だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

【うちのギブソンその3】丸穴&極厚トップ。“原初的アーチトップギター”「L-4 (1926)」

フラットマンドリンから始まった、ギブソンの歴史。

 

ギブソン社の歩みが始まった1900年代初頭は、音楽シーンにおいても、マンドリンを使った音楽が流行していたのだという。

 

それは、19世紀末〜20世紀のアメリカに、新移民と呼ばれるイタリア系移民が多数、入ってきたこととも関連しているそうだ。

 

彼らが新大陸に持ち込んだマンドリンという楽器(そしてそれを使った音楽)が、新天地においてフラットマンドリンという新しい楽器を生み、その音色が、ラグタイムやブルース、あるいはカントリーといったアメリカンスタイルの音楽を作り出していく。

 

おそらく1920年あたりまでは、ギブソンはその流れに乗って、マンドリンメーカーとして順調な歩みを続けていたのだろう。

 

だが、時が進むにつれて、音楽シーンの主役楽器は、マンドリンからギターへとシフトしていく。

 

それにつれギブソンは、それまではおそらくマンドリンの“添え物”ぐらいの位置付けでしかなかったギターを、主力商品へとシフトさせる方向へと、舵を切った。

主役の座が入れ替わるのは、おそらく1930年あたりだろう。

 

 

30年代後半〜40年代ぐらいになると、ギブソンは、ライバルのマーチン社のギターにも負けないような高いクオリティーと、のちのギブソンらしさにつながるユニークな個性を備えたギターを、次々と発表していく。
僕が思うに、このころが、ギブソンアコースティックギターの黄金期だ。

 

で、、、、ただ、そこより少し前の1910〜20年代あたりは、様相が全く違う。

このころのギブソンは、なかなかに摩訶不思議で理解不能な、現代のギターとはかけ離れたスタイルのギターを、多数、作っているのだ。

 

まあ、過渡期なんだろう。

 

マンドリンメーカーとして培った技術を、より大きなボディを持つギターという楽器の製作に転用して、どんなものを作れるか試行錯誤していた、そんな感じ。

この時代、そもそも、まだ鉄弦ギターは出始めたばかり。
ガット弦ギター製作のバックグラウンドを持つマーチン社が、その技術を利用して鉄弦ギターを作り始めたのが1920年頃だという。

で、、、マーチンはその時点ですでに、現代のアコースティックギターへつながる、かなりモダンな仕上がりの楽器を作り始めているように見えるのに対して、ギブソンはいろいろと突飛なスタイルを試しては取りやめ、また別のを試して、、といった経路を通っているように見える。

 

で、、その試したものの多くは、、、のちにそんな形のギターは残っていない。

まあ、要は、失敗作。

進化の途上で消えて化石しか残っていないカンブリア紀の生き物みたいに、多様なスタイルがいろいろ生まれたけれど、その大半は消えていった。

 

まあ、そこが面白いんだよね(笑)

 

で、、そんなギターの代表格といえば、「うちのギブソン」シリーズのその1で紹介した、Style 0 Artistなのである。が。。

 

でも、それだけじゃないんです。他にも面白い奴がある。(我が家にはなぜかそんなのが揃っている、笑)

 

というわけで、、、前置きが長くなったが、今回の主役はこれ。

Gibson L-4(1926)」だ。

 

f:id:sugoikarada:20190820232002j:plain

 

L-4という名前のギターは、1910年代から作られはじめ、かなり最近まで(もしかしたら今も?)製造されている。

ただ、同じ名前とは思えないほど、その形や構造は大きな変遷を辿っている。
最終的には、F穴アーチトップのフルアコになった。

我が家にあるのは1926年製で、かなり初期のスタイルといっていい。

サウンドホールは丸穴だが、これはアーチトップギター。単板を削って作られた表面板は、全体として緩やかな凸曲面になっている。その曲面は縁に行くと滑らかに凹状カーブへと転じる。製作技術の高さをうかがわせる見事な作りだ。

 

f:id:sugoikarada:20190820233456j:plain


弦のエンド側は、通常のアコースティックギター(フラットトップギター)のように表面板上のブリッジに取り付けるのではなく、ブランコ式のテールピースを介してエンドブロックあたりに接続されている。ブリッジは弦の張力によって抑えられているだけで、接着はされていない。

・・・というこの構造は、フラットマンドリンやバイオリン族楽器と共通だ。

その後、現代のアーチトップギターも、概ねこれと同様の構造を踏襲している。
そういう意味では、このギターはアーチトップギターの祖先、という位置付けで間違いないだろう。

ただし、現代のアーチトップギターはほとんどエレキギターフルアコ)だが、このL-4はピックアップなしのアコースティックである。

そして、、現代のギターではまず考えられないような特徴もある。

 

アーチトップで丸穴サウンドホールというのも今では珍しいが、それ以上に「ありえない!」って思うのが、トップ板の厚さ。

ノギスで測ると、なんと8ミリ以上もあるのだ!

f:id:sugoikarada:20190820233833j:plain

 

f:id:sugoikarada:20190820233915j:plain

 

そしてもう一つは、ネックジョイント位置。
ネックとボディの接合ラインが、11フレット半あたりにある(笑)

