だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

野口体操、脳天で逆立ちする

野口体操は不思議な体操です。

ちょっとほかでは見られない変わった動きやポーズが多い。

 

僕が好きなのは、このポーズです。その名も「脳天逆立ち」。

 

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・・・こういう写真を見ると、自分でも試したいと思う人がいるかもしれませんね。

まあ、あえてお薦めはしません。やり方も説明しません。

それでもやる人はやるでしょうから、その場合はケガをしないように、自己責任でやってください。

ケガしても僕は責任取りませんからね(笑)

 

さて・・・こんな感じでとりあえず立つだけなら、人によっては意外とあっさりできるかもしれません。

 


実は僕がそうでした。立つところまでは意外にすんなりとできたのです。
もう何年も前ですが、教室で羽鳥先生がこのポーズをやってくれたのを傍らで見ていて、マネしてやってみたら、、、2回目ぐらいでポンと立てた。

そして、あっさり立ててしまったことで、このポーズが伝えようとしていることがかえってよくわからなくなってしまったのです、何年間も。

というのも・・・

こういうポーズって、とりあえず立つことに成功すると「よし、できた!」って思いがちです、やはり。
でも、その「できた」は、外から見た形の話。
外観の「できた」にばかり意識が向くと、体の中で起きていることを捉えるのが、かえって難しくなります。

僕はこうやって脳天で立つときに、首や体感やみぞおちを固めて、歯を食いしばって、息をつめて・・・つまり、筋力を使って無理矢理立っていたのでした。
そうだということに気がつくまでに、何年もかかりました。

「立てた!」と思ってから何年か体操を続ける中で、徐々に野口体操的な体の感覚に習熟してきて、「からだが液体的にゆるむ」という感じが少しずつわかってきた。
普段の生活動作の中でも、自分の体の内部状態に、少しずつ目がいくようになってきた。

そうなってくると、、、、自分の逆立ちは「何かがおかしい、こういうことじゃないはずだ」と思うようになった。

だって、逆立ちしているときにカラダが固まって、呼吸が苦しいんですから。これは何かが違うに違いない。
(逆にいうと、最初に「立てた」と思ったときは、そのとき自分が息をつめていることにも気がついていなかったことになります)

それで、それまでやっていたやり方をいっぺん完全に解体して、それまでとは違う、力で立つのではないやり方を探し始めた。

すると、それまでは簡単にできたと思っていたこの逆立ちが、一度まったく立てなくなりました。
確か、半年ぐらい、全然立てなかったのです。

それがあるとき、ふわっと立てた。

それ以前にやっていたのとは全然違う内部感覚がありました。

「そうか、立つっていうのはこういうことなんだ」って、目から鱗がぼろぼろって落ちる思いでした。

で、、、そうすると、足で立つ立ち方も変わってきたのですね。
それまでは、足で立つときも、立ててなかったんですよ。

まあ、たぶん今感じているこの感覚も、まだまだ途中経過なのだろうと思いますが。

そんなことを積み重ねていくのがおもしろいのです。

ちなみに、、、興味がある人は、さっきの脳天逆立ちの写真を、いちど、ディスプレーを上下ひっくり返して眺めてみて下さい。
デスクトップPCではちょっと大変ですが、スマホipadなら簡単にできるでしょう。

そうやってひっくり返した体は、どんなふうに見えるでしょうか。

天井から飛び出た固い突起物(つららとか、鍾乳石のような)にみえるか。
それとも、ぬれタオルみたいな柔らかいものが天井からぶら下がっているように見えるか。

後者のように見える姿を目指しているわけですが・・・どうでしょうね。