【ももクロ考その6】有安杏果の成長を後押しする「型」の存在について
久しぶりに、ももクロのお話を書きます。
しばらく前、【ももクロ考】シリーズの記事を連続でアップしました。
それを読んだある友人から、こんなことを聞かれまして。
「きたむらさんは、しおりちゃん推し?」
あーー、、確かにあの一連の話、特に第4話を読んだ人はそう思うでしょう。
しおりんのことばっかり書いてあるから。
でも、、「推し」ってわけでもないのですよ。
以前、坂崎幸之助さんがCSフジテレビネクストのトーク番組「きくちから」に出たとき、プロデューサーのきくちP氏から「だれ推しですか?」って問い詰められて、「その日によって違う」みたいな苦しい返事をしていたけれど(笑)、心情としては、僕もそれに近い。。
なので、このブログの【ももクロ考】シリーズが、しおりんフューチャーで終始してしまうのはよろしくないかな、と思ったわけです。
で、、、それでは今日は、だれの話をしようか。
僕がももクロのみなさんの姿を目にする最大の機会といえば、フジテレビネクストで放送している月1番組「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」です。
最新の回は、5月19日に放映された「玉井詩織 誕生前月祭」。
しおりんが、ピアノ弾き語り、ギター弾き語り、さらにはエレキギターまで弾いちゃうという大活躍で。
一層の「器用大臣ぶり」を発揮しているのは、嬉しい限りなのだけれど、、
うーむ、、この回をネタにすると、またしおりんのお話ばかりになってしまう。
そこで、、タイミング的に時期を逸しているのは承知の上で、、今日はその前の月(4月14日)に放映された「有安杏果生誕祭」を踏まえて、杏果のお話をしたいと思います。
杏果のキャッチフレーズは「小さな巨人」。最近は「ももクロの歌姫」なんて呼ばれることもあるようで。
確かに、あの小さな体から発せられるダイナミックな歌声は、かなりの迫力です。
「アイドルの歌だろう?」なんて油断して聞くと、きっとガツンとやられます。
4月の「ももいろフォーク村」では、、、杏果は何曲歌ったんだっけ? 10曲?
ソロ、他のメンバーとのコラボ、さらにゲストを迎えてのコラボなど、次々にすばらしい歌を聞かせてくれました。
特に印象に残った曲は、、、あ、その話はまた後でふれます。
「ももクロの魅力はその成長過程にある」というのは、ももクロファンの共通認識だと思いますが、それでいうなら、この番組がスタートして以降、最もめざましい成長を見せているのが杏果なのは、間違いないでしょう。
毎月、新たな曲を歌うたびに、新しい成長を感じます。
この番組はCSなので、過去の再放送をしょっちゅう放映しているのですが、、、以前の杏果を見ると、懐かしさを感じるほど。
いや、他のメンバーも成長してますよ。もちろん。
でも、杏果の伸びっぷりはやはり、群を抜いてると思う。
リクエストハガキでも、「杏果推しであることを誇りに思います」みたいな思い入れたっぷりの言葉が、しばしば送られてきます。
もっとも、、ももクロが坂崎さんと出会ったころまでさかのぼると、杏果の歌は、今とはかなり違っていました。
初めての出会いは、2012年夏のお台場フォーク村。坂崎さんが仕切るこのライブ番組にももクロが初登場し、メンバーの一人一人が昭和のフォークソングを披露しました。
杏果が歌ったのは、なごり雪。伊勢正三作、イルカさんが歌って有名になった名曲ですね。
まあ、、確かに当時から、歌唱力はひとり抜きん出ていたように思います。
昔から、女性アイドルの中にもたまに歌の上手い人はいましたが、ああこの子も上手いなぁ、という印象はありました。
だけど、、「なごり雪」を歌うアプローチとしてどうだったか?と問われれば、正直、曲の魅力をあまり活かせていなかったと思う。
当時の杏果は、しゃくり的な装飾を多用する、ちょっと癖の強い歌い方。
アニソン的な感じといえばいいでしょうか。
そういう歌い方がマッチする曲も、もちろんあります。
でも、なごり雪でそれはないだろう。
・・・というのが、その歌を聴いたときの、僕の素朴な感想。
同じ感想を抱いた人は、多いはずです。
その後、2014年に「ももいろフォーク村」がレギュラー番組としてスタートし、、、その初回で杏果は「なごり雪」や「時代」(中島みゆき)を歌って、、、プロデューサーきくちP氏から強烈なダメ出しをされたらしい。
「ああいう曲は、もっとさらっと、素直に歌うのがいいんだ」と。
さて、、この指摘には、歌唱技術の方向性にとどまらない、とても大事な話が含まれていると、僕は思っています。
歌を歌うのは、「表現」の一形態です。
アーティスティックな分野で何かを表現しようとするとき、僕らはたいてい、「自分を表現」しようとします。
芸術とは自己表現である、という発想がそこにあります。
