だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

【ももクロ考その12】天才・百田夏菜子が、朝ドラで身につけたもの(前半)

ちょっと日が経ってしまったが、ちょうど1週間前、先週の木曜、お台場Zepp ダイバーシティー東京に行ってきた。

 

ももいろフォーク村ちょいデラックス 百田夏菜子生誕後夜祭 加藤いづみ生誕前週祭」への参戦だ。

 

去年の夏の「ももいろフォーク村デラックス」は、代々木体育館。キャパ1万人超のハコだったけど、今回はオールスタンディングで1000人規模のライブハウスだ。

 

今の彼女たちにとって、このハコはかなり狭い環境だと思う。

でもそれだけに、聴衆との距離感が近くて、会場は開演前から、ただならぬ熱気が満ち満ちていた。

 

それが、初っ端のゲスト、和田アキ子さんが登場した瞬間からばーんと解き放たれ、、、

4時間弱で、ももクロメンバーとゲストミュージシャンたちが30曲以上を歌いまくる、大盛り上がりのライブだった。

テレビの生中継が終わってからも、延々1時間近く続くほどの熱気。

 

今回の主役はもちろん、夏菜子だ。

  

ももクロのリーダーにして、不動のセンター。

ファンから「天才」と称される彼女が、ソロにコラボに大活躍である。

 

中でも際立って盛り上がったのは、X Japan風のフルコスチュームで、ゲストドラムにニャンゴスターを迎えて熱唱した「紅」だろう。

 

メタル系の硬質なギターと地鳴りのような重いドラム、怒号のごとく鳴り響くコールと、赤いサイリウムの閃光。。会場全体が紅色に染まる中を、夏菜子のハイトーンが切り裂く。

  

momo96ch.com

 

さて、、、この曲も含め、最近の夏菜子ちゃんが、歌唱面においてめきめきと上達しているのは、多くのファンが感じているところだと思う。

 

 それは、「ももいろフォーク村」の中で、村長の坂崎さんもたびたびコメントしている。

 

というわけで今日は、そんな成長著しい夏菜子の変化について、考えてみたい。

 

結論から言うと、この変化には、去年の朝ドラ出演を通じて身につけたものが深くかかわっているんじゃないか、と僕は想像している。

その中身は何なのか、掘り下げてみたい。
 

 

夏菜子の歌をめぐるできごとで、最近、僕の印象に残っているのは、今年の3月の番組。

このときは、ゲストで尾崎亜美さんを迎え、メンバー全員がそれぞれ尾崎さんと1曲づつ歌う、という趣向だった。

 

夏菜子がコラボしたのは、松本伊代の「時に愛は」(懐かしい~)。

尾崎さんが作曲し、セルフカバーもしている、しっとりとした可愛らしいバラードである。

 

夏菜子は以前、尾崎さんと「オリビアを聴きながら」をコラボしたことがあった。

それを踏まえて坂崎村長が、歌い終えた尾崎さんに、「どうですか? うちの夏菜子は成長してますか?」と訊ねた。


すると尾崎さんは、「そうね、音楽に向かって歌っている感じがした」という言葉を発した。

 

これは、間違いなく、褒め言葉であろう。

 

そう、最近の夏菜子ちゃんの歌は、まさにそんな感じなのである。

「音楽」と向き合い、曲を大切に、丁寧に歌っている、そんな意識が強く伝わってくる。

 

だけど、、、だ。

 

確かに褒め言葉なのだけれど、、失礼を承知の上であえて言うけど、、それってなんだか、夏菜子ちゃん“らしくない”よな、という印象を受けたのも、また事実である。

 

なんか、微妙な違和感というか、夏菜子の魅力ってそこだっけ? みたいな感じ。

 

変に型にはまった、きれいな方向にまとまろうとしてない? と心配になるような。

 

というのも・・・

 

ファンが夏菜子のことを「天才」と呼ぶのには、わけがある。

 

天才という言葉の通常の意味とは裏腹に、“知性”的な面を指しているわけではない。

むしろ、直感的、衝動的なふるまいや、たまたま発生したであろう偶発的な言動やパフォーマンスなどが、ときに驚くほど正鵠を突き、魂を揺さぶる感動を呼び、結果としてファンの心に刻まれる奇跡の瞬間を生み出してきた、そんな彼女のあり方を指しているのだ。