 

f:id:sugoikarada:20190820234047j:plain

 

この、12フレットポジションからフレット半分出っ張ったボディのせいで、ハモニクスとか、ハイポジションが、実に、弾きにくい。

困ったものだ、誰がどんな意図で、こんなことをしたんだろう。本当にもう(苦笑)

 

で、、肝心の音は、というと。

 

まあ、大まかな分類でいえば、アーチトップの音であろう。

いわゆるピックギター的な感じに、近い、かな。

でも、ベース音のベケベケした感じとかは、かなり独特だと思う。

SP盤で聞こえるギターサウンドみたいだ。

 

スウィンギーな曲を弾いてみたので、聞いてみて。

 

youtu.be

 

上に書いたような11フレット半問題とか、ネック調整が行き届いてないとか、いろんな理由で、ハイポジションを弾くのが結構きついんだけど、そこはまあ、大目に見ておくれ。

 

 

【うちのギブソンその2】ギブソンの原点はマンドリン。ってことでこれでしょ「A-4 Mandolin 1916」

ギブソンの原点は、マンドリン

 

そして僕が好きな音は、どうやらその原点のサウンドにあるようだ。

、、ということに気がついた時点で、これはもう理論的必然である。

 

ギブソンのオールドマンドリンを、手に入れなければいけない。

 

こう思い始めたのは、ちょうど1年ほど前。去年の夏ころだ。

 

ただその時点で、僕はマンドリンという楽器のことをほとんど何も知らなかった。

 

触ったこともほとんどない。友人がアコギパーティーに持ってきた楽器をポロポロ鳴らしてみたことが、2、3回あったぐらいかな。

その時に、コードを3つほど教えてもらっていた。G、C、Dのスリーコード。

 

マンドリンの4コースのチューニングは、太い弦の方からG、D、A、E。これはギターの3〜6弦を裏返しにしたのとピッタリ重なるので(オクターブとかは無視して、音名が一緒ってことね)、ギタリストなら、シンプルなオープンコードのポジションは大体わかるのだ。

 

で、、コードが3つも弾ければ試奏ができるでしょ(笑)

 

そう思った僕は、御茶ノ水の楽器店街の、それまでスルーしていたマンドリンコーナーへ足しげく通い始めた。
まあ、試奏が練習にもなるから、ちょっとずつ曲っぽいものも弾けるようになったしね。おじいさんの古時計、とか。

 

その傍ら、マンドリンに詳しい友人にいろいろ教えてもらって、だんだん知識も増えていった。

フラットマンドリンには、大まかに2種類のボディスタイルがある。

 

F型と、A型。

 

f:id:sugoikarada:20190816223259j:plain

 

こちらから引用。


写真の右側、ショルダに渦巻き構造物(スクロール)がついてるのがF型。
左側、両肩がなで肩になってるのが、A型ね。

 

Fのほうがちょっとだけスケール(弦長)が長い。
そのぶん、弦の張りが強く、アタッキーな音が出る。

ブルーグラスのような大編成スタイルの音楽では、鋭角なFの音色が好まれる。

 

一方、A型はもう少しマイルドで、味わい深い音色。

ソロとか、2、3人の小編成スタイルで演奏するには、こっちの方が向いている、とされる。

 

そして、1910〜20年代あたり(創業間もないころ)のギブソンマンドリンを念頭に置いた場合、F型とA型にはもう一つ、とても重要な違いがある。

 

それは、値段だ。

 

この時代のF型マンドリンで、もしボディの中にロイド・ロア(Lloyd Loar)というサインがあったら、、、、

 

お値段は、ウン千万円ぐらいになるという。

まあ、いくら僕がギター道楽人間でも、これはちょっと手が出ないわな。。

 

※ロイド・ロアさんというのは1919〜1924ころにギブソンと契約していたマンドリンプレーヤー兼エンジニア。彼のアイデアで設計されたF-5マンドリンは、100年経った今なおフラットマンドリン界の最高峰とされており、現在の市場価格は一千万円を軽く超える。現在でも多くのメーカーや個人ビルダーが、ロイド・ロアF-5を模倣した機種を製作している。

 

ところが、、、A型なら、最上位機種のA-4でも30〜40万円ぐらい。廉価版のA-1とかなら、20万円未満で売られているものもあるのだ。


100年以上前に作られた貴重な楽器がこの価格帯というのは、かなりリーズナブルといえるだろう。

 

というわけで、僕の標的はもちろん、A型。

 

状態のいい古い個体を探して、ネットの楽器サイトをチェックする日が続いた。

 

で、、、まあ、いろいろあったんだけど。

 

最終的に、去年の暮れごろ、とてもいいコンディションのA-4が、かなりリーズナブル価格で出ているのを手にすることができた。

 

f:id:sugoikarada:20190816230454j:plain

 

いやぁ、、それでも、大して弾けない楽器への投資としては、もちろん自己最高である(笑)


せっかく手に入れたからには、弾けるようになりたいよね。

というわけで、こんなのをチャレンジしてみた。

 

youtu.be

 

スコット・ジョップリンの「エンターテイナー」。

キュートな、いい音でしょ?

