だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

そういえば会社員時代は我慢ばかりしていた

僕が会社を辞めたのは、2009年。あれからもう6年になる。

フリーランスとしての暮らしも、すっかり身についた、と思う。

 

ときおり、取材や打ち合わせが朝になったとき、ラッシュアワーの電車に乗り合わせると、以前の生活を思い出す。

あー自分もこういう暮らしを毎日やってたなぁ、なんて思う。

 

 「ラッシュアワーの通勤」っていうのは、会社員時代の象徴的な姿。いまの僕にはそう思える。

つらいことを「我慢する姿」だ。

 

そんなふうに思ってしまうほど、会社員だったときの自分は、いろんなことを我慢していた。

新入社員のころ、とある会社の先輩が、「サラリーマンの給料は、我慢料」って言ってたけど、本当にそうだと思う。

 

いや、当時の僕はそれを我慢だとは思っていなかったんだな。

あのころはたぶん、「努力」だと思っていた。あるいは、きちんとした大人ならみんなこなすべき「義務」みたいな感じ。

 

でも、今になって思い返せば、あれは全部、我慢。しんどい状況をがんばってふんばってひたすら耐える行為。

 

我慢することでパフォーマンスが向上するのであれば、我慢にも意味がある、といえる。

だが、何をするにしても、良いパフォーマンスのために必要なのは、歯をくいしばることではない。むしろ緊張を除き、心身を快適なリラックス状態に置くことが、とても重要。

 

当時はいつも力んでいたから、それが自分の平常状態だと思って、力んでいることに気づかなかったのだろう。

 

 「我慢」という態度は、表立った反発や抵抗はしないで耐えることを意味する。

でも、力んで緊張した体では、ものごとを本当の意味でやり過ごすことができない。

 形の上では何も抵抗していないように見えるが、実は、対峙してくるものに対して身を固め、ガツンガツンとぶつかっている。

 

ぶつかるだけでは、何も変化しないし、何も生み出さない。でも、内面ではものすごく消耗する。ストレスや不満もたまる。機嫌が悪くなる。当然、体調も悪くなる。

 

「クリエイティブ」という状態とは、真逆だ。

 

なんであんなに我慢ばっかりしてたんだろう?

 

まあ、組織の問題と、自分の問題、両方あったのだろう。

組織の問題というのは、マネージメントの方向性のことだ。組織構成員の力を引き出し、開花させようとするのか、それとも抑圧して管理・支配しようとするのか。

 

会社員時代、僕が出会った個別の上司の中には、前者的な考え方を持っている人もたくさんいた。これは本当にラッキーなことだったと思う。

にも関わらず、組織全体の空気はなぜか、抑圧的なものにしか思えなかった。

 

ただ、そういう組織の問題も、自分の振る舞い次第で緩和させる道があったはずなのである。

 

そう考えれば、基本的にはすべて、自分の問題だ。

 

組織の中での身の処し方として、何かしらの圧迫感を感じたとき、「ガードを固めて頑なになる」というやり方しか知らなかった、自分の問題。

 

もっといえば、自分がそういう振る舞いしかできなかったから、組織の空気が抑圧的なものにしか感じられなかったのかもしれない。

 

ラッシュアワーの中で、身を固めて、肩肘を張って、足を踏ん張って、周りからの圧力に抵抗する、そんな姿に似ている。

 

「満員電車でも、体の力を抜いて、揺れに身を任せて、天上の心地よい空気と繋がってるようなイメージでゆったり呼吸していれば、いくらでもリラックスできるよ」。

あるヨガの先生が以前、こんなふうにおっしゃっていたけれど。

 

そういうことが本当にできるって気づいたのは、会社を辞めてずっと時間がたった、ごく最近のことだ。

 

だから今もし組織の中に戻ったら、以前よりはまともな振る舞い方ができるのかも、って思うこともある。

 

まあ、戻りたいとは思わないけどね(笑)