  

その究極の象徴といえるのが、2014年春、あの国立競技場での2デイズライブの最後を飾った、夏菜子の締めの言葉だろう。

 

「私たちは、天下を取りに来ました。でもそれは、アイドル界の天下でもなく、芸能界の天下でもありません。みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を取りたい。そう思います。
これからもずっとずっと、みんなに嫌なことがあっても、私たちを観て、ずっと笑っててほしいです。」

百田夏菜子 - Wikipedia から引用

 

僕はこのころ、まだももクロのファンになっておらず(というか、ももクロのことをまだほとんど知らず)、この言葉もリアルタイムでは聞いていないのだけれど、、のちになってこの言葉を知ったとき、、、

 

ぐわぐわって鳥肌が立ったのを覚えている。

 

こんな言葉を、高校を出たばっかりぐらいの女の子が、6万人の観衆に向かって、しゃべったんだ。

 

台本などなく、事前に考えたものでさえない、あの瞬間にふと、ひらめいた言葉。

 

「降りてきた」っていうのは、まさにこういうことだろう。

 

こんなのを見ているから、ファンは彼女のことを「天才」って呼ぶんだ。

 

・・・って、いやいや、これだけで夏菜子の天才っぷりを語ったのでは、実はまだ、片手落ち。

もう一つ、彼女の天才性を見事に表現している、奇跡の出来事がある。こっちも、ももクロファンならよくご存知のはず。

 

2015年、大晦日。

この年、紅白歌合戦出場を果たせなかったももクロは、初の年越しカウントダウンライブに取り組んでいた。

夜9時から、年をまたいで元日早朝まで6時間以上におよぶ、ロングランライブ。

まさに日付が変わるぴったりその瞬間に、夏菜子は「怪盗少女」のえびぞりジャンプを決め、ステージ上1メートルほどの宙空に浮いて、2016年を迎えた。

このあたりは、絶好調だった。

 

そこからさらに3時間。

ライブもいよいよ終盤。大団円に向かって、ステージ上には出演者がずらりと勢ぞろいした。

曲は「今宵、ライブの下で」。

この曲は、中盤で、夏菜子ちゃんのセリフが入る。

 

「ここにいるよ、ずっとここにいる」

 

このきゅんとくるセリフを、カウントダウンライブ用にちょっと変更し、「新しい年もよろしくね」というメッセージを込めて、夏菜子はつぶやく、、はずだった。

ところが、、、ふっと口からついて出たのは、、こんな言葉だった。。

 

「2015年も、よろし、、、あ、、あれっ?」

 

うわ〜〜ぁ!

 

やっちまったぁぁぁぁぁあっっっ!!

 

どう考えたって、その時点での新しい年は、2016年である。

 

それまでの6時間が一気に吹き飛ぶ、見事な大ボケだ。

 

もちろん、会場は騒然。周囲は大爆笑。

キュンとした可愛い曲だったはずが一転、ステージ上は一気に、大ツッコミ大会へ。

 

夏菜子は両手で顔を抑えてしばし「うわわぁぁぁあっ」ってなったあと、、

 

セリフ明けのソロ歌唱パートを、普通に歌い始めた(笑)

 

そう、、、これが、これこそが、深夜から早朝までこのライブを見てて、そろそろもうろうとしていた人たちの心に、爆発的な楽しさと明るさ、笑顔を吹き込んだのである。

 

こんなのは、やろうと思って計算したって、できるものじゃない。

 

最後の瞬間に、ぜんぶ持っていく、星の強さ。

ハチャメチャな大ボケをかまして、周りからさんざん突っ込まれても、てへって照れて笑いながら歌い続ける、心の底からの明るさと、おおらかさ。屈託のなさ。

 

だから夏菜子は、天才なのだ。

 

自由奔放、天真爛漫、天衣無縫、そしてパフォーマンスは常に全力投球、直球勝負。

そんな姿の中に、ときに、神が降りてくる。

それは「失敗」という形をしていることもよくあるのだが、それさえも全部ひっくるめて、みんなの心を根もとからゆさぶり、笑顔にしてしまう。

 

これが夏菜子の、夏菜子たるゆえんだ。

 