100年前に生まれた、ギブソンのルーツとなる音は、こんな愛らしいサウンドなのである。

 

現代のギブソンギターのイメージとは、だいぶん違うよね。

 

この曲のオリジナルはピアノ曲。1902年に発表されたその楽譜の表紙には、「ジェームズ・ブラウン氏と、彼のマンドリンクラブに捧げる」との献辞がある。だからマンドリンで弾くのがきっと、ジョップリンのイメージにも合致してるに違いない。

 

ここでは前半だけの演奏だが、フルバージョンはマンドリンプレーヤー藤本芙実香さんとのデュオ「レモン・アンサンブル」で練習しているので、そのうちご披露できるだろう。

 

【うちのギブソンその1】音もスタイルもマンドリンのような超個性派「Style 0 artist 1920」

Gibsonが楽器メーカーとして創業したのは、1902年とされている。


だが、その本当の出発点は、世紀の境目をまたいで遡った1894年。

 

この年、Gibsonというブランド名の由来にあたる人物、オーヴィル・ヘンリー・ギブソン氏が、自宅併設の工房で、マンドリン製作を始めたのだという。

 

ギブソン氏の初期の工房とされる写真が残っている。

f:id:sugoikarada:20190730213209j:plain


こちらの記事より

 

これより前の時代、マンドリンという楽器は、背面がボウル状のもの(現在はクラシックマンドリンと呼ばれているタイプのもの)しかなかった。

 

こんなやつね

 

www.digimart.net



よりアタッキーで粒立ちの良い音色を求めたギブソン氏が、バイオリンの構造を参考に、新しいスタイルのマンドリンを発明。これが「フラットマンドリン」の始まりだ。

 

そして、その新しいマンドリンが非常に好評だったため、自宅併設の工房では生産が追いつかなくなる。

そこで、製作・販売のための会社を作った、という流れだという。


つまり、ギブソン社の原点は、ギターよりも、マンドリン

実際、創業当時の会社名は、「the Gibson Mandolin-Guitar Mfg. Co, Ltd. 」と、マンドリンという単語の方が、先に置かれている。

 

先ほどのギブソン氏の工房の写真を見返してみよう。

 

ここにはギターもある。でも、主役はやはり、マンドリンだ。
左端のギターなどは、トップ板の縁の曲面(たぶん厚板から削り出して作ったと思われる)の感じが、マンドリンによく似ている。

弦が6本あるからギターなのだけど、構造的にはむしろマンドリンに近いように見える。

、、と、、ここの部分が、ギブソンギターの個性(のルーツ)を理解する上で、とても大事なポイントだ。

創業当時、ギブソン社の主力商品は、マンドリン

ギターも作っていたけれど、その製作には、マンドリンの製法や技術がかなり転用されていたのである。

 

これは、この当時すでにアコースティックギターのトップメーカーだったMartin社のギターと好対照である。

 

Martinはもとからギターメーカーだ。19世紀半ばから、ガットギター(今でいうクラシックギター)を作っていた。

そして、その製造技術を流用して、鉄弦ギターも作り始めた。
だからその根底には、伝統的なギターの製法がしっかりと根付いている。

対して、Gibsonのルーツは、マンドリン
しかも、フラットマンドリンという、全く新しく開発された楽器が、そのルーツ。

そもそもの精神が革新的なのである。


その革新的な製法で、ギターも作っちゃった、という遊び心が、ギターづくりの始まりなのだ。

 

ギブソン社の極めて初期(1908〜1923)に製造されていた、Style 0 Artistというモデルがある。
ショルダーの部分に据えられた巨大なスクロール(渦巻き上の飾り構造)が非常に印象的。
スクロールといえばF型マンドリンにも付いているけど、こいつのやつはあれより数倍はでかい。

f:id:sugoikarada:20190822213302j:image


f:id:sugoikarada:20190822213218j:image

 

このギターなんかは、スタイル、音色ともに、ギターよりもマンドリンに近いのである。
弦が6本だから演奏上はギターなのだけれど、音はマンドリン的。

だから、ギター用の曲を弾いても、なんだか雰囲気が違う。

うちに1本あるんだけど(笑)、こんな音だ。

youtu.be


高音のコリっと粒立つ感じは、まるでマンドリン

ベースの「ボーン」っていう響きは、ギターよりもマンドチェロのようだ。

このギターは1923年に製造中止になっている。
たぶん、世の中がギターに求める音色がこういうのとは違う方向へシフトして、こいつはいかにも時代遅れな楽器になってしまったんだろう。

ギブソンが作るギターの音も、この後、どんどん変化していく。
そして現代では、他のメーカーのギターとあまり違わない音になってしまった。

 

でも1960年代ぐらいまでは、本当に独特の、唯一無二のサウンドだったのだ。

その原点を遡っていくと、このマンドリンお化けみたいな不思議なサウンドにたどり着く。

そう、要は、僕は、こんな感じの音色が大好きなのだ。


たぶん1世紀ほど時代遅れなんだな(笑)。

 

有安杏果「POP STEP ZEPP」ライブ@ZEPP TOKYO(7/23)

