だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

皿を洗うときに怒りが湧くのはなぜ?

健康法やメンタルケアの一環として、呼吸法をやっている人は多いと思います。

 

呼吸法が心と体にさまざまないい作用をもたらすことは、歴史的にも、科学的にも明らかです。

僕自身、ほぼ毎日のように、何らしら呼吸法的なことをやっていて、いつも気持ちよさを感じています。

1日ほんの2〜3分でも、毎日続けていれば、心の状態がずいぶん安定します。

 

その上で・・・今日は、せっかく呼吸法をやるのであれば、もうひとつこういうことも意識してみたらおもしろいよ、というお話を。

 

自分の呼吸に意識を向けるのが、呼吸法をやっている3分間だけだとすれば、それはちょっともったいないと思うわけです。

 


呼吸法を続けていると、自分の呼吸の状態に関する感覚が、徐々に敏感になっていきます。
今、自分が深く呼吸しているか、それともどこかの筋肉が固まって浅い呼吸になってしまっているか、体の感覚として直感的にわかるようになっていく。
セルフモニター感度が、高くなるのです。

そのセルフモニターの意識を、普段いろいろな動作をやっているときの自分に向けてみます。
テレビやパソコンを見ているとき、歯を磨いているとき、買い物で品定めしているとき、料理をしているとき・・・
すると、思いがけないことに気がつきます。
生活の中で、自分が、思ってもいない意外なところで、息を詰めているのです。

僕の場合、最初に気がついたのは、入浴中に髪を洗っているときでした。
ものすごい勢いで、歯を食いしばって、息を詰めていた。

「え、なんで?」って、思いましたよ。

シャワーを浴びている最中なら、まだわかる。
水が顔面を伝って流れていくのだから、息を止める必然性はあります。

でも、僕が息を止めていたのは、シャワーのときじゃなくて、シャンプーをつけて髪を洗っていたとき。

で、、、いろいろ思い返してみると、どうも子供のころ(4、5歳ぐらい?)の夏休みかなにかに、ばあちゃんのうちで風呂に入ったときの経験がショックだったんじゃないか、と思いだした。
一緒に入ったばあちゃんに、いきなり石けんで顔をガーッとこすられて、泡が鼻か喉に詰まってひどくむせて、ひどく苦しんだことがあるのです。

あれ以来、泡が立つものが顔の近くにくるときは、すごく警戒するようになった(笑)

うん、たぶんあれだ。間違いない。

で、、、その延長で、普通に顔を洗っているときにも、強烈に息を詰めていた。

気がつけば、ゆるめるのはそんなに難しくないのです。
そしてゆるめば、笑っちゃうぐらい今までにない気持ちよさを感じます。
「あー顔を洗うのって気持ちいいんだなー」って、思うんです(笑)

最近、またひとつ、新しいことに気がつきました。

スポンジに洗剤をつけて、皿を洗っているときも、息が詰まっているんです。
なんとなく、髪をシャンプーで洗うのと共通点がある行為なのが興味深いところなのですが。

それで。。。

「息が詰まっている」ときの、心の状態に目を向けてみると。。

そこに、不思議な感情があるんです。

なぜか、「怒っている」のです、自分の心が。
皿を洗うとき、僕はなぜか、怒っていたんです。

「え、なんで?」って思いますよね、これも。

まあ、それらしく説明できないこともないけれど。
「なんでうちの台所はいつもこんなに洗い物がたまってるんだ!」っていうのは、怒る理由としてそれなりに全うです。
じっさい、頭の中でそんなふうにつぶやきながら洗い物をしていることもあります。

ても、そこまでたまってるわけじゃないときでも、怒ってるんですよ。
皿1枚洗おうとしているときでも、スポンジに洗剤をつけたあたりから、なぜか怒りっぽい気分が、むくむくとわき起こってくる。

これはおそらく・・・

「皿がたまっている」という状況に対して怒っているのではないのです。
そうではなくて、「息が詰まる」という体の反応の方が、先に起きている。
これはたぶん、「泡が出るもの」(洗剤とか、シャンプーとか、石けんとか)に対する僕の経験にもとづく条件反射のようなものです。

で、、、「息が詰まる」という体の状態に対応して、「怒る」という気分が勝手に湧いてくるんですね。

「怒るから息が詰まる」のではなくて、「息が詰まるから、怒りが湧く」のです。

そうすると、怒っていることを正当化する理由が何か欲しくなる。

それで、「なんでうちの台所はいつもこんなに・・・」みたいなストーリーを、頭が勝手に考える。

そんなわけでどうやら僕は、長いこと、台所で洗い物をするたびに怒っていたらしい。

それで、、、最近は少し、やり方を変えました。

洗い物をしようとして台所に立つときは、意識を足の裏に持っていくのです。
床と、足の裏の接触面を意識して、床と重さのやり取りをしながら、スポンジを動かす。

スポンジでこする動作はリズミックな動きなので、足の裏からはずみをとると、動きやすいんです。

そうやって、リズミックに弾む感覚を味わいながら洗っていると、上半身は力みにくい状態をキープできます。

すると、呼吸が詰まらないし、怒りも湧いてこない。

こんなのも、呼吸法の効能のひとつじゃないか思います。