や枯葉の上ならけっこう大丈夫なんだけど。
アスファルトになると、すぐふくらはぎにくる。

で、、前住んでいた家は、近所に芝生の公園があったので、ときどきそこで走り回ったりしてたんだけど、今回引っ越したところは走れるような芝生エリアがそばにはなくてね。

で、、買い物に行くスーパーまでは、もちろん全てアスファルトの道。
大きな交差点もあるし、人通りもそこそこある。
足に痛みが出てスタスタ歩けなくなったら、難渋するのは間違いない。

なのに、なぜかマンサンを履いて行きたくなったのね。

歩き出して、しばらく歩いているうちに、、、あれ?って思った。

なんか、全身が、ぴょんぴょんしてるのである。

足だけでなく、腰や背中まで、ぴょんぴょん。

全身バネ、みたいな感覚。

 

地面の衝撃が足にガツンとかかると、その負担でふくらはぎなどが痛くなりやすい。

でも、こんなふうに全身の弾力が使えると、そうはならない。

 

スーパーまでの道のりが、なんだか鼻歌気分になってきた。

以前、骨ストレッチを熱心にやっていた時期に、何度かこんな状態になったことがある。
でもそれは、芝生の上を走っていた時だった。

今回はアスファルトの上で、これである。

帰路、ある交差点を渡ったところで、また、はたと気づいた。

 

道路の向こう側とこちら側で、舗道のアスファルトの硬さが、全然違う。

こちらの方が、断然、柔らかい。

柔らかいことが、足の裏の感覚で、わかるのだ。

 

以前ならひたすら硬いとしか感じられなかったアスファルトが、道のこちら側の区間では、まるで弾力あるゴムマット面を歩いているように、ブヨンブヨンと弾んで感じられる。

なんじゃこりゃぁ?!

 

で、思った。

 

もしかして、ファスティングをやって、内臓が柔らかくなったんじゃないか、と。

それで、体幹の弾力が使えるようになったんじゃないか、と。

そしたら、地面の硬さを感じる足裏センサーも、こんなに繊細になるんじゃないか。

おお、ファスティングやるなぁ。

で、、普通食に戻った今日。

「戻った」と言っても、現時点で食べる量は、ファスティング前の半分ぐらいじゃないかなぁ。

我慢してるわけじゃない。それで十分、満足なのである。

 

これはまあ、、、前は、どんだけ食べてたのよ、って話だよね。

そんだけ食べてたら、内臓が硬くなってもおかしくない、っていうことだろうな。

 

さて、、こうなってくると次の課題は、、この状態がいつまで続くか(笑)

まあでも、「この状態を維持すること」が目的ではないわけで。

 

この状態は、あくまで手段。目的は、気持ちいいとか、楽しいとか、そんなふうに感じるなにごとかである。

今の僕は、音楽の活動がそのメインである。

 

ちょうど明日、初顔合わせの相手とアンサンブル(セッション?)をする機会があるので、どんな感じにあるか、楽しみだ。


あ、、、最後にもう一つ。

今日は、ふと思いついて、リビングの空気清浄機の中をすっかり掃除した。

この機械、加湿機能も付いているんだけど、その水回り部品にカルキが付着してがびがびになって、掃除してもどうにもならず。。いつも動作音がグオーって響いて、何かの警告赤ランプが常時付いているような、末期的な状況だった。

もう買い換えようかと思ったんだけど、2日前ぐらいに(回復食の最中ね)ふと思いついて説明書をしっかり読み返したら、水回り部品とか、フィルターとかは定期的に取り替えるように、って書いてあった。


その交換部品が今日揃ったので、、

 

解体、洗浄、消耗品交換を一気にやってみた。

 

そしたら、、、組み上がった空気清浄機は、まるで新品のように静かに、淡々と、作動するではないですか!

 

カラダの中もリセットされたし、ちょうど一緒のタイミングで、めでたしめでたし。

 

と、、、こういう感じのことを、このタイミングで「ふと思いつく」のが、面白い、と思うのだ 。

 

そういえば、マンサンを履いてみようと思ったのも、ふと、思ったわけだし。

 

カラダの中でいろんな滞りやらわだかまりやらが取れると、それに伴って、環境とか、身に付けるものとかも、今のカラダに適した状態にしたくなるんだな、きっと。

 

逆に言うなら、、、カラダの中がよどんでくると、部屋の中とか身に付けるものなども、ドヨーンとした感じでちょうどいい、ってなってくる。まあ、そういうことなのだろう。