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【ももクロ考その9】ももいろフォーク村、失敗の効能

ももいろクローバーZ こころ ギター、音楽

 週の頭からいろいろバタバタしてて、28日(月)放送の「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」、録画していたのを昨日になってようやく見られた。

 

 今回は、「Girls' Folktory16」と題して、ゲストミュージシャンが次々に登場する豪華な流れ。いまや準レギュラー格のコアラモードや、声優でアニメシンガーの豊田萌絵さん、スターダスト系各グループの紫カラー担当者で作ったユニット「紫しぶき」の面々など、バリエーション豊かな構成でした。

 

 いやぁ、実に面白かった。

 

 昨日の昼ころ、初めて見た。夕方にもう一度、さらに夜中になってからもう1回見た。そして今もまた、見ている。

 

 それぐらい、よかった。

 

 この番組はいつも楽しく見ているけれど、今回はほんとにいい!

 

 何がいいかというと、、、これ、けっこう逆説的な話になるので、もしももクロや番組の関係者がここを読んだらがっかりするかもしれないのだけど、、、今回は、この番組のスタート当初に匹敵するほど、放送中のミスや事故的なハプニングが、ひさしぶりにバンバン出たのである。

 

 それが、良かった(ごめん、、、でも、それが正直な感想なので。。)

 

 ももいろフォーク村も3年目に入り、ももクロメンバーたちは生番組でそうとう鍛えられてきた。いろんな歌が上手く歌えるようになったのはもちろん、とっさのトークとか、リアクションとかも、最近は随分洗練されてきたように思う。

 

 それは、パフォーマンスを生業とする者にとっては大事なことだろう。

 

 ただ、、この番組が始まったころの、ワチャワチャっとしてどう転ぶかわからないカオスなおもしろさは、少し減ってきたようにも思っていた。それがちょっと、残念だったのだ。

 

 ところが今回は、幸か不幸か、その感じが戻っていたのである。

 

 なぜそうなったのかと考えると、ひとつは最近のももクロのスケジュールにあるだろう。メンバーは11月の中盤、ハワイ~ロサンゼルス~ニューヨークというアメリカツアーに出ていたようだ。この間は、米国内を移動していたわけで、この番組のための練習やリハーサルをする時間はほとんどなかったようだ。

 

 だから、曲の構成、例えばイントロや間奏が何小節なのか、エンディングに向けて何回繰り返すとか、そういう部分のすり合わせなどもあまりすりあわせできなかったと思われる。、、ていうか、そもそも曲を覚える時間も不十分だったかもしれない。

 

 加えて、、杏果は、26日(この番組の2日前)に、大分でソロコンをやっている。杏果のことだから、たぶんステージ上で完全燃焼して、28日は体調的にも結構厳しかったんだろうと思う。

 

 と、、、そういう事情があったから今回は仕方ないよね、、、、と、僕はそういうなぐさめを言いたいわけではない。「失敗が多かった」ということの中には、「仕方ない」を超えてむしろ「積極的に評価できる」面も多々あると、僕は本気でそう思っているのだ。

 

 まずひとつ目。「失敗が出た」というのはあくまで一つの側面であって、それはすなわち、全体としてとてもライブ的な、予定調和ではなく即興的な、出たとこ勝負の要素が多い構成(状況)だったことを意味する。

 

 それゆえに失敗に至った部分もあっただろうけど、それゆえに、非常にスリリングでテンションの高い演奏ができた部分も、多々あったはず。だから、おもしろかったのだ。失敗もあったけれど、失敗しかねない状況でのパフォーマンスだったからこそ、それ以上に、見せ場や聞き所もたくさんあったのである。

 

 二つ目。音楽などのパフォーマンスにおいて「失敗したくない」と思うのは、いい演奏を願うアーティストとして当然のことのように思える。。が、実はその裏側に、「人から批判されたくない」という心理が紛れ込むことが、実はよくある。

 

 「いい演奏をしたい」と、「批判されたくない」。この二つは一見少し似ているが、その実体はまるで違う。

 

 「いい演奏をしたい」は、他者からの批判を恐れない。誰がなんと言おうと、自分が美しいとかかっこいいとか思うものを一心に追求する力強い姿勢から、いい演奏は生まれる。流行りの本のタイトルにある通り、「嫌われる勇気」を持つものだけが、いい演奏を追求できる。

 

 これが「批判されたくない」になると、判断の基準は自分の外側に置かれる。「正解/不正解」「合格/不合格」のようにジャッジを下す審査員のような聴衆がいて、その判定にかなうパフォーマンスを目指す姿勢になってしまう。コンテストの採点を受けるならまだしも、そういう姿勢から創造的ないい演奏が生まれることは難しいだろう。

