だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

【私的告白】最近、ももクロにはまってます

今日は、ちょっとしたカミングアウトから話を始めたい。

 

最近、僕は、「ももクロ」にはまっている。

 

あの人気女性アイドルグループ、ももいろクローバーZである。

 

各自のテーマカラーコスチュームを身にまとい、アクロバティックなダンスをしながら歌いまくる5人組少女である(いや、いまやメンバーの大半が20代になったのでもう少女という形容はそぐわないが、、、でも、雰囲気はいまでもそんな感じだ)。

 

テレビのレギュラー番組を録画しては繰り返し視聴し、ライブDVDを買い、主演映画のDVDも買い、ファンクラブに入り、この春のドームツアーチケットにも応募した(抽選で外れたけれど・・・)。

 

いいおっさんが何してるんだか、と思うかもしれない。でもどうやらももクロにはおっさんファンもかなり多いらしい。心強いことだ。

 

かみさんはあきれている。

「いいおっさんが何してるんだか」と思っているのは想像に難くないが、あきれる理由は多分それだけではない。

 

僕のこれまでの音楽的志向から考えて、「アイドル音楽」というのは、最も縁遠いものだったはずだから。

 

自分でも、そう思う。だから正直、驚いている。

 

僕は中学生の頃からギターを弾き、10年前ぐらいまではアコギ1本でインストライブをしたり、ギターのオムニバスCDに自分の楽曲を提供したり、といった活動をそれなりに活発にやっていた。

 

そういうアーティスティックな活動をする人間の一種の性(さが)として、「どんな音楽が好き?」と聞かれたときは、知る人ぞ知る通なミュージシャンの名前を挙げることに、一種の喜びを感じていた。

 

もちろん現代社会に生きているのだから、流行りの音楽を歌う人気者の名前も知らないわけではない(詳しくはないけどね)。

 

でも、アイドルとか、そういう名前を出すのはあんまりかっこよくないことだと、どこかで思っていた。

 

それがいきなり、ももクロである。

 

そりゃあかみさんも「何が起きたんだ?」って思うだろう。気持ちはわかる。

 

何が起きたのか、ことの次第をなるべく手短に説明しよう。

 

きっかけは、3年半前の夏。

 

当時、アルフィー坂崎幸之助さんが取り仕切る「お台場フォーク村」というライブTV番組があった。お台場のライブハウスに、フォーク系を中心とするゲストミュージシャンを集め、各自の持ち歌や過去の名曲を歌ったり、思いがけない組み合わせのコラボ演奏をしたり、、というイベント。3時間を超えるその模様は、フジテレビ系のCSチャンネルで生中継されていたのだが、進行があまりにゆるいのでたいてい1時間以上オーバーになって最後まで中継されず、後日完全版を流す、というフリーダムなノリの番組だった。

 

坂崎さんの広い人脈と音楽性に裏打ちされた良質な音楽番組として、僕は毎年、この放送をけっこう楽しみにしていた。確かこの2012年が10周年目だったと記憶している。

 

そのイベントに、ももクロがやってきたのである。

 

その時点で僕は、「ももいろクローバーZ」という名前は一応知っていた(と記憶している)。まともに曲を聞いたことはなかったが、「にぎやかに踊る少女アイドルグループ」ぐらいのイメージだった。

 

だから、そんな得体の知れないアイドルをこの良質な音楽空間に呼んだ坂崎さんは、何をとち狂ったのか、と、そんな心境だった。

 

演奏が始まった。最初は彼女たちの持ち歌。それはまあ、いいとしよう。

 

問題は、各自がソロで歌った、懐かし目のフォーク系の歌。

 

控えめに言っても、、、聞くに堪えなかった。音程はずれる。テンポも怪しい。お客さんが凍りついていくのが、手に取るようにわかった。ほとんど放送事故のレベル。

 

まあ、、、普通に考えたら、そんな姿を見せられたアイドルグループに関心を持つことなど、考えられない。もともと興味もなかったのだし。

 

ところが、、、なぜかその番組をきっかけに、僕はももクロに興味を持ち始めた。

 

おかしいよね。

 

こんな説明で誰も納得できるはずがない。書きながら自分でも、そう思う。

 

でも、自分の中の何かが、その時に見たももクロの姿に反応し、惹かれていったのである。

 

「何か」って何? その時点では、自分でもよくわからなかった。

 

まあともかく、、、事実として、それからの僕は、テレビの番組情報欄で「ももクロ」という名前を見つけると録画して見る、という行動をしばしばとるようになった。

 

そして2014年。「坂崎幸之助のももいろフォーク村」という月1回の生番組がスタートした。坂崎さんとももクロがレギュラーとして、毎回ゲストミュージシャンを呼び、視聴者からハガキでリクエストを受け(twitterではない、メールでもない、ハガキだ)、その曲をももクロメンバーやゲストが歌う。バックのバンドが基本アコースティック編成ということもあってフォーク系の曲が多いが、昭和のアイドル曲や、時にはきわめてロック色の強い曲も出てくるなど、バラエティーはかなり幅広い。

 

2012年には悲惨な歌を披露したメンバーたちも、毎月の生放送の中で鍛えられてメキメキ上達。いまではたがいにハモりもつけるなど、かなり上手くなった。

 

