だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

世界から「どうせ無理」をなくせば、多くの子供達が救われる


Hoping invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo ...

 

「どうせ無理」というコトバが、多くの子供達の夢や勇気を潰している。

やったことがない大人達が、やらなくていい理由を教えこんでくれる。

 

これは児童虐待だ。

 

世界から「どうせ無理」をなくせば、多くの子供達が救われるんじゃないか。

だったら、みんなが無理だと思っている宇宙開発をやってやろう。

 

そうやってロケット開発に取り組んでいる社員17人の会社のお話。

劣等感がめんどうなものに転じるとき

劣等感。

だれでも何かしら抱えています。

いい意味合いで使われることは、あまりない言葉です。

 

でも劣等感は、人が成長する上で大事な働きをしているようにも思えます。

スポーツ選手や、経営者のインタビューなどで、「劣等感をバネに頑張りました」といった言葉がしばしば出てきますよね。

 

たとえば、まだハイハイしかできない赤ん坊は、二足で歩く周りの大人たちを見て、何を思うでしょうか。

自分にはまだあればできない、でもできるようになりたい、なんて思うんじゃないでしょうか。

で、そう思うから、練習をする。

そういう気持ちが、歩けるようになるためには必要だろう、と。

 

この文脈において、「劣等感」は単に、比較認識の感覚です。事実関係として、「あ、自分の方が下(ないしは後ろ)にいる」と知覚するわけです。

それが、自分より上(ないし前)の存在に対する、憧れのような心理を生む。

そこから、上ないし前を目指す意欲(エネルギー)が湧いてくる。

 

実際、「あんなふうになりたい」という気持ちがなければ、成長とか挑戦という意欲はなかなか湧いてこないでしょう。

そして、「あんなふうになりたい」という気持ちには、「自分は(まだ)あんなふうではない」という認識が含まれている。

それは確かに、劣等感と呼ぶしかないものです。

 

ただ、、、、現実の中で僕らが劣等感という言葉を意識するとき、それはあまりエネルギーの源になってくれない。

それどころか、エネルギーを奪っていくように思える。

むしろ、こんなふうに実感している人の方が、きっと多いですよね。

 

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「追いかける」と「気づく」

青い鳥を追いかけていろいろな世界を巡ったけれど、結局、鳥は自分のうちにいた──

 

子供のころに読んだこのストーリーは、ただのつまらない、オチのない話にしか思えなかった。

「へ? それでなに?」って感じの、気が抜けた終わり方。

 

少し大人になって、「あれは、幸福は実は身近なところにあるっていうたとえ話なんだよ」という説明をどこかで目にして、ふーんとは思いつつ、なんだ説教臭い話か、と、かえってつまらなさが増えたような気がして。

 

それが、この歳になって、カラダにもいろいろガタがきて、それでようやく、ああそういうことか〜って思えるようになってきた。

 

最近、知り合いの鍼灸師さんのところに通っている。

物書きという仕事をしていると、肩こりと目の疲れは、職業病というレベルを通り越し、もう自分の一部みたいになっている。

何しろ、連日パソコンの前で6時間とか8時間とかウンウンうなっているのだから。

 

鍼とマッサージをやってもらうと、それが少しラクになる。

しばらく通って、、「これぐらいが日常」というレベルがちょっとずつ上がってきた。

 

それで、ある日の施術が終わったときに、「おかげでだいぶよくなったよ、ありがとう」と声をかけた。感謝の気持ちを伝えようと思って。

 

そしたら、こんな返事が返ってきた。

 

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新しい年・・・ブログを引っ越した

2015年になりました。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、年が変わった節目に、少しばかり思うところもありまして、ブログを引っ越ししました。

まあ、書き手は今までと一緒ですから中身もさほど変化しないと思いますが(笑)、気分を変えるきっかけにはなるのではないか、と。

 

一見、全て引っ越してきたように見えますが、実は昔の記事は不完全な形でしか移っていません。2011年以降ぐらいはほぼ読めますが。

ということで、旧ブログも消去はせず、残しておきます。

 