 

 その意味で、「失敗が出た」のは、批判を恐れず、いい演奏へ向かってチャレンジをしたことの証といえよう。この場合、たとえ結果が失敗だったとしても、伝わるものは必ずある。

 

 そして最後に3つ目。

 

 ライブなどで音楽を聴く人は、単に「技術的に高度な演奏」を聞きたいわけではない。音楽(演奏)そのもののクオリティだけを求めるなら、家でCDを聞く方が確実だ。それだけでなく、何かの形で演奏者とのつながりを感じるとか、演奏者の人間性に接するといった、時空を共有するゆえの接点を求めて、人はライブに足を運ぶのだと思う。

 

 「ももいろフォーク村」はライヴではないが、編集や修正が一切入らない生番組という意味で、極めてライブに近い性格がある。視聴者はライブを見るときのような感覚で、テレビを見ている。つまり、接点を求めて視聴しているのだ。「はがきでリクエストする」という仕組みも、その性質を高める一要因だろう。

 

 そして、この点に関して言うなら、パーフェクトな演奏をしたときより、むしろ失敗をした時の方が、演奏者との接点を持ちやすいものだ。文句のつけようがないあまりに完璧な演奏をされると、誰も何もつっこめなくなってしまう。それはもちろんすごいことではあるが、つながりたい気持ちは、かえって満たされにくい。

 

 まあ、、、もちろん一般論の前提としては、失敗は、ない方がいい。ただ、失敗をなくすことを至上の命題に据えてしまうと、失敗しないこと以上に大事なもの(聴衆の心とつながること、とか)を失ってしまう可能性が大いにあると思うのだ。

 

 そして、そこから逆説的にいうと、失敗をしたという結果は、「聴衆とつながるいい機会を持てた」と解釈することもできるわけだ。これは、必ずしも苦し紛れの言い訳だとは、僕は思わない。ライブの音楽を聴くことが好きな一個人としては、むしろ素直な心理である。印象的な失敗があったライブに参加したときなどは、「これはラッキ~」って素直に思うもの。

 

 唐突だけど、ここで音楽以外の例を挙げてみよう。

 

 僕の友人で、いまだにガラケーを使っている人がいる。彼女は、電話がボタン式のガラパゴスというだけじゃなくて、グーグルマップも使えない。だから、よく知らない場所で待ち合わせなどをすると、道に迷って、時間に大幅に遅れてしまうことがよくある。

 

 「そろそろスマホにすれば?」というと、こんな返事が返ってきた。

 

 「グーグルマップより、人に道を聞く方が楽しいよ」

 

 そして、こんなふうに言葉を続けた。

 

 「グーグルさんは間違いのない道順を教えてくれるから、確かに失敗は減る。でもその分、人に親切にしてもらう機会をなくしてるでしょ。グーグルマップなしで生活していると、しょっちゅう道に迷うから、世の中の人がとっても親切だって、毎日実感できるよ。北村くんもたまにはそのタブレットを持たずに外を歩いてみたら?」

 

 これ、すごいと思いません?

 

 彼女にとっては、「失敗しないこと」よりも、「人と接触する(親切にしてもらう)機会をなくさない」ことの方が大事。そして、失敗をしたときこそ、親切を受け取る好機なのだ。そうやってしょっちゅう親切にしてもらう(道を教えてもらっている)から、心が明るく、楽しくなるのだという。

 

 繰り返します。これ、すごいと思いません?

 

 話をもう一度、音楽に戻すと・・

 

 ライブ好きの人なら、アーティストが何かミスったときに、会場がわーっと盛り上がったり、「大丈夫~」って掛け声がかかって空気が暖かくなる場に居合わせたことがあると思う。

 

 あれは、演奏者が「ミスは絶対にダメ」って頭からガチガチに思ってると、ああいうふうにはなりにくいもの。「ミスしたらしたで、それも一緒に楽しもう」っていうぐらいにゆったりとらえているから、聴衆も安心して盛り上がれる。

 

 そして実は、それぐらいゆったりとらえている方が、演奏のクオリティーは良くなり、ミスが出る頻度は減るのだ。

 

※とはいえ自分も、演奏する側に回ると、「失敗したくない」という心理でガチガチになったりすることはある。これはまあ、まだ未熟だなぁ~って思っている。。

 

 というわけで・・・

 

 いろいろドタバタあったからこそ、今回はとっても面白かった。この雰囲気はなくさないで欲しいな、、、なんて思ってます。なかなか難しいことだけどね。