ギブソン,ももクロ,ラグタイム 

Gibsonのギターと、ももクロ、ラグタイム音楽を愛する物書きおじさん、北村昌陽のゆるゆる音楽ブログ

ケータイ更新というミッションを前にした憂うつ

年が明けたあたりから、喉にひっかかった魚の小骨のように、頭の片隅から離れない懸案事項がある。

 

ケータイを換えなきゃ。

 

1月中に換えなきゃ。

 

僕がいま使っている携帯電話は、、、

これは何年から使い始めたんだろう? カシオのガラケー。もう相当な年代物だ。

 

、、、と思ってサクッとググってみたら、2010年発売のモデルとわかった。

 

time-space.kddi.com

 

これの赤いやつ。

 

当たり前だが、当時はピッカピカの最新機種だった。

いかにもタフっぽいデザインが気に入って、即決で購入した。

 

たぶん8~9年も使ってると思う。

 

いつだったか、床にがしゃんと落とした時の衝撃で表葢の液晶ディスプレーが壊れた。

タフさが売り物の機種にしてはもろい壊れ方だった。。

 

だから、「着信がありました」のような表示は、蓋を開けないと確認できない。

それ以降、電話をもらったのに何日も気づかずに放置、、みたいな事故が、しばしば起きる。

 

そんな末期的な状態になってから、すでにもう、1年以上経つ。

 

これまでにも何度か、そろそろ新しいものに替えよう、と思った。

 

でも、なんだか面倒で、結局そのまま放置してきた。

 

去年の暮れ、僕が契約しているキャリアからお知らせのメールが来た。

 

2年縛りの契約が2018年12月で更新時期を迎えるので、今ならいわゆる違約金なしで機種変更とかをするチャンスだよ、と。

 

その期限が、今月いっぱいなのである。

 

僕のことだ、このチャンスを逃したら、さらにあと2年、この壊れかけた(というか、もう壊れてる)ガラケーを使い続けかねない。

 

その期限が、、あと10日あまり、なのである。

 

これを逃してはいけない。

 

、、、と、そう思えば思うほど、心の中がなぜだか重く沈み、あーあ厄介な案件を抱えたなぁ~みたいな憂鬱な気分がこみ上げてくるのである。

 

客観的に見れば、些細なことである。

たかだかケータイ一つ買うだけの話だ。

ビッグカメラでもヨドバシでも、キャリアのショップでもいい、さっと出かけて機種を選んで「これにします」って言えば、あとは店員さんが笑顔で全部、やってくれるだろう。

 

なのに、僕の頭はなぜかそれを「厄介な案件」と位置づけ、無意識のうちに遠ざけ、あわよくば先送りしようと目論んでいる。

 

おかしなことだ。

 

たぶん、この種のがシェットが好きな人には、決して理解できない心理だろう。

 

世の中にはきっと、新しい端末を買いに行くことを考えただけで、心がウキウキワクワクしてくるような人だっているはずだから。

 

いったい何が憂鬱なんだろう。

 

こんなふうに、理屈ではうまく説明できないような形で、こころの中に不快な感情が湧いてきておさまらない、、といった場合、たいていその奥に、その人が無意識のうちにしがみついている、ちょっと不思議な、どこか歪んだ価値観(世界観、人間観)が居座っている。

 

だから、何かイヤな感じの感情が心をおおって離れない状況は、自分の価値観の世界を掘り下げてみる絶好のチャンスといえる。

 

、、、まあ、不快な心理の奥にあるものを覗くのだから、気持ちのいいものではないけどね。

 

でも、いつまでもそういうイヤな気分を抱えてるよりはいいよね。

 

というわけで、僕の心は、どんな妙なロジックでこの件を憂鬱なものと捉えているのか、この場を借りてじっくり考えてみたいと思う。

 

そもそも自分にとって、携帯電話はどんな存在なんだろう?

