だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

「骨ストレッチ×トレイルラン」イベント

昨日は、葉山で開かれたイベントに参加してきた。

 

テーマは「骨ストレッチ×トレイルラン」。

 

「骨」に注目して体の動きのメカニズムを劇的に変える身体メソッド「骨ストレッチ」と、路面が整備されていない自然の中を走りまわるワイルドなスポーツ「トレイルラン」のコラボイベントだ。

 

僕はちょうど1年前ぐらいから骨ストレッチのセミナーに通い始め、今ではすっかりハマっている。

体の動きやイメージがどんどん変わっていく感覚が、とても面白い。

 

このメソッドを作った松村卓さんは、もともと陸上短距離の選手。ということもあって、骨ストレッチのメソッドには、「走る」動作に関連した動きが多い。

肩甲骨や鎖骨、肋骨、骨盤まわりなどに働きかけるポーズの多くが、そのまま走るときの動きのイメージと重なる。

 

では、骨ストレッチはランニングメソッドなのか? いや、そういうことではない。

 

「走る」動作は、人間の身体活動の中で最も基本的な動きなので、これを滑らかにするアプローチは、あらゆる身体活動とつながる。

「走る」ことはある意味、人間の根源なのである。

 

で、、、一方のトレイルランは、単にスポーツとして自然の中を走るだけではなく、「走る生き物」としてのホモ・サピエンスの本性を取り戻そうという、自然回帰的なムーブメントの側面も持っている。

 

そんなムーブメントの原点と言えるのが、日本では2010年に発売された「Born to Run」という本。

メキシコの峡谷をほとんど素足で走る民族、タラウマラ族の姿を追いながら、人間にとって「走る」とは何なのかを問いかけていく。

世界中のトレイルランナーがバイブル視する名著だ。

 

この本の日本語版編集を手がけたのが、今回のコラボのもう一人の主役、NHK出版編集長の松島倫明さん。書籍編集業の傍ら、自らもトレイルランナーとして山野を走り回っているという。

 

こんな二人のコラボが、面白くないわけがない。

 

見どころはいろいろだが、あえて大胆に言い切ってしまおう。

日頃から自然の中を走り、体の中の自然(=走る本性)を追い求めている松島さんが、骨ストレッチというメソッドに接したときに何を感じるか、が、このイベントのメインテーマだと思う。

 

会場は、葉山の一色海岸にほど近いイベントスペース。前半はそこで2人がトークしたあと、海岸に移って実際に骨ストレッチをしながら、砂浜を走ってみた。

 

風を受けて、波打ち際を走る爽快感。

 

いつまでも走っていられるような、不思議な感覚が湧いてくる。

 

結論を書いてしまおう。

 

イベントの最後に今日の感想を問われた松島さんは、こんな話をした。

 

「今日は、何か技術的な指導を受けて、頭が情報でいっぱいになるような想像をしていましたが、全く違っていました。むしろ、『気持ちよく走る』という最も根源的な感覚の見つけ方を教えてもらった気がします」

 

そう。骨ストレッチの面白さは、実はこのあたりにあると、僕も思っている。

 

骨ストレッチでは、一つ一つのポーズ(体操やマッサージのようなもの)による体の変化を、自分の体感で丁寧に確認していく。

なんらかの体操を行うと、それによって体が変化する。その変化を、自分の感覚(気持ちいいか、よくないか、腕を回したり前屈したときの動きやすさは変化しているか)でいちいち確認し、実感していく。

 

そういうプロセスを積み重ねることで、「より楽に」「より無駄なく」動ける感覚を、身につけていくわけだ。

 

こういうやり方は、骨ストレッチの専売特許ではない。

僕が知っている範囲でも、例えば沖ヨガ協会理事長として内外で広くヨガ普及に取り組む龍村修さんが、同じようなアプローチを重視している(「いくらポーズが上手くても、そういう体との対話をしなければヨガではない」とまで言い切っている)。

また、体を動かした時の快感覚を重視するという意味では、操体法も同様の捉え方ができる。

 

だからこれはおそらく、内観力を高めるための常道なのだろう。

 

にもかかわらず、、、実際の実践では、こういうアプローチは軽く扱われることが少なくない(と僕は感じている)。

 

特に、、スポーツの分野では、ほとんど無視されている。

 

「基本の反復」「限界を超えろ」「練習は裏切らない」といったスローガンのもとで、体が発するメッセージ(快、不快、痛み、楽しい、など)は、いとも簡単に見捨てられる。

 

そうやって体を壊すアスリートが、山ほどいる。

 

なぜそうまでして、頑張ってしまうのか。

 

松村さんの説明は単純明快だ。

 

「脳(大脳)は、がんばることが好きだから」

 

「俺はこれだけやった!」という脳の充足感を追いかけてしまうと、体の声は簡単に消されてしまうのだ。

 

さらに大きく言うなら、、、人類の文明史は、一貫して脳が自然を管理しようとするプロセスと捉えることができる。

農耕、交通、土木、建築、医療。衣類だってそうだ。

「自然の好きなようにさせないこと」「ああすればこうなるという(脳にとっての)秩序を拡大すること」が、有史以降の人類史(とりわけ西欧起源の現代史)を貫くベクトルだ。

 

そんな脳から見れば、体も自然現象の一部。だから、「限界を超えて頑張る」ことによって制圧したくなる対象なのだろう。

 

まあ、、、制圧することで生活が快適になった面はとても大きいので、そんな脳の功績を全否定する気はさらさらありませんが(笑)

 

でも、、、少なくとも「体を動かす」という分野においては、脳の意見は、たいてい邪魔である。

 

これは、人類進化における直立二足歩行の起源を考えれば、納得できる。

 

人類の祖先が、チンパンジーとの共通祖先から分岐したのは、今から約700万年前と言われている。

直立姿勢を獲得したと確認されているのが、450万年ほど前のラミダス猿人。

320万年ほど前のアファール猿人(ルーシーの愛称で知られているやつ)では、ホモ・サピエンスに近い、土踏まずを持つ足が確認されている。ちょっと戻って360万年前のタンザニアのラエトリ遺跡からは、二足歩行の足跡が見つかっている。

 

この頃、二足歩行のしくみはすでに出来上がっていた。

そんな彼らの脳の容積は、チンパンジーと大差ない。

 

大きな脳を進化させるよりはるか前から、人類の祖先は、二本の足で立ち、野山を駆け巡っていた。

 

二本の足で動くのに、巨大な脳は必要ないのである。

 

物事を複雑にしたがる脳の意向をちょっと横に置き、体の奥に宿る「走る」システムを蘇らせる。

こういう文脈から見れば、骨ストレッチとトレイルランニングは、同じ目標を目指す営みと捉えることができる。

 

そして、目指すプロセスの道しるべになるのが、「気持ちよさ」という、体が発するメッセージ。

 

そんなことを、葉山の風光明媚な海岸で実に気持ちよく実感できた、素敵なイベントだった。

 

主催者の長沼さんのブログはこちらです。

 

little-sanctuary.net