文章の書き方「わかりやすい」と「おもしろい」の狭間
長年、文章を書くことを仕事にしていると、ときに自分が書いたものに関する感想を伝えられることがある。
肯定的なものもあれば、否定的なものもある。
否定的なもの(まあ、批判ですね)は、反省材料として自分の胸のうちに入れておくとして、、、
僕の場合、肯定的な反応としては、なぜかいつも、ほぼ同じ言葉を言われるのである。
「わかりやすいですね」
・・・・個人的な願望を言わせてもらうと、実は僕は内心、「わかりやすい」以上に、「おもしろい」ものを書きたいと思っていたりする。
だけど、「いやぁおもしろかった〜」というタイプの反応を耳にすることは、まず、ない。
そういうスタイルの文章は、仕事として僕に発注される時点で、そもそも期待されていないのかもしれない。
まあ確かに、人にはそれぞれ得手不得手というものがある。
続きを読む脳は都合よく記憶を書き換える、、を実感できたお話
年をとると物忘れしやすくなるとは思っていたけれど、あんなに見事に記憶が消えていた経験は、初めてだ。
先日、リビングで掃除機をかけていたところ。
かみさんがいつも座っている椅子の足下あたりで、ふと目が止まった。
その椅子には、彼女が夏の間ずっと愛用していた、エアレーション機能付きのマットが
置きっぱなしになっている。
ファンを回して座面や背中から空気を送り、涼しい座り心地にする、というしくみだ。
電力で動く装置だから、当然、電源を取る必要がある。こいつはUSBケーブルでつなぐ方式。
だから、ケーブルの先端には、USBのジャックが付いている。
・・・はずなのだが、床に垂れたケーブルの先に、ジャック部分がない。
ケーブルの末端は、まるでただの紐のようだ。あるべきコネクター部がなくて、そこでブチっと終わっている。
よく見ると、中の導線の断面が露出して見える。
どうやら、何かの拍子にシャック部がちぎれたらしい。
続きを読む
うんちが我慢できるメカニズム
1カ月以上前にアップされていた記事ですが、、、日経webに自分の記事が出ているのを発見(笑)。
今更感ありありですが、、、でも、面白い話なので是非、読んでみて。
便意はなぜ起きるのか。そして便意が起きた後、トイレに入るまで我慢できるのはなぜか、というお話。
特に後者のメカニズムは、いろいろ考えさせられます。
世界から「どうせ無理」をなくせば、多くの子供達が救われる
Hoping invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo ...
「どうせ無理」というコトバが、多くの子供達の夢や勇気を潰している。
やったことがない大人達が、やらなくていい理由を教えこんでくれる。
これは児童虐待だ。
世界から「どうせ無理」をなくせば、多くの子供達が救われるんじゃないか。
だったら、みんなが無理だと思っている宇宙開発をやってやろう。
そうやってロケット開発に取り組んでいる社員17人の会社のお話。
劣等感がめんどうなものに転じるとき
劣等感。
だれでも何かしら抱えています。
いい意味合いで使われることは、あまりない言葉です。
でも劣等感は、人が成長する上で大事な働きをしているようにも思えます。
スポーツ選手や、経営者のインタビューなどで、「劣等感をバネに頑張りました」といった言葉がしばしば出てきますよね。
たとえば、まだハイハイしかできない赤ん坊は、二足で歩く周りの大人たちを見て、何を思うでしょうか。
自分にはまだあればできない、でもできるようになりたい、なんて思うんじゃないでしょうか。
で、そう思うから、練習をする。
そういう気持ちが、歩けるようになるためには必要だろう、と。
この文脈において、「劣等感」は単に、比較認識の感覚です。事実関係として、「あ、自分の方が下(ないしは後ろ)にいる」と知覚するわけです。
それが、自分より上(ないし前)の存在に対する、憧れのような心理を生む。
そこから、上ないし前を目指す意欲(エネルギー)が湧いてくる。
実際、「あんなふうになりたい」という気持ちがなければ、成長とか挑戦という意欲はなかなか湧いてこないでしょう。
そして、「あんなふうになりたい」という気持ちには、「自分は(まだ)あんなふうではない」という認識が含まれている。
それは確かに、劣等感と呼ぶしかないものです。
ただ、、、、現実の中で僕らが劣等感という言葉を意識するとき、それはあまりエネルギーの源になってくれない。
それどころか、エネルギーを奪っていくように思える。
むしろ、こんなふうに実感している人の方が、きっと多いですよね。
続きを読む
「追いかける」と「気づく」
青い鳥を追いかけていろいろな世界を巡ったけれど、結局、鳥は自分のうちにいた──
子供のころに読んだこのストーリーは、ただのつまらない、オチのない話にしか思えなかった。
「へ? それでなに?」って感じの、気が抜けた終わり方。
少し大人になって、「あれは、幸福は実は身近なところにあるっていうたとえ話なんだよ」という説明をどこかで目にして、ふーんとは思いつつ、なんだ説教臭い話か、と、かえってつまらなさが増えたような気がして。
それが、この歳になって、カラダにもいろいろガタがきて、それでようやく、ああそういうことか〜って思えるようになってきた。
最近、知り合いの鍼灸師さんのところに通っている。
物書きという仕事をしていると、肩こりと目の疲れは、職業病というレベルを通り越し、もう自分の一部みたいになっている。
何しろ、連日パソコンの前で6時間とか8時間とかウンウンうなっているのだから。
鍼とマッサージをやってもらうと、それが少しラクになる。
しばらく通って、、「これぐらいが日常」というレベルがちょっとずつ上がってきた。
それで、ある日の施術が終わったときに、「おかげでだいぶよくなったよ、ありがとう」と声をかけた。感謝の気持ちを伝えようと思って。
そしたら、こんな返事が返ってきた。
続きを読む
新しい年・・・ブログを引っ越した
2015年になりました。
今年もよろしくお願いします。
さて、年が変わった節目に、少しばかり思うところもありまして、ブログを引っ越ししました。
まあ、書き手は今までと一緒ですから中身もさほど変化しないと思いますが(笑)、気分を変えるきっかけにはなるのではないか、と。
一見、全て引っ越してきたように見えますが、実は昔の記事は不完全な形でしか移っていません。2011年以降ぐらいはほぼ読めますが。
ということで、旧ブログも消去はせず、残しておきます。
ということで、今後ともよろしくお願いします。
「正しさ」が支配する世の中
今日は久しぶりに取材も原稿書きもない日だったので、朝からのんびりとテレビを見ていた。
僕が朝見るテレビといえば、たいていメジャーリーグ中継。
いつのころからか、「野球は朝見るもの」という感覚が、すっかり根付いている。
で、、、ぼんやり眺めていると、ダブルプレーを狙ったすばらしいプレーがあった。
セカンドベースに入ったマリナーズの名手カノーが、自らの足下に逸れてきた難しい送球を難なくさばいて素早くファーストに転送。
ぎりぎりのタイミングだったけど、ファースト審判は「アウト!」のコール。
3アウトチェンジ! おみごと!!
・・・のはずだった。
ところが、相手チームの監督が出てきて審判と何やら言葉を交わし、、、審判はバックネット脇に引っ込んで、ヘッドフォンを耳に装着。
2、3分後、ビデオセンターからの連絡を確認した審判は、「セーフ」のジェスチャー。
判定が覆ったのだ。
スタジアムにざわめきが広がる。
これは、今シーズンからメジャーリーグが導入した、「チャレンジシステム」。
きわどいプレーに対して、監督が試合中に1回、「今のはちがうだろ!」ともの申す権利を与えられた。
続きを読む