だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

朝日カルチャー企画(ヨガ&ロルフィング)で感じた、「連なるからだ」の奥深さ

昨日、朝日カルチャーセンター新宿のセミナーに参加してきました。

ヨガ指導者・龍村修さんと、ロルファー/ボディワーカーの藤本靖さんのコラボ企画。

「東洋と西洋の身体技法と哲学」というタイトルがついています。

 

「東洋と西洋」のコントラスト、共通点と相違点が浮き彫りになる、非常に興味深い内容でした。。

 

・・けど、その話はここでは割愛。

 

自分にとってとても面白い発見があったので、そっちの話に触れることにします。

 

まず、このお2人の接点について。

 

 

龍村先生は「耳ヨガ」「指ヨガ」といった、体の限られた部位にアクセスして全身を整える技法をいろいろと提唱しています。

藤本さんも、「耳引っぱり」というテーマの本を書いています。耳を引っ張っておけばたいていの不調は何とかなる、みたいな、ざっくりいえばそういう話。

で、耳つながりで日経ヘルス誌上のコラボ企画があって、その縁でつながったそうです。

 

こういう発想の技法は、世の中にほかにもあります。

一番有名なのは、足の裏をもんだりなでたりして全身を整える「反射区」(リフレクソロジー)でしょう。

 

僕もこれまで、この手のものにいろいろな場面で接することがあって、そのつど「面白いなぁ」と感じてきました。

指や耳をもんだりして、遠く離れた部位の不調(凝り、痛み、その他不快感)が消えたりするわけですから、確かに現象としては面白い。

体ってすごいなぁ、みたいな気分にもなります。

 

でも、、、それと同時に、、ずーーっと、素朴な疑問が残っていたわけです。

 

例えば、自分が「肩こり」という不調を抱えていたとします。

で、耳や指や足の裏をもむことで、それが調子良くなるとする。

それはまあ、それでいいのですが、、、

 

「別に、肩を直接もんだっていいじゃん?」って思うわけですよ。

 


肩をもむマッサージとか、肩を動かす体操やストレッチは、それほど難しいものではありません。
それをどうしてわざわざ耳や指からアプローチしなきゃいけないの?

という疑問が、ずーっとあった。

で、、、昨日のセミナーで、その答えが一つ、クリアになりました。

肩こりの例でいうと。。

その肩こりが、今日初めて発生したものであれば、その部位をもむという発想でも、まあいいでしょう。
だけど、「私は肩こりがひどくて」という人はたいてい、ずーっと肩が凝っているわけです。

ここには二つの問題が絡んでいる。

①「肩」という局所に生じた問題(凝り、血流低下、感覚低下など)
②「局所の問題」が自力で解消されないという問題(体の「回復力」の低下ないし阻害)

①は、局所のマッサージなどで改善できるでしょう。
②の方が、問題となるわけです。

体は、全身がつながって(連動して)機能します。
そのつながりの実体を、東洋医学では「気」と呼びます。気の通り道が「経絡」。
一方、西洋医学では、「血液やリンパ系などの液体」「神経、免疫、ホルモンなどの情報ネットワーク」「筋膜などの構造体」などと分析的に見ることになります。
まあ、こういった機能や構造が連動して働いたときに、体の中で(または外から)感知される「流れ」や「つながり」のような感覚のことを、気と呼んでいると考えればいいでしょう(ということにここではしておきます)

いずれにせよ、、、体はネットワーク的に連動して機能している。

イメージとしては、、例えば、みかんが入ってるあのオレンジ色のネットみたいな感じ。

あれを切り開いてシートにし、四隅を持ってピンと張ります。
その上で、どこか適当な部位をつまんで、適当な方向に引っ張る。

すると、全体がつられてそちらの方向へ引っ張られる。
これがまあ、「連動している」ということです。

と同時に、ここにはもう一つの大事な性質が生じます。

引っ張った手を離すと、、ネットはもとの形状に復元するわけです。

これが「回復力」。

体は、ネットワーク的に連動しているゆえに、本来、自律的な回復力が備わっているのです。

局所が凝っているというのは、ネットの一部が団子状に固まってほぐれない、みたいな状況でしょう。

それに対して、回復力が落ちている(阻害されている)というのは、、

・四隅を引っ張るテンションが落ちている、またはアンバランスになっている
・なにか別の物体がネットを抑えたり挟んだりして、テンションが伝わらなくなっている
・ネットの広い範囲が硬直化している(古くなったとか、ボンドがべたっと張り付いているとか)