これはもちろんその通りですが、、、そこには大きな落とし穴があると思うのです。
「自分のことは、自分が一番分かっている」という落とし穴です。
自分が考える「自己」(自分の個性、自分の魅力、自分の限界、など)って、実はけっこういびつです。
はたから見れば誰もが認める魅力が、本人には意外なほど見えてなかったり(よくいますよね、十分可愛い顔してるのに「いいえ私なんて全然可愛くないの、この鼻も、この目も嫌い」みたいなことをとうとうと言い立てるやな感じの女子)、、、
「俺らしさ」という名目のよくわからないこだわりポイントにしがみついていたり(これはどっちかというと男子か)、、、
勝手に「私はこの程度」って決めつけてみんなが羨む能力や資質を本当にくだらないことに浪費してたり・・・
いやいや、人のこととは言えません。僕自身、たぶん外から見たら、しょっちゅうヘンテコなことをやってるに違いないので。
まっさらな自分の姿をあるがままにとらえ、受け入れるのは、なかなか難しいことです。
そういうゆがんだ自己イメージをベースに構成される自己表現は、、当然、ゆがんでいます。
まあ、、そのゆがみっぷりがなんらかの魅力を発するケースもあるでしょう。むしろ、ある意味では、芸術とはそういうことかもしれない。
だからまあ、全否定はしません。
ただ、、、そういうアプローチに終始していても、人間として成長するのはなかなか難しい。いつまでも、同じゆがんだ認識、同じ思い込みの中をぐるぐる回っていることになりかねない。
そんな場合に大事な役割を果たすのが、「型」です。
型っていうのは、武道をやっている人ならおなじみの、あれです。繰り返し練習する基本動作のこと。
職人的な技能や、楽器演奏、スポーツなどの分野でも、誰もが繰り返して取り組む基本とされるものがあります。
ヨガや太極拳、呼吸法などのポーズも、型と捉えていいでしょう。
初心者は必ず、そういうものを何回も何回も練習させられます。
「練習させられる」というスタンスで取り組むなら、これほどつまらないものはない。
だけど、、自分の勝手な思い込みや癖を外し、その奥にある真の自分の個性(魅力)を発見しようとするときには、、、「型」は大きな威力を発揮します。
先人の知恵が濃縮された定型スタイルに自分を当てはめることで、変な自己流の癖がそぎ落とされるのです。
そして、最初は違和感を感じる型の動きが、練習を通じて体になじみ、自然に思えるようになった頃、、、自分の中に眠っていた(自己流の癖のせいで隠されていた)力が、表に出てくるようになる。
まあ武道とかの話はおいといて、、、杏果の話に戻りますね。
「なごり雪」ほどに多くの人に愛され、歌われてきた歌には、その楽曲自体の中に、大きな魅力が宿っています。魅力ある曲だから、年月を超えて生き残ってきたといえます。
「素直に歌う」っていうのは、そういった「曲自体が持つ魅力」を信じ、それが現れるように歌うことでしょう。
自分なりの解釈は一旦横に置き、曲自体が歌いだすように、忠実に、丁寧に、歌う。
たぶん杏果は、きくちPさんの指摘を踏まえて、そういう発想で楽曲と向き合うようになったんじゃないかな。
そういう発想で名曲を歌うとき、、その曲は、型として機能する。
思い込みや癖に隠れて、自分も気づいていなかった魅力が、現れるのです。
本物の個性は、「我」を捨てて空っぽになったところに、自然に浮かび上がるのです。
こういうことを積み重ねて、人は成長するのだと思います。
「ももいろフォーク村」での杏果は、それまでのももクロ楽曲とはひと味もふた味も違う、素敵な歌声を聴かせてくれました。
とってもナチュラルで、あったかくて、すーっとこちらの心に染み込んでくるような歌声。
おそらく彼女自身も、さまざまな歌を歌うことで、自分の体から発せられる新しい個性や魅力をたくさん発見したに違いありません。
しかも、、、幸か不幸か、杏果は「ももいろフォーク村」が始まる前から、喉を痛めて、新しい発声法に取り組んでいたそうです。
喉に負担をかけない、より自然な歌い方を試す機会として、「ももいろフォーク村」がちょうどいいタイミングで巡ってきた、とも言えます。
そういう意味で、あの番組で、選りすぐりの名曲や難曲をあてがわれる杏果は、シンガーとしてすばらしい成長の機会をもらっているといえるでしょう。
実際、彼女がきくちP氏や音楽監督の武部さんから目をかけられて、「かわいがられて」いるようすは、画面を通じてもビシビシ伝わってきます。
だから、あんなにすごい勢いで成長してきた。
たぶん、これからもっとすごくなっていくでしょう。楽しみです。
さて、、、ここいらでちょっと話を戻します。
4月14日放送の「ももいろフォーク村ネクスト」で、僕の印象に残った曲はどれか。