有安杏果は、本当に、スペシャルなシンガーだ。

一昨日、お台場のZEPP東京でのライブで久しぶりに彼女の歌を聴き、そんな思いを強く感じた。

____________

あの、ももクロ電撃脱退から1年半。

 

今年のはじめ、1年の休止期間を経て、アーティストとして活動再開宣言。。と思ったら、婚約者がいることを週刊誌にすっぱ抜かれ、急遽本人もコメントを出すなど、彼女の周辺では何かと騒がしい状況が続いていたようだ。

 

僕はもともとももクロ緑推し。
そしてそもそも、ももクロに興味を持ったきっかけは、坂崎幸之助さんがやっていたかつての「お台場フォーク村」で聞いた、杏果の歌声に魅せられたことにある。

 

脱退〜復帰への経緯や現在の状況についていろんな声があるのは承知しているが、僕としては、彼女の歌声がまた聴けるという一点において、復帰という決断を歓迎している。

そして、パートナーの存在が復帰を後押ししたのであれば、それもよかった、と思っている。

 

ま、、婚約者云々のニュースを聞いた瞬間は、ちょっとだけがっかりしたけどね(笑)

 

なので、、当然、復帰と聞いた時から、すぐにも歌を聞きに行きたいと思った。


だけど、3月のサクライブは落選(涙)。

 

まあ、CSのテレビ朝日が放送してくれたので、画面越しに見ることはできた。

赤いテレキャスをかき鳴らしながら歌う姿に、ギター上手くなったなぁ〜、とか思いながら見入っていた。

 

そして、、今回のツアーで、ZEPP東京の7/23分が当選したので、やっと生で聴けた、というわけだ。

最後にライブの姿を見たのは、卒業直前のももクリ2017埼玉だから、もう1年半以上前。


ソロで、となると、あの武道館ソロコン以来になる。

 

一体、どんな姿を見せてくれるのだろう?

 

_________


セットリスト

ヒカリの声
TRAVEL FANTASISTA
若者のすべて [フジファブリック]
心の旋律
虹む涙
feel a heartbeat
夏想い
色えんぴつ
Runaway
Drive Drive
遠吠え
愛されたくて
Catch Up

 

アンコール:
逆再生メドレー
小さな勇気

_____

 

結論からいうと。

ステージに現れた杏果は、自分がやりたい道をまっすぐに突き進む、という力強いエネルギーで満ち溢れていた。

彼女の中では、もう、様々なことがすっかり吹っ切れているのだろう。

 

誰がなんと言おうと、自分の道を突き進む。

 

もちろん、心が痛むことや、不安が湧いてくる瞬間も、あるとは思う。

ももクロのファンや、アイドルだった彼女のファンの中には、今の彼女の選択を快く思わない人が少なからずいるから。

それでも、私は前に進む。そう決めた。

 

そんな覚悟が、伝わってきた。

そして、そういう強い思いを支えているものは何なのだろう? と、曲の合間にぼんやり考えていたとき。

一つのインスピレーションが伝わってきた(ような気がした)。

「私は、音楽の力で生かされている」

「だから私は、音楽を通じて、生きる勇気をみんなに伝えたい」


_________

 

これはあくまで想像だけど、彼女にとって音楽という存在は、文字どおり「No Music, No Life」。

 

「音楽がなきゃ人生つまんない」というような次元の話ではなく、本当に切実に、音楽抜きで私は生きてこれなかった、という感覚があるんじゃないだろうか。

だからこそ、音楽にかける思いも切実になる。ならざるを得ない。

アンコールの最後、バンドメンバーが全員はけた後の最終曲は、杏果がピアノ弾き語りで歌う「小さな勇気」だった。

熊本地震のチャリティーソングとして、彼女自身が作詞作曲した曲だ。

 

youtu.be

※この動画は2017年の武道館ソロコンでのパフォーマンス。これをピアノソロ弾き語りで歌うのをイメージしてみて。

たぶん彼女は、シンガーとして、こういったあたりの部分に、自分の生きがいを見つけているんだと思う。

それは、自分の中にある「音楽によって生かされてきた」という実感の裏返し、なんじゃないか。僕にはそう思える。

今後、彼女が歌っていく歌から、メガヒットが生まれるかどうかはわからない。

でも、「あなたの歌のおかげで生きる勇気をもらいました」と感じる人は、きっとたくさん出てくるに違いない。

杏果の歌には、そういう力がある。

 

そんなことを強く感じたライブだった。


戦前ギブソンの音(1920年 Style 0 動画あり)

1920年製のギブソン Style 0

youtu.be


Style 0は、1900年代から作られているモデル。ギブソン最初期を代表するギターといえるだろう。

削り出しアーチトップにオーバルホールという、いまどきほとんど見ないスタイル。
さらに、マンドリンのような渦巻き状の突起が、非常に個性的だ。

時と共にいろいろと仕様変更を重ねており、これは、このモデルの生産期間の中では、後期に作られた1本である。

音色は、ボーンと深ーく響く素朴なトーン。ゆったりとしたおおらかな曲が似合う。

戦前ギブソンの音(1930年代後半 Nick Lucasモデル 動画あり)