僕はこの番組を、初回から欠かさず録画してみている。いまや毎月、放送日が楽しみなほど。

 

そうやって毎回見ている中で、、、自分がももクロの何に惹かれていったのかが、だんだん見えてきた気がするのである。

 

今日は、その話を書きたいと思う(はい、ここまでは前置き。ここからが本題です)。

 

ももクロを見て、まず目につく特徴といえば、各自がテーマカラーを持っていること。

古くは忍者赤影でも採用され、さらにガッチャマントリプルファイターなどに受け継がれて、ゴレンジャーあたりで戦隊ものの定番スタイルとして定着した、かの色分けスタイルである。

 

百田夏菜子 赤

佐々木彩夏 ピンク

玉井詩織 黄

高城れに 紫

有安杏果 緑

 

・・・・いや、5人のフルネームをこんなふうにすらすらタイピングできるというだけでも、僕にとっては奇跡的な変貌なんだけどさ(笑) まあ、それはともかく。。

 

それぞれの色がどう決まったのかは知らないが、実際、それぞれの色は、各自のキャラをかなり上手く反映していると思う。

天性の華やかさをもつリーダー夏菜子は赤しか考えられないし、目鼻がパッキリしてアイドル性の高いあーりんにはかわいいピンクが、明るくてにぎやかな美少女の詩織には陽気な黄色がはまっている。紫という難しい色は不思議な個性派のれにちゃんを象徴していて、ももクロ随一の歌姫、ナチュラルで伸びのある声を持つ杏果は、緑が似合っている、、といった具合だ。

 

まあ、こういう理屈は後付けでも言えることだが、、ここでポイントは、「色分け」というスタイルが、「ももクロは各自の個性を大事にするグループだ」というメッセージになっている(と解釈できる)こと。

 

それぞれの色はキャラの違いを象徴しているが、そこに序列は発生しない。5つの異なる個性が組み合わさって、ももクロが完成する。みんな違って、どれも必須。そんなグループのカルチャーを、色分けシステムが象徴しているように、僕には思える。

 

これは、もう一つの人気女性アイドルグループであるAKB48と対比すると、意味がよくわかる。

 

AKB48には、今や国民的行事となった「総選挙」というシステムがある。

CDを買ったファンが、CD1枚につき1票の投票券を得て、自分の推しメンバーに投票する。その票数で、グループ内のセンターポジションが決まる仕掛け。

 

つまり、総選挙という単一の評価軸によって、歴然とした序列が定められるわけだ。

 

僕はAKB48のことはよく知らないのだけれど、たまに目にする写真や動画では、メンバーはだいたいお揃いのコスチュームを着ているように見える。

ただ、、これは前に紅白歌合戦を見ていて気付いたのだが、センターや最前列に位置する人(つまり総選挙で多くの票を得た人)のコスチュームは、スカートのフリルなどがちょっとだけ、特別仕様になっていたようだ。

 

まあ、わざわざ選挙をして序列を作るのだから、そこに勝ち組と負け組が生じるのは当然の結果だ。

 

メンバー各自を見ていけば、それぞれの個性はあるのだろう。でも基本的にはみんな同じ系統のコスチュームを着ることによって、単一の評価軸の元に置かれていることが示される。その中で「ここから上が上位」という趣旨の線が引かれる、、というシステムだ。

 

AKB48というグループは、マネージメント方針として(あるいは販売戦略として)総選挙という序列を採用したのだから、そうなるのが当然なのである

そして、結果として人気を得ているのだから、そのシステムは、それはそれで正解なのであろう。

 

僕はAKB48のシステムに物申したいわけじゃなくて、、、要は、ももクロのシステムとは明らかに違うってこと。

 

もちろんももクロにも、センターという概念はある。多くの曲においてリーダーの百田夏菜子がセンターポジションをとり、決めパートを歌う。でもそれは、「そういう役割が適したキャラだからやっている」ということであり、序列という概念とは質が違う。

 

wikiの「百田夏菜子」ページに、こんな記述がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%94%B0%E5%A4%8F%E8%8F%9C%E5%AD%90

 

_________

 

百田夏菜子は)当初は指名されたリーダーというポジションを嫌がり続けていた。その後、“リーダーはしっかりしなければいけない”という固定観念を外すことで、自然体で任務を果たせるようになったという。

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「しっかりする」というのは、「全体を掌握する」とか、「みんなを引っ張っていく」といった、リーダーシップ的な振る舞いをさすのだろう。

そういった類型的なリーダー像を頭から外し、ひとりの「赤担当メンバー」「センター担当メンバー」という意識になったとき、夏菜子は自然体になれた、と理解できる。

 

たぶん、固定観念が外れたのには、「色分けシステムを採用しているグループ」ゆえの序列感のない雰囲気が、有効に働いたんじゃないかなぁ。これは想像だけど。

 

そんなわけでももクロは、序列よりも、各自の個性を大事にするカルチャーを持つグループだと考えられる。

 

では、そういうグループ内カルチャーは、どんな作用(魅力)を生むことになるのか。

どんな魅力に、僕は惹きつけられたのか。。

 

 

あああ、、、まだ書きたいことの半分も到達していないのにこんな分量になってしまった。

 

夜も更けたので、続きはまた後日にします。