ということで、今後ともよろしくお願いします。

「正しさ」が支配する世の中

今日は久しぶりに取材も原稿書きもない日だったので、朝からのんびりとテレビを見ていた。

 

僕が朝見るテレビといえば、たいていメジャーリーグ中継。

 

いつのころからか、「野球は朝見るもの」という感覚が、すっかり根付いている。

 

で、、、ぼんやり眺めていると、ダブルプレーを狙ったすばらしいプレーがあった。

セカンドベースに入ったマリナーズの名手カノーが、自らの足下に逸れてきた難しい送球を難なくさばいて素早くファーストに転送。

ぎりぎりのタイミングだったけど、ファースト審判は「アウト!」のコール。

3アウトチェンジ! おみごと!!

 

・・・のはずだった。

 

ところが、相手チームの監督が出てきて審判と何やら言葉を交わし、、、審判はバックネット脇に引っ込んで、ヘッドフォンを耳に装着。

 

2、3分後、ビデオセンターからの連絡を確認した審判は、「セーフ」のジェスチャー

 

判定が覆ったのだ。

スタジアムにざわめきが広がる。

 

これは、今シーズンからメジャーリーグが導入した、「チャレンジシステム」。

 

きわどいプレーに対して、監督が試合中に1回、「今のはちがうだろ!」ともの申す権利を与えられた。

 

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笹井芳樹氏の自殺について

理化学研究所笹井芳樹氏が自殺した。

 

とても残念なことだ。

 

このできごとを「残念だ」と思うのには、いくつかの理由がある。

 

(1)未来のある優秀な研究者の命が失われたこと。

STAP細胞の件はともかくとして、彼がこの先、科学者としてさまざまな成果を挙げる可能性を持った人材だったことは間違いないだろう。そういう人材を失ったのは残念。

 

(2)STAP細胞の問題の真相究明において、大きなカギを握るであろう人物がいなくなったこと。

これによって問題の解明が難しくなった。

 

この2点については、多くの人も同様の感想を抱いていると思う。

 

加えて、僕の中ではもう一つ、とても残念なことがある。

 

生命科学」の第一線にいる研究者が、自らの命を絶ったことだ。

 

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将棋とチェスの違いから、生命観の東西比較について考える

将棋のNHK杯テレビ中継を見たあと。

 

ふと思いついて、チェスに「感想戦」があるのか、調べてみた。

 

答えは、一応「ある」。

 

まあ、感想戦という名前は本来、将棋で使うもので、囲碁では「局後の検討」、チェスでは「post mortem」というようだけど、趣旨は一緒。

 

wikipediaより引用_________

 

感想戦(かんそうせん)とは、囲碁、将棋、チェス、麻雀などのゲームにおいて、対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討することである。

__________________

 

ただし、ネット情報をいくつか見た印象では、将棋ほどには必須とされていないみたいだ。

やった方がためになるので推奨されているけど、プロの大会でも、やるときもあれば、やらないこともある、ということのようで。

 

将棋の場合、プロ、アマ問わず、公式な対局では必須。

まあ普通の人の趣味対局はともかくとしても、街の将棋道場などでも感想戦をやるよう指導してるって聞いたことがある。

基本的に、「感想戦まで含めて1局」という考え方があるのだろう。

 

なぜこんなことを思いついたかというと、、、

 

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意外な仕事が舞い込んだらできるだけ引き受けよう

物書きとしての自分の仕事のメインは、雑誌やネットの媒体、書籍などに文章を書くこと。

 

医療・健康に関わる仕事が多いけれど、時おり、「そのネタ、僕に来ます?」って思うようなお題をいただくこともある。

 

最近でいうと、現在発売中の日経ビジネスアソシエ7月号で、なんとドラッカー先生の時間管理に関するお話を執筆した。

 

・・・ごめん、この依頼をいただくまで、「もしドラ」しか読んだことなかったです、すみません。

 

ほかにも、歴史物とか、エネルギー問題、法律に関するお題をもらったこともあった。

さらにいうと、執筆というカテゴリーから明らかにはみ出た、商品開発のサポート的なお仕事をいただいたこともある。

 

そんな“想定外”のお話をいただいたときは、できるだけ受けることにしている。

 

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