古いギブソンで1曲動画を撮ったので、載せておくね〜

テネシーワルツ。

www.facebook.com

 

使用ギターは、Gibson Nick Lucas。正確な製造年はわからない(笑)けど、たぶん1930年代の後半生まれでしょう。

今のギブソンアコギとは全然違う音。まるでアーチトップみたいなメロウな感じです。

 

ラグタイムギターに入っていくきっかけは、「中島みゆき」だった

中1でギターを手に入れ、嬉々として弾き始めた日々。
最初に取り組んだのは、いわゆるフォークソングの弾き語りである。

確か、ギターを買ったお店の人が、おまけで「初めてのフォークギター」みたいな入門書をつけてくれた。
その最初に載っていた曲が、「いちご白書をもう一度」だった。

ああ、この歌なら知ってる。そんな感じでやり始めた。

出だしのコードがAm、次がEm、そして3つ目にして、いきなりFが出てくる。いま思えば、あんまり初心者向けじゃないよな(笑)


まあ、、でも、そのうちなんとか弾けるようになったんだろう。
中学生ぐらいの年頃は、なにをやっても上達が早いから。

このぐらいの年代の子供が、何かを好きになって、寝食忘れてやり始めたら、、

とてつもないスピードで上達するよね。
たぶん、人生で最も技能習得速度が早い。

その「初めてのフォークソング」みたいな本には、こんなことが書かれていた。

 

フォークソングの伴奏に使う3大テクニックは、ストロークアルペジオ、スリーフィンガーです」


で、それぞれのテクニックを使って演奏する曲が、並んでいる。


「いちご白書〜」は、ストロークの課題曲。

アルペジオの課題曲は、、なんだっけな、たぶんなごり雪とかかな。
で、スリーフィンガーになると、22才の別れとか、岬めぐりとかが出てきたんだろうね、きっと。もう覚えてないけど。

そこまで行けば、はいおめでとう、あなたはもうフォークギター完璧です!みたいな気分になる。

 

それで、、中学生が寝食忘れて取り組めば、、、

はい、1年もかかんないで、その辺まで行くわけよ。

で、中2ぐらいで「よし、オレはもう、フォークギター完璧!」とか、思ってたわけ。

 

まあ、こういうのも、一種の中2病か(笑)

 

そんなわけで、ギター演奏に対して、ちょっとした飽和感といいますか、中だるみ的な感覚を抱いていた時期があったのね。

 

当時、僕は札幌に住んでいた。

そのころ北海道では、松山千春さんがフォーク歌手として売り出し中。地元のラジオ局で番組を持ち、知名度と人気が、ぼちぼち上がり始めていた。

その番組は、僕もちょこちょこ聴いていた。

ある日、そこに、中島みゆきさんがゲストで出ていた。

みゆきさんは当時、すでに地元出身のスーパースターで、僕は、彼女の歌が大好きだった。

いっぽう、千春さんはまだローカルシンガー。みゆきさんとは、まあ、格が違う。

千春さんももちろんそれはわかっていて、「せんぱーい!」みたいな感じで持ち上げまくっている。

トークの中で、ギターの話題になった。

千春さん曰く、みゆきさんは、めちゃめちゃギターが上手いらしい。


スタジオにギターがあり、、千春さんが、みゆきさんにギターを差し出して、こんなお願いをした。

 

「先輩!なんか弾いてくださいよ〜」

 

みゆきさん、、「うーん、じゃあ、わかれうたのイントロでも弾こうか」

、、、ここで、最近の人は知らないかもしれないから一応言っておくと。

「わかれうた」っていうのは、ちょうどこの頃シングルカットされた、中島みゆきの曲。
Youtubeを見てみたけど本人の動画はないようなので、研ナオコさんの歌で聞いてみて。イントロは、まあ、原曲とほぼ一緒だと思う。
ああその曲なら知ってるよ、っていう人も、一応イントロだけでもさらっと聴き直してもらうと、この後の話が入りやすいかも。

 

youtu.be


ああ、、みゆきさんらしい、せつな苦しいうただねぇ。

でも、、、イントロだけギターで弾くって…?

とか思っているうちに、みゆきさん、弾き始めた。

それが、こんな感じだったのですよ。

(そのときの本人演奏の音源なんてどこにも残っていないだろうから、ここでは僕が弾いています。こんな感じの生演奏がラジオから聞こえてきた、と想像しておくれ)

youtu.be


こんなのを、ストロークアルペジオとスリーフィンガーができればギターは完璧、とか思ってた中坊が、聴いちゃったわけですよ。

もう、ね、、ぶっ飛んだね。

え? ええ? えええっ?? なにが、どうなってるの???

伴奏と、メロディーが、いっぺんに弾けちゃってると!!

どうやったらこんなのが弾けるわけ???!!