「すごかった」という意味では、バックコーラスにアマゾンズのメンバーが入った、久保田利伸の曲「Missing」が最高にすごかった。後ろで聞いていたほかのメンバーも、思わず歓声をあげていましたね。
あるいは、中島みゆきの「時代」や、小坂明子の「あなた」といった昭和の名曲でも、すばらしい歌を聴かせてくれました。
でも、、、印象に残ったのはどれ?といわれたら、ちょっと違うところを、僕は挙げたい。
ももクロの他の4人とそれぞれコラボした、以下の4曲です。
Best Friend (杏果&れに/Kiroro)
奏 (杏果&詩織/スキマスイッチ)
「自分では気づいていない自分の魅力が引き出される」ためのアプローチとして、先ほど「型」の機能をお話ししましたが・・
もう一つ、同じような機能を果たすものがあります。
それは「人との関係性」。
人間関係の中で、ある人の思わぬ面が強く表に出る、というのは、誰でも経験があるでしょう。
普段はクールな人が特定の相手の前ではメロメロに優しくなるとか、家では末っ子の甘えん坊なのに、近所の小さな子の前ではお兄ちゃんっぽく振る舞うとか、、そんな話。
上の4曲では、まさにそんな形で、ソロで歌う杏果とはまた違う、とっても素敵な魅力が引き出されたように、僕には感じられました。
ソロの場面では「私はこんな人」っていう自分が設定した枠の中にとどまりがちだけれど、ほかの人との関わりの中では、思わぬ自分が露わになるのです。
具体的に言うと・・・
れにちゃんはたぶん、ももクロの中で杏果と一番の仲良し。そんなれにちゃんからちょっかいを出されて、杏果は歌ってる最中に何回か、「普段の顔」に戻ってしまいました。
まあ、つい油断してしまった(油断させられた)わけですね。
プロ意識の強い杏果のことだから、もしかしたらそんな瞬間を「やられた・・」と振り返っているかもしれないけど、見ている側としては、それはぽっと心温まる瞬間。
れにちゃんとの絡みでなければ現れない、素敵な素の表情でした。
夏菜子と杏果は同い年。この2人の間には、他のメンバー間とちょっとだけ違う、同級生にしかない「お前にだから頼めるんだよ」的な信頼関係が通じているように思えます。
言葉の上では、笑いを取るために相手をいじったり突っ込んだりするやりとりの背後に、そんな2人のつながり感が垣間見えて、「ああ、いい関係だなぁ~」って感じられる、とてもいい時間でした。
そんな空気を演出したのが陽水&清志郎の曲だったというのも、なんだか泣けてきます。
あーりんと歌ったのは、アニメ「マクロスF」の挿入歌で、バリバリのアイドル曲。たぶん杏果ひとりではまず歌わないタイプの歌だと思います。でもあーりんとペアになると、杏果はがぜんアイドルスイッチが入るようです。ぶりっぶりのアイドル風振り付けも決まっていました。
「あー、杏果もアイドルなんだな」という、微笑ましい気持ちになりました。
そして、しおりんとのコラボは、スキマスイッチの、難易度の高い、歌い甲斐のある曲。主旋律とハモりのパートが互いに入れ替わる複雑なコーラスアレンジにチャレンジするのに、いま伸び盛りのしおりんは絶好の相方でしょう。
演奏中、生放送ならではのハプニングがありました。
2コーラス目に入るところで、2人が歌いだすタイミングを取れず、伴奏だけが進んでしまったのです。
で、、そこは2人とピアノの武部さんがとっさにアイコンタクトをとって、曲のリズムを壊す事なく数小節先から歌が入り直し、、とりあえず、事なきを得ました。
それで、、、曲が終わった時、、杏果はちょっと顔をゆがめて「ごめんごめん」っていう表情を浮かべた。
対してしおりんは、、、「あーよかった!やりきった!」っていう満面の笑みで、杏果をガッとハグしました。
これ、なかなか対照的な反応でした。
アーティストとして技術を高めていく上では、杏果のような理想を追求する姿勢はとても大事。彼女の成長を支えている重要な要素でしょう。
でもエンターテイナーとしてとらえるなら、しおりんのような楽天性はとっても大切。理屈抜きに、見ている人の心をパッと明るくしてくれます。
そういうキャラ同士がペアを組むことで、お互いにいい刺激を与えあうことになるんじゃないかな。
杏果は、5人の集団でわやわやっと盛り上がるような場では、ちょっと退いてしまうようなところがあるようです。
それはまあ仕方ないとして、でも個別のペアでのコラボという状況が設定されれば、それぞれの関係の中で、それぞれの関わり方が浮かんできて、さまざまな表情が出てくる。
5人だと薄まってしまいかねない関係性が、1対1で向き合うことで、強く現れるのです。
たぶん、ほかのメンバーにとっても、杏果と1対1で組んで歌うのは、何かと刺激的な経験なんじゃないかなぁ。
ということで、、、こういう感じのグループ内コラボを、これからももっと見てみたい、というのが、僕の希望です。
まあ、、、そう思うなら、僕がそういうリクエストハガキを送ればいいってことですけどね(笑)