読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ファーブル昆虫記に感じる「すごみ」

最近、ファーブル昆虫記(奥本大三郎訳)にハマっている。

完訳 ファーブル昆虫記 第3巻 上
完訳 ファーブル昆虫記 第3巻 上 ジャン=アンリ・ファーブル 奥本 大三郎

集英社 2006-07-06
売り上げランキング : 114014


Amazonで詳しく見る by G-Tools

毎日1章ずつぐらいのペースで少しずつ読んでいるのだけれど、、、、これが、実におもしろい!

子供のころに、児童用にまとめられた本が何冊か兄貴の書棚にあって、それはざっと読み通した記憶がある。 ただそのときは、正直、そんなにおもしろいとも思わなかった。だから内容もたいして印象に残っていない。 せいぜい「へ〜フンコロガシなんていう生き物がいるんだ・・」って思ったぐらい。

どっちかというと、シートン動物記のほうが好きだった(いや、こっちの内容も今となっては何一つ覚えていないのだけれど・・・)

 

何年か前に、アマゾンで奥本センセの翻訳版が出ているのを見つけて、衝動的に、そのとき出ていた分を(6巻まで)全部、大人買いしてしまった。

ただその後しばらくは、単にリビングの片隅に、山になっていたのだけれど・・・

最近、ふと思い立って読み始めた。

 

いやぁ、こんなおもしろいお話を、どうして今までほおっておいたんだろう(笑)

 

中身はもちろん、十分におもしろい。
虫の生態(生活史)って、すごく多彩で変化に富んでいるし、へーそんなふうに生きてるんだ、と、その部分だけでもかなり楽しめる。

でも、何よりおもしろいのは、ファーブルという人物の苦悩やぼやき、そして真実を見極めようとして常軌を逸したほどの執念で虫を追い回す姿勢。

ファーブルは、かの進化論のダーウインとほぼ同時代の人で、個人的にも親交があったらしい。
研究者として互いに認めあい、尊敬しあっていたというが、こと「進化論」という考え方に対しては、ファーブルはかたくなまでに認めていない。

その後の現代に到るまでの生物学でわかったことを踏まえて彼の言説を読むと、論理的な飛躍や思い込みがいろいろと目に付くわけだけれど(そのあたりは奥本センセが丁寧な訳注をつけてくれている)、ただ、虚心に、先入観(予備知識)なしに虫の振る舞いを眺めると、実は彼のいうことの方がよっぽど納得がいくように思える部分も、たくさんある。

例えば、あるハチは、甲虫の幼虫(まあ、イモムシですね)を捕らえて巣穴(土を掘って小さな洞窟みたいなのを作る)に封じ、その体の上に卵を産み付ける習性を持つ。

卵から孵ったハチの幼虫は、親がとってくれたイモムシを食べて育つわけだけれど、もしこのイモムシが死んでいると、死体はすぐに腐ってしまうので、エサにならない。
かといって生きたままでは、巣穴の中でジタバタするだろうから、イモムシよりはるかに小さなハチの卵や幼虫が潰されかねない。

そこで母バチはイモムシを捕らえたときに、体の体節ごとに分布する神経節(神経細胞の固まり。体の動きをつかさどる指令中枢です)に狙いを定めて毒針を刺し、神経をマヒさせる。それを、胸の方から尾部にかけて何箇所も、ピタリと正確に刺す。
これでイモムシは全身麻酔状態に陥る。
いや、現代の医療が手術の時に行う全身麻酔よりもっと繊細なマヒ具合といえるだろう。だって、たぶん自発呼吸はできているわけだから(手術の麻酔は呼吸の動きも止めてしまうので、人工呼吸器がないと麻酔をかけられた人は死んでしまう)。
そのイモムシは、人工呼吸器なしに生き続ける。だから腐らない。でも、動くことはできないので、ハチの卵や幼虫は安全だ。

そうやって、幼虫は、まだ生きている(でも運動器官だけはマヒさせられている)イモムシを、相手が生きたままの状態で食べ進む。外側の固い殻には手を付けず、内部の柔らかいところだけど食べていく。
ファーフルの観察によれば、生命維持に重要な神経などはあとに残し、脂肪組織や筋肉など、食いちぎられても命は繋ぎうる組織から食べるらしい。
だから、体の中をどんどん食べ進められるイモムシは、最後の最後、外側の皮一枚になるまで、なんとか生きている(ひょえーー^^;)

そんな精密なイモムシ捕獲&育成のテクニックが、どうやったら「突然変異と自然淘汰の積み重ね」から生まれるというのか?とファーブルは問いかける。
進化の試行錯誤の過程で、針を刺す位置が最終的な“正解”とちょっとだけずれた習性を身に付けてしまったハチは、子孫を残せないのだから。
ピタリと体節ごとの神経の固まりに針を刺す習性が身について初めて、子供は安全に育てる。でもそんな習性を身に付ける確率は、途方もなく小さいはずだ、と(だって針を刺さなきゃいけない位置は10箇所ぐらいある)。
だったら、その習性を身に付ける手前の、過渡期のハチは、どうやって子供を残していたんだ?と。