それまでの自分のギター演奏の常識では、まったく理解できない。

それで、、、ですね。

このブログをいま読んでいる皆さんは、先ほどの動画を見ているから、「どうやったらこんなのが弾けるのか」を、視覚的に確認できるわけですよ。

だけど、中2のときの僕は、これをラジオで聞いた。

そこには、映像はない。

録音なんてもちろんしてないから、聞き返すこともできない。

もちろん、いわゆるソロギターと今では呼ばれているスタイルの演奏技術に関する知識も、なにもない。

 

「えっ??、なにこれ??」とか言ってるうちに、音はどんどん流れていって、30秒ぐらいで終わってしまった。


あとに残ったのは、驚きと、放心と、山ほどの疑問符。
そして、頭の中でループしている、記憶の中のギターの音。

 

さて、、、実はここからが、中学生の本領発揮なのね。

僕は、その脳内でループしている音を頼りに、「脳内耳コピ」を始めたのだ。

たった1回ラジオで聞いただけのギター演奏の音を、ひとつずつフレットの上で探していったのである。

よくそんなことできたなって、今でも感心するわ、ホント。笑

やっぱりこのぐらいの年頃は、脳の記憶力や吸収力が生涯ピークレベルだから、1回聞いただけの音を、丸ごと覚えてしまったんだろう。

その頭の中で鳴っている音を出すには、どんなポジションを押さえればいいのか。

伴奏のコードは、わりとすぐわかった。Emとか、Amとか、シンプルなやつだ。

で、、それと一緒に、メロディラインの音が弾かれている。

ってことは、、主に低音側の弦でベースやコードを弾きながら、高音側の弦でメロディを弾くのだな。

左手は、コードを押さえながら、メロディに必要なポジションも押さえるのだな。

 

、、、といった感じで、あれこれ試行錯誤を積み重ねること、おそらく2週間ぐらい。

わかれうたのイントロ(ソロギターバージョン)が、ついに完成した。

いやまあ、本人の演奏はそれ以降一度も聞いてないので、いわゆる「答え合わせ」はしていないけど、まあ、だいたいこんなもんだろう。

ここで大事なのは、、、

中2の僕がたどり着いたこの演奏が、みゆきさんの演奏と同じかどうか、ということよりも、、

こんなふうにして、コードトーンとメロディーを同時に鳴らす演奏が、ギターという楽器で可能なのだ、と、僕が気づいた点にある。

 

ピアノやオルガンに関しては、左手で伴奏、右手はメロディー、みたいな分担をすれば、両方同時に弾ける、という知識があった。幼稚園児の頃に、オルガン教室に通っていたからね。

でも、ギターはフォークソングの伴奏楽器=「コードを弾く楽器」って思い込んでいたから、そんな弾き方、思いもよらなかったわけだ。

おもしろいもので、、、このイントロをきっかけに、ひとたび、このようなスタイルの演奏が可能なのだ、という認識が出来上がると、、

 

そういうスタイルで演奏されている音楽が、耳に飛び込んでくるようになる。

たとえば、「アメリカ南部紀行」みたいなテレビ番組のBGMで、ちょっとブルージーなギター曲が流れていたりする。
それまでだったら聞き流していたであろうそんな曲も、「あれ、これ、もしかしたらギター1本でやってるんじゃ?」という意識で、耳を傾けるようになる。

で、、そうすると、そういうスタイルで弾かれてる曲が、世の中にはけっこうあるって気がつき始める。

すると、、、今度は、レコード屋さんでそんなスタイルの音楽を探し始める。

それで、、中学卒業〜高校生になった頃には、ドグ・ワトソンとか、ノーマン・ブレイク、チェット・アトキンス、キッキングミュール系のTab譜などを少しずつ見つけ、コピーするようになっていた。

そんな中で、徐々に「ラグタイム」というスタイルに傾倒していったのだ。

というわけで、その始まりは「中島みゆき」だったのです。


40年も挫折せず、飽きることなく、ギターを弾き続けられた理由

ひとつ前の記事でも書いたけど、僕がギターを弾き始めたのは中学1年の時。13歳ぐらいの時だったと思う。

で、いま55歳だから、もう40年以上も、ギターを弾いているわけだ。

 

自分としては、単純に、好きなことだから続けてきた、というぐらいの意識なのだけど、ちょっと客観的に考えてみると、これってなかなかすごいことだと思う。

楽器が好きで、あるいは憧れて、取り組んでみたものの、挫折した、とか、飽きちゃった、という人は、世の中、けっこう多いようだから。

そこで今日は、自分はどうやってこんなに長いこと続けてこれたのか、改めて考えてみたい。

 

まず出発点として、ギターや音楽が「好き」というのは大前提。

好きじゃないことを継続するのは、やっぱりしんどいからね。

 

とはいえ、「好き」だけじゃ続かない、という面もある。

 

楽器の演奏は「技術」だから、やり始めた時点では、うまくできないのが当たり前。
ある程度できるようになるには、練習を積み重ねないといけない。

 

挫折っていうのは、そこまで行く前に、嫌気がさしちゃうことだよね。

うまく弾けない状態で練習ばっかり繰り返して、つまんない、と。

  

じゃあ、どうやったら挫折しないで続けられるんだろう? 忍耐? 努力?

