だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

仙台・石巻

先週後半からいろいろ立て込んでいる。

 

立て込んでいるということは、いろいろな人に会っていろいろな話をしているわけで、つまりここに書いておきたいネタといろいろ出会っているということ。

ただ、頭の中にはあるのだけれど、立て込んでいるためにお話がなかなか整理されない。

それ以上にヒマがない。

 

今日もこれからすぐ出かけて、帰ってくるのは夜。

 

なのでとりあえずひとつだけ、ダッシュで書いておくことにする。

 

先週の木曜、日帰りで仙台と石巻にいってきた。取材です。

仙台は東北大に行き、そのあと石巻では、被災した某フィットネスクラブの再開のお話を聞いてきた。

 

どちらの街も、津波が来なかったエリアは、少なくとも見かけ上はほとんど通常状態に戻っている。

街並みも平穏だし、店には商品がちゃんとあるし、歩いている人たちも普通にファッショナブルにしている。

こちらは“被災地”と思って出かけた立場なので、どこに行っても無意識のうちに被災の爪痕を探してしまうのだけれど・・・

そういうのは、ほとんど目に付かない。津波が来なかったエリアに関しては。

 

もちろん震災からもうすぐ3カ月であり、ここまでこぎ着けるのが大変だった、という部分は当然あると思うのだけれど。。

まあでも、かなり立ち直っている、ということは間違いないのだと思う。

 

それが・・・津波の直撃を受けたエリアに足を踏み入れた途端に、すべてが一変する。

 

・・・・ボランティアなどで現地を訪れた知人たちから話は聞いていたのだけれど、この絶望的な落差は、言葉では何とも伝えきれない。

僕は阪神大震災のとき、地震発生1週間ぐらいで現地に入って取材をしていたのだけれど、あのときの光景とも全く違う。

写真の光景に、もし似たものがあるとしたら、空襲の焼け野原ぐらいではないかと思う(見たことないから想像ですが)
でも、振り返って通りの向こうに目を転じると、そこではスーパーが普通に営業している。

ただね・・・僕が今回、一番インパクトを受けたのは、この情景ではないのです。

それは、訪れた石巻市内のジム(4/11に再開した)の壁にあった、メンバー向けのポスター。

そこには、こんな文字が。

「震災太り、撃退しましょう!」
「いざというとき、走って逃げられる足腰を!」

そして、そこで運動をしていた一人の女性は、満面の笑顔を浮かべながらこんな話をしてくれた。

「あたしはここにずっと通ってたから、津波が見えたけど、走って逃げられたんだよ!」

・・・なんていうかなあ、遠隔地から「さあ被災地に行きました」っていう感覚で行くと、どうしても、悲惨なものやかわいそうなものを探してしまうのです。
そしてそういうものを見つけると、「ああやっぱり、大変なんだなぁ」と納得する。

もちろん大変なのは事実だから、そこに共感するのが悪いとはいえない。
実際、お客さんやスタッフの中には、避難所や仮設住宅から通っているという人がかなりいた。

でも、こちらが「いやぁ、つらかったでしょう、大変ですね・・」といった言葉を準備しておもむいてみると、ジムに戻ってきたおばちゃんたちは「避難所じゃあ体動かせないから、太っちゃうのよ~」とかいいながら、元気に運動しているのである。

現実には、運動を再開したから、この元気が戻ってきたのだという。
ジムが閉じていた1カ月の間に、「見た目もすごい老け込んじゃった」というひとがとても多かったらしい。
それが、再開してまた体を動かすようになったら、体が元気になり、それとともに心もすっかり明るくなったというのである。

もっとも、ジムが再オープンしたからといって、すぐに皆さんが戻って来たわけでもないという。
というのも、テレビの中には、原発の影響を強く受けた地域など、自分たちよりさらに大変そうな人たちの姿が映し出されている。
「もっと大変な人がいるのにジムで体操なんて・・・」というような思いが、再オープンの話をきいても、会員の人たちの足を鈍らせていたそうだ。

それを、戸別訪問で説得して、引っ張りだしてきたいきさつあたりが、取材のポイント。
ちなみに、説得して回ったスタッフの人たちも、避難所で暮らしているような状況で、それをやったのである。

いやぁ、・・・体をきちんと動かすことってホントに大事だ。

と、・・・この結論だけとり出すとごく普通の話なんだけど、今回はそのことを本当に心底、実感しました。

もちろん、ここに書いたことが被災地全域に当てはまるわけじゃない。
各地の状況に応じて、さまざまな事情があるはずです。
僕が見たのは、その中の、ごくごくごく一コマ。

でも、自分の頭の中にあった、自分が作り上げたステレオタイプを壊すのには十分でした。