まあ確かに、おっしゃる通り。
もし彼が今僕の目の前でこの問いを発したとして、ちゃんと納得できるように説明することはできないだろうな・・・と、正直、思います(笑)

彼は、気の遠くなるほどの実地観察を踏まえて、そこから問い掛けているのです。
「進化“論”」のような、頭の中で作り出した、いかにも小奇麗で魅惑的な、整合性のとれたロジックを、極限まで排除しようとして、「答えは虫が教えてくれる」と繰り返しつぶやきながら、荒れ野にはいつくばって何年間も虫たちの生態を追いかける。
その姿は鬼気迫るものがあります。

今の僕らが生物の進化を現実のものとして受けとめるのは(まあ少なくとも大多数の現代の日本人にとっては、進化論的な世界観が常識といっていいでしょう。米国などは意外とそうでもないらしいですが)、それを実地に検証したからでも、学問的整合性を丹念に調べて納得したからでもありません。
「それが正しいものだ、常識だ」と伝えられ、周りもみんなそう思いながら生活しているように見えることを踏まえて、「なるほど、そういうものか」と受け入れている、というのが、たぶん大方の人にとっての現実でしょう。

もちろん、それは悪いことじゃない。
どんな人間でも、歴史的経緯の結果として作り上げたある文化の中で生活しているわけで、その場合、「とにかくこういうものだ」と無条件に(無批判に)受け入れた一連の価値体系のようなものを、ものの見方や考え方、感じ方のベースとして、かならず持っているからです。

で、そういうものが、僕らの「常識」とか「道徳」とか、その他無意識に行っているさまざまな判断の根拠に、大きな影響を与えている。

それは、どんな時代のどんな人にも起きていることです。
「それが人間というものだ」といってもいいぐらいでしょう。

ただ、、、そういう、そのときどきの常識とされる見方(考え方)が、ときに制限要素となって、現実に目の前にある何らかの現象(たぶん、主に自然現象でしょう)を見るときに、目を曇らせてしまうこともある。

ファーブルは人生を賭けて、その制限要素に挑もうとした。

「こういうものだ」と納得したくなる整合性のとれた論理(それは学界や世間で喧伝されているものの場合もあるし、自分の脳裏に湧き上がってくる先入観のようなものの場合もある)にたいして、できうる限り、いちいち、実地に立ち返ってそれを検証する。
ただそれだけのために、虫の生活史における未確認のほんの一コマの証拠を求めて、何年も何年も、荒れ地を掘り返し続ける。

いやぁ・・・・すごいなぁ。
素朴に感心します。
まあ、あきれるといってもいいのだけれど(笑)・・・でも、すごい。

もちろん現実の経緯としては、彼自身の(特に若いころの)不遇な境遇、貧乏ゆえに望んでいた教育が受けられなかったとか、いわゆる学界といわれる世界から冷遇されたとか、そういう事情の反作用として、ある意味感情的に、当時の学問的主流な人々や思想に対して必要以上に反発していた、という側面もあるでしょう。それはそれで一つの事実。

だけどさ、動機の一部はそういうものだったとしても・・・彼が積み上げたものがそれで揺らぐわけじゃない。

で・・・そんなふうに桁外れの執念で虫の生態を追いかけるファーブルだけど・・・
けっこう弱音っぽい言葉をはいたり、愚痴ったりもしているわけです。

でも、そういう心境は、すごくよくわかる。

「常識」とされる要素を排してものごと(彼の場合は虫)を見つめようとする場合、唯一絶対の手がかり、というか、よりどころは、自分の五感が捕らえる現実だけなわけです。
それ以外のよりどころ、安心して依って立つ基盤を、排除しようとするわけですから。

これは、恐ろしいほどに孤独で、頼りなくて、絶望的に不安な立場を選んだ、ということです。

常識というのは、「こういうふうに行っておけば(または振る舞っておけば)とりあえず外さない」という規範です。
そのよりどころとして、神様みたいな言葉が出てくることもあるし、「世間では・・」といった感覚が支配することもある。
一方で、「科学的」という判断基準も、現代においてはそういう安心できるよりどころとしての機能を果たしているでしょう。

そういう安定した基盤を極力外して、自分が目にした(自分の体が感じた)ものだけをよりどころにする。
少なくとも、そうあろうとして、もがいてみる。

本当に、そういう呪縛から逃れることができるのか?といえば、僕はたぶん、それはできないことなのだと思う。
単純な例としては、自分が使っている言語(僕の場合は日本語。ファーフルならフランス語ですね)。言葉で思考している限り、その言葉に内在する価値観や歴史から逃れることはできない。

でも、そういう制限を極力廃して、自分の体がとらえたものだけを信じて追いかけるのだ!と腹をくくらなければ、到達できない境地があるのだろうとは思う。

ファーブル、すごいなぁ。。。

勇気をもらうっていうのは、こういうことなんだろうな。