 

いや、自分の実感に照らしたとき、そういうたぐいの頑張りでやってきたという意識は、全くない。


僕が、ここまで続けてこれたのは、「好奇心」のおかげだと思う。

 

それはたぶん、ファーブル昆虫記のファーブル博士が、昆虫たちの不思議な生態を興味津々でながめているのと、少し似ている。

 

何がどうなって、こんなことが起きるの? という、謎解きのような気持ちだ。

 

具体的にいうと、、

 

ギターを弾き始めた頃は、「コード」というものがまるで魔法のように思えた。

本に載っているパターン通りに指で抑えてジャランと弾けば、歌のメロディとぴったりマッチする響きが出てくる。
幼稚園の頃に通ったオルガン教室で習った楽曲の世界(楽譜通りに弾くことが目標)とは全く違う、自由自在で万能な感じ。
どうやって押さえたら、あんな響きになるの?

新しいコードを一つ覚えるたびに、世界の謎が一つ解けていくような、そんな気分だった。

ちょっと弾けるようになってきて、スリーフィンガーという演奏パターンを覚え始めたときは、親指のリズミックな動きが「ノリ」を生む、という、演奏メカニズムの面白さに興味が湧いた。
グルーブとかスウィングとかいうリズムの感覚と、体の操作が結びついた、そんな感じ。

さらに、、ラグタイムなどのインスト音楽(ソロギター)にはまり始めたときは、「メロディライン」と「伴奏」を同時に鳴らすテクニックの面白さに、夢中になった。
5本しかない手の指をどうやりくりすれば、出したいハーモニーを組み立てられるか、まさに謎解きのような発想で、コピーやアレンジに取り組んだ。

・・・といった具合で、ファーブル博士のように観察をしていれば、興味深いネタはいくらでも尽きないのだ。

いまは、どんなふうに弾いたらどんな音色が出るか、という、右手の指の操り方に興味が向いている。

プロのギタリストは、どうやってあんな太くてかっこいい音を出すんだろう? 

いろんな試行錯誤を積んできた結果、、1年前、いや半年前と比べても、出音がずいぶん変わってきた。

 
まだまだ、のびしろだらけ。
だから、おもしろい。飽きない。


「うまく弾けないからつまんない」っていうのが、挫折への道。

でも、うまく弾けないって感じる部分にこそ、実は、観察や工夫の余地がいろいろある。

その面白さに気がつけば、、、ずーっと長く楽しめるんじゃないかなぁ。

そもそも何でギブソン?

昨日も書いたように、僕はギブソンのギターの音が大好き。
思えば、ギターを弾き始めた初期の頃から、ずっとそうだったような気がする。

 

このギブソン好きは、どこから来たんだろうか?

今日は、自分の好みのルーツを掘り下げてみたい。

 

僕が最初のギターを手に入れたのは、中学1年の終わり頃。1977か、78年頃だ。

 

その前年の76年(小6)、僕は当時ブームだったBCLにはまっていた。

BCLとは、Broadcasting Listeningの略。主に海外の短波放送を楽しむことで、当時、松下さんやソニーさんから、短波受信機能を強化したラジオが多数、発売されていた。
僕は松下さんのクーガ115というラジオを親に買ってもらい、夜な夜な海外から届くラジオプログラムに耳を傾けていた。ラジオオーストラリアやBBCは、日本語の放送をしていたので、小学生でも十分、楽しめた。

プログラムは主に、音楽番組。
ラジオを、手に入れたばかりのカセットテープレコーダーにつなぎ、流れてくる曲を片っ端から録音して、テープが擦り切れるまで繰り返し聴いていた。

つまり、僕にとってはこのBCL経験が、人生初の本格的な「洋楽」体験になったのである。

いろんなミュージシャンの音楽が流れていた。中で一人、とても耳に残ったシンガーがいた。

ジェームス・テイラー

 

あの甘くて繊細な声もさることながら、バッキングで流れるギターの音色が、強く印象に残った。
Sweat Baby James

youtu.be
この人の演奏を聞いたことが、自分がギターを弾きたいと思うようになった、大きなきっかけだったと思う。
まあ、好きになったミュージシャンはほかにもいたけど、ことギターサウンドに関しては、ジェームス・テイラーインパクトが一番だった。

で、、中学1年も終わる頃、クリスマスと正月のおこずかいを総動員して、念願のギターを手に入れる。
近所のイトーヨーカドーで、2、3万円ぐらいで売っていたやつだ。中坊にしては大金だっただろう。


外観はマーチンのD-35とD-45を足して2で割ったような感じ。貝殻風のインレイやポジションマークも入って、それなりに綺麗だったのだけど、、、、

あのジェームス・テイラーのような音は出なかった。


なんか、、、ギターを手に入れたうれしさから一転して、結構がっかりしたのを覚えてる。ギターを買えば、ああいう音が出ると思ってたから(笑)

 

いやまあ、もちろん、買ったばかりで弾き方もよくわかんないうちから、まともな音が出るわけはないんだけど。

でも、、、なんかね、ああいう綺麗な音はでないなこのギターじゃ、っていうのはなんとなくわかった。


とはいえ、今みたいにインターネットとかはないし、当時の子供にとっては、ラジオやレコードで聞こえる音がどういう楽器で弾かれたものかを突き止めるのは、簡単ではなかった。