のようなイメージを考えればいいでしょうか。

単純な局所のこりだけなら(上の①ですね)、そこをほぐせばいい。

だけど、問題②は、それだけじゃ足りないことが、感覚的に理解できると思います。

この問題に対して、遠隔アプローチがいいわけです。

遠くからアクセスすることで、ネットの弾性そのものや、全体のバランスを回復させることができる。

藤本さんいわく、「不調の部位は、巡りの機能も落ちていることが多いので、そこに働きかけてもなかなか改善しない。むしろ巡りやすい場所に働きかける方が、結果として全身の巡りが高まり、不調局所の状態も良くなる」とのこと。

もちろん、、それではどこに働きかけると全体の巡り(つながり)が改善しやすいかは、本来、ケースバイケースでしょう。
それを見極めるのが、プロの施術者の腕ってことになる。
指や耳や足の裏は、たいていの不調に対してそこそこ良い影響を与えやすい、素人にも扱いやすい便利なポイント、と考えればいいかな(ということにここではしておきます)。

で、ヨガは、自分で体を動かしたり呼吸をすることで、この自律的な回復力全体を保つ(改善する)方法、と考えられます(もちろんそれだけじゃないけど、この文脈でいえばそういうことになるでしょう)。

さてさて、、ここからが実は、一番大事なお話。

さきほど全身のつながりをみかんのネットに例えて説明しましたが、、

実際の体におけるつながり方は、ああいう一枚のシートのような形ではなく、もっと複雑に入り組んでいます。

そして、そのつながり(連動)には、中心点があるといいます。

身体の面からいうと、それが「丹田」。全身の気が集まる中心点です。
まあ、この話も、ここでは深入りしません。深入りするとどこまでも深いので(笑)。

僕にとってとても面白かったのは、こころの面から見たときにも、全体の機能の中心点というか、コアになるようなものがある、というお話でした。

それが「仏性」。仏さまのこころ。
まあ、もうちょっと平たくいえば、自分自身も含めたさまざまな存在に対して感謝したり敬ったり大切に思うような、そんな気持ち(ということにここではしておきます)。

この気持ちが、こころの機能の中心点。

つまり、この気持ちが、こころの回復力(平安な気分を保つ)を支える核になっている。

これ、、とても大事なポイントだと思うんですね。

何かこころの問題を抱えたとき、その「問題」の方に目が行ってしまうことがよくあります。
どうして私はこんな風にダメなんだろう、とか。
こんなになったのはやっぱり、親との関係が悪かったせいだ、とか。
この感情から逃げないで直視しなきゃ、とか。

これは、肩が凝ったときに肩をもむ、というアプローチに似ています。

そうやって問題と向き合うことで、凝りがほぐれ、「回復力」まで高くなるならそれでもいい。
まあ、そうなることもあるかもしれません。

でも、かえって問題(凝り)が深く、強くもつれていくことも多いように思うのですね、経験的に。

「病の部分に注目するのではなく、体本来の生命力の作用に目を向けるべき」と龍村さんはおっしゃいました。
つまり、「問題」そのものではなく、自分の中の仏性に意識を向け、それを伸ばしなさい、と。

そのほうが、こころの回復力(みかんのネットの弾力)を高めることにつながる、ということです。

これも一種の、遠隔アプローチといえます。

で、、、僕の中ではこの話と、自分が取り組んでいる野口体操との関係という部分に一番興味がいくのですが、、、
ああ、今日はもう出かけなきゃ(笑)
その話は、またいずれ。