 

僕が初めて携帯を手にいれたのは、、、、あれはたぶん2000年頃。年齢は30代の後半ぐらいである。

 

当時、僕は某健康雑誌の編集部に勤める会社員だった。そのころ、携帯電話はすでに世の中に広く普及していたけれど、僕はなんとなくそれが好きになれなくて、手に入れていなかった。

 

9月頃だったと思うが、編集長が僕のことを高く買ってくれて、僕はヒラ編集者から副編集長へ昇進することになった。

 

その内示が出た日あたりだろう、編集長が、小さな箱を持って僕の席にやってきた。

 

「キタムラちゃん、これ、プレゼント」

 

箱を開けると、携帯電話が出てきた。

 

「これからは、さ、いままでみたいにしょっちゅう所在不明じゃ困るのよ。キタムラちゃんがつかまらないと、みんなが困るから。だから、これ、必ず持っててね」。

 

そう、僕にとって携帯電話の始まりは、「誰かが僕を捕まえるための道具」だったのである。

 

で、、、考えてみれば僕は、携帯の時代になる前から、そもそも「電話」という装置があまり好きじゃなかった。

そこでも結局は、「誰かが僕を捕まえに来る」という感覚が苦手だったように思う。

 

というのも、、、その「好きじゃない」という気持ちが湧いてくる上で、自分が電話という存在をどういうものと捉えているか、自分の中のイメージを探ってみると、、、

 

僕はどうやら、電話のことを、「誰かが自分の領域にずかずか割り込んでくる道具」みたいなイメージで捉えているのである。

これ、、たぶん世の中の半分ぐらいの人は、電話のことを、これと真逆のイメージで捉えていると思う。

「自分が誰かのところに自由にアクセスする装置」という捉え方だ。


こっちの立場に立てば、電話は自由の象徴になるんだろう。


一方、僕が採用している立場でいくと、電話とは実に図々しく鬱陶しい存在になるわけだ。

 でもって、、、その鬱陶しい方の見方のさらにその奥には、、、

 

できれば自分は、誰も勝手に入ってくることができない「安全な領域」の中に、なるべくいつも収まっていたい、という価値観がある。

もちろん、現代の大人である以上、いつもその中にいることはできない。社会生活を営むために、日々、安全領域の外へ出て行く必要がある。

 

それは、生きるために仕方のないこと。社会人としての義務であり、使命である。

 

でも、その義務を果たした後は、誰も入ってこない安全な空間に戻って、ほっとしたい。

 

、、ということは、、こっち側の世界観に立っている僕は、無意識のうちに、世の中のすべての人を「自分の安全を脅かす(脅かしかねない)存在」と位置付けていることになる。

 

世界はすべて、敵。

 

これは、わかりやすいイメージをいうなら、ゴルゴ13。(笑)

 

いつなんどきも自分を狙う敵に対して警戒を怠らず、常に壁を背にして立ち、背後に回った相手は敵とみなして容赦なく攻撃する。

近寄るな、さもなくば、撃つぞ!

あんな感じで、いつもぬかりなく、張り詰めて生きる。そんなセルフイメージが、自分の心の奥底に宿っているのである。

 

で、、そんなふうにして日々、しっかり警戒して、しっかり守っている安全領域に、ずかずかと侵入してくる代表的な存在が、携帯電話。

 

てことは、ゴルゴ的セルフイメージにとって、携帯電話もたぶん敵になるんだろう。

 

そいつが、自分を捕まえるために、しばしば安全領域へ勝手に入り込んでくる。

、、、というのが、僕の深層心理からみた携帯電話の基本的な姿。


そして今回、そこに、「1月中に更新」という設定が盛り込まれた。

これは一種の「締め切り」、つまりは、自分を追い詰める仕掛けだ。

なんてことだ。ただでさえ目障りな相手なのに、ますます鬱陶しい存在感を放っているではないか。

 

近寄るな、さもなくば、本当に、撃つぞ!!!

 

、、、という感じの厄介な相手だから、できるだけ、関わりたくないのである。

 

、、、ふーむ、なるほど~~

 

いやー、、でも、さ、、

 

ゴルゴ13ならきっと、携帯とかのガシェットも、当たり前のように最新機種を使いこなすよね、きっと(笑)

 

まあ、こういう妄想上の理屈に突っ込んでも仕方ないんだけど、さ。。

 

とりあえず、そんなふうにまぜっかえしたくなるほど、筋の通らない、突っ込みどころ満載のロジックである。

 

で、、、こういう偏った世界観の土台の上に、ちょっと不思議なロジックが積み重なると、、、携帯を更新するというささいなミッションが、実に厄介な、頭痛の種のように思えてしまう、というわけだ。

 

なんかねぇ、、、不思議だよねー人間のこころって。

 

でも、、その妙ちくりんさがまた、人間の魅力だったりもする。

 

不ぞろいで、突っ込みどころ満載だから、面白い、愛おしい。

 

・・・ってな感じでいろいろ笑えるようになれば、憂うつな気分もたぶん自然に晴れていくんだろう、そんな気がする。

 

ま、、、たぶん明日ぐらいには、どっかのショップに行くよ、きっと。