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引っ越しました。テーマは「断捨離」

生活

10月の初めに、引っ越した。

 

15年以上住んだ分譲マンションを手放して(いや、手続き上はまだ手放してないけど、手放す予定)、賃貸に逆戻り。

 

“逆戻り”っていう表現は、一般的な常識からいえばそういうことになるのだろうなと思って使った言葉で、自分の中では全然そう思っていないのだけど。

むしろ、いろんなものを手放したいと思って引っ越したので、手放せたことを喜んでいる(いや、だから正式にはまだ手放せていないのだけれど、気持ちの上ではもう手放した、ってことで)

 

一言でいうと、「断捨離」だな、これは。

 

 

部屋だけじゃなく、ずいぶんたくさんのものを手放した。
本は半分ぐらいに減ったし、音楽CDは3分の1ぐらいになった。
ギターも、手元に残ったのは2本だけ。(バックパッカーを入れても3本)

・・・いやまあ、普通は複数持ってるだけでも十分多い部類だろうけど、なにしろ今までは10本近くあったからね。

長年の生活でたまったものを手放して、いろんな意味で、身軽になりたいと思った。ちょうどそんなタイミングだったのだと思う。

人間は、行きていく中で、いろんなものを手に入れ、身につける。
持ち物もそうだし、知識や常識、思考パターンもそう。
日常的な所作やふるまい、クセ、手で覚えた技術なども、身につけたものに入るだろう。

そういうものが総合されて、今の自分を形作っている。

そういったものが、生きていくうえで助けになるのは間違いない。
大半は、「こうやったらうまくいく」という経験を踏まえて身につけたのだから、助けになるのが当然だ。

でも同時に、そうやって積み重なった経験や知識やスキルや持ち物は、自分の行動や思考や感性の足かせにもなっていく。
いろんなものが、パターン化されていくわけだ。

そうやってパターン化され、記号化された世界観の中で、自分や世の中のことがだいたいわかったような気分になる。
「まあ、たいていのことはこんな感じにしておけば間違いない」という見通しがたてられるようになるわけだ。
ある程度の年齢に達した人なら、だれでもそういう部分を持っているはずだ。

それが、自分を制限している。
たぶん、そんな感覚が高まっていたのだろう。

守破離」っていう言葉がある。

wikiではこんなふうに解説している。
「まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。」

経験から身につけたパターンは、ある意味、師匠から教わった型のようなもの。
その中には一定の知恵やワザが含まれている。
でも、どこかの段階で、その型を破らなくてはいけないときが必ず来る。
破って、離れないと、その次の段階に進めない。

というわけで・・・

いまは、引っ越して、身も心もずいぶん身軽になったことを実感している。

それで、今思っているのは。。

「だいたいわかった」と思っていることを、きちんと自分の五感で触れて、実感し直していきたい。
本で読んだ場所に行き、テレビで見たものに触れ、頭で理解したことを実践してみる。
せっかく身軽になったんだから、そういうことをできるだけやっていきたいと思っている。

その第一弾、といっていいと思うけど、、

先月、鈴鹿サーキットで開かれたF1グランプリを見にいきました。

はい、サーキットで生で見たのは初めてでした。

素朴な感想ですが、、、やっぱり、生で見ると違うね~
テレビとは全く、全然、根本的に、違います。

その話はまた後日。