で、、、高校生ぐらいのころかなぁ? たまたま何かの雑誌で、小さな記事を見かけた。


ジェームス・テイラーが使っているのは、ギブソンのJ-50というギターだ」と。

 

ギブソン
名前はもちろん知っていた。ギター雑誌でよく「ギター3大ブランド」として「マーチン、ギブソン、ギルド」を紹介していたから。
でも、それぞれのブランドのギターがどんな音なのか、ということは、全くわかっていなかった。


そうかぁ、、あのJTのギターサウンドは、ギブソンの音なんだ。

これで、ギブソンというブランド名が、心に刻まれた。

さて、、ここで一つ、触れておく必要があるだろう。

一般に、ギブソンのギター(アコギ)の音といえば、ジェームス・テイラーのようなリリカルな音色ではなくて、もっとガツガツ、ジャキジャキしたロックなサウンドを思い浮かべる人が多いはずだ。

典型的なのは、例えば、こんな音。

youtu.be
 

この人が弾いてるギターは、1965年製のJ-50。ジェームス・テイラーが使っていたのとほぼ同時代のJ-50である。
あのJTのギターも、こんなふうにガッツで弾けば、たぶんこういう音が出たはずだ。

典型的なギブソンサウンドといえば、大抵の人がこんなのを思い浮かべるに違いない。


もちろん、これはこれで、とても魅力的な音だ。

だけど、僕の心に最初に刺さったのは、これじゃなくて、JTのあの音だったのである。

せっかくなので、もう1曲挙げようか。

You can close your eyes

youtu.be


うーん、いい音だなぁ。。

で、、、ずーーっとときを経て、自分が大人になり、給料をもらうようになり、、初ギブソンを手に入れたのが、95年頃だったかな。
それはJ-50ではなくて、Gospelという、比較的チープだけど国内ではかなりレアなモデル。

楽器屋のウインドウで見かけて、ふと手にとり、ポロンと弾いたときに出てきた音が、記憶の中のJTサウンドとダブって聞こえた。


実はそのころの僕は、ギターから何年も離れていた。だけど、その音を聞いたときに、また弾いてみたいって思ったんだ。

そこからギターの世界に戻ってきて、はや四半世紀。

いまもギブソンの音が大好きだ。

 

ブログタイトル変えてみた ギブソン、ももクロ、ラグタイム

4月になって、新年度。

新しい元号も発表されたことで。

 

ほな、うちもちょっとイメチェンしよっか、ってことで、ブログタイトル変えてみた。

 

ギブソンももクロラグタイム

 

まあ、僕が好きなもの3つ並べた、そのまんまやね。

 

というわけで、今日からこのブログでは、この3つのテーマを中心に、主に音楽関連のネタについて書いていこうと思う。

※体や心、健康に関するネタは、そのうち別のブログを始める予定なのでそっちで見てくれ。

今日は初っ端なので、まずギブソンの話からしよっか。

 

ギブソンは楽器メーカー。エレキギターレスポールや、アコギのJ-45、ハミングバードなんかが有名やね。

ギターだけじゃなくて、マンドリンバンジョーも作ってる。そもそも100年ほど前、創業の頃、ギブソンマンドリンメインのメーカーだった。
フラットマンドリンっていう楽器は、今やカントリーやブルーグラスの主役だけど、19世紀までマンドリンといえば、ラウンドバックのクラシックマンドリンしかなかった。ギブソンの創業者オービル・ギブソンさんによるフラットマンドリンの発明は、新しい音楽ジャンルを生むほどのインパクトを、音楽界にもたらした。

そこから始まったギブソンの歴史。
あの独特のギターサウンドも、マンドリン造りで培ったノウハウに根ざして生まれたもの。

もともとガットギターメーカーだったマーチン社とは、そもそものルーツが全く違うのだ。

僕はギブソンのアコギの音が大好きで、好きなギターを見つけては買ったり売ったりしてきた。
そんなこんなするうちに、部屋の中はいつも楽器がゴロゴロしてて、いつのまにかこんな状況になってきた。

f:id:sugoikarada:20190402140647j:plain

※アンプがフェンダーなのは、まあ笑ってスルーしてくれ。

手前にあるケースの中のマンドリンGibson A-4)は1916年製、その横のカタツムリみたいな渦巻きがついたギター(Gibson Style O)は1920年製。どっちも、ほぼ100歳やね。

好きな音を追いかけているうちに、だんだん、こういう古い楽器に目が行くようになってきた。
新しい楽器ではなかなかない、枯れた、奥深〜い、いい音がするんだ、これが。

ちなみに、音楽ジャンルで僕が好きなのは「ラグタイム」。
これは20世紀初頭にアメリカで大流行したダンス音楽で、そのスタイルの創始者ラグタイムキングと呼ばれる作曲家スコット・ジョップリンは、1917年まで生きている。
つまり、右のマンドリンはぎりぎり、ジョップリンと同じ空気を吸っていたことがある楽器ってことになる。

この頃のスタイルの音楽に傾倒している僕が、当時生まれたの楽器の音色に魅せられるのは、まあ当然かもしれないな。

というわけで、こんな感じのネタをぼちぼち書いていきますのでよろしく。