そしてこの夏菜子の魅力がそのまま、ももいろクローバーZというグループの、唯一無二の特異なキャラの中核を成している。

 

youtubeなどで、ちょっと前のももクロのライブ映像などを見ると、コメント欄によくこんな書き込みが並んでいる。

 

「ヘタだけど、心を打つ」

「音痴なのに、感動した!」

 

例えば、こんなのです。

 

youtu.be

 

絵に描いたような、「ヘタだけど心を打つ」パフォーマンスだと思う。
その中でも極め付けが、3分14秒あたりからの、夏菜子ちゃんのソロパート。

 

素敵だ。

でも、、、びっくりするほど、ヘタだ。

 

で、、だ。

 

こんなのをいろいろと見てきた立場としては、、「夏菜子ちゃん、歌、上手くなっちゃって大丈夫なの?」なんて、逆に、いらぬ心配をしたくなるのである。

 

 

もちろん、ももクロも歌手なんだし、その一人である夏菜子ちゃんの歌唱技術が向上するのは、一般論としては良いこと、のはずだ。

 

だけど、そういう「技巧」とか「修辞」などと形容されるような、洗練されたワザ的なものとはかけ離れた、人間としてのエネルギー感そのものをほとばしらせるような部分にこそ、夏菜子の魅力はあるんじゃないの?

 

ヘタにワザの向上なんぞに取り組んでしまうと、その最大の魅力がシュルシュルと消えてしまったりしない? かなこちゃん、大丈夫?

 

、、と、まあ、尾崎亜美さんのほめ言葉を聞いたときにふと心によぎった違和感とは、おおむねこんな感じの心理でろう。

 

そして、最近の夏菜子ちゃんをみながら、こんな感じの、ちょっと微妙な気分を味わっている人は、けっこう多いんじゃないかな、と思うのである。

 

そもそも、「うまさ」って、なんだろうね?

 

尾崎さんの言葉を借りるなら、「音楽と向き合っていく」ような姿勢。

 

楽譜に記載されている、楽曲そのものの構成(メロディー、ハーモニー、リズム)をきちんと受け止め、それを大切にする方向性の表現。

 

(そういえば漫画「のだめカンタービレ」でも、全く同じ言葉が語られていた。楽譜を無視して弾きたいように奔放にピアノを弾きたがるのだめに対して、ボーイフフレンドで指揮者の千秋が、「楽譜をよく見ろ、音楽と向き合え、作曲家がお前に語りかけるものに耳をすませ!」と説く)

 

とすれば、、ここでいう「音楽」とは、一種のルール、規律。音の並びを定めて楽曲を織りなす決めごとのことをさしているのだろう。

そうした規律を尊重し、規律から外れることなく音を紡いでいけるようになることを、「うまさ」と呼ぶ。

まあ、こんなまとめでおおむね間違いはあるまい。

 

で、、どうも、ももクロが好きな僕たちは、こういった感じの、ものごとをきちんと秩序立てて律するような「規律」的なものに接すると、、、それによって自分の何かが制限され、頭を押さえつけられ、エネルギーを削がれてしまうんじゃないかと警戒する、そんな習性を持っているようなのだ。

 

夏菜子ちゃんは(そしてももクロは)、そういった規律っぽいものとは遠いところにいる。

だからヘタ。だけど、だから心を打つ。気持ちがいい。

 

そんな夏菜子ちゃんが、上手くなり始めている。。すると、大丈夫?って気になる。

 

・・・と、まあ、お話の構造は、そういうことだろう。

 

となると、ここで問われている問題は、おおむね以下の一点に集約されるだろう。

 

「規律的なものは、果たして、エネルギーを削ぐのか?」

 

さて、、ここいらで話はそろそろ、朝ドラに飛ばなくてはいけない。

 

ご存知のように夏菜子ちゃんは、2016〜2017の半年間にわたり、NHKの朝ドラ「べっぴんさん」に、中心人物の一人として出演した。

 ドラマの出来栄えについてはいろいろ評価があるようで、僕も正直、微妙な感想を抱いている一人だが、、その話は、今日はしない。

 

ポイントは、「夏菜子はこの半年で、何を身につけたのか」である。

 

 、、、と、ここまで書いてなんなのだが、今日はそろそろ、出かけないといけない(笑)

 

なので、話は本来、ここから佳境なのだけど、今日はここまで。続きはまた明日にでも。

 

 ※続編書きました。こちらです。