だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

同じ曲の聞こえ方が短期間で全く違ってしまったのはなぜ?

お久しぶりです。。

 

今日は、ここ2日ほどで僕が経験した、「音楽」と「解釈(先入観)」に関するお話をシェアしたいと思います。

 

back numberという日本のバンドが今年の初めにリリースした「ヒロイン」という曲をご存知でしょうか。

JRのCMに使われたらしいので、耳にしたことがある人もけっこう多いかも。

 

僕は2日ほど前まで、この曲を全く知りませんでした。back numberというバンドも知らなければ、CMも見たことがない。

 

もしあなたが、僕と同様にこの曲をぜんぜん知らないのであれば、ラッキーです。

僕がこれからここに書くことを、ある程度実感を持って追体験できる可能性があります。

「ああ、知ってるよ、あの曲でしょ」って思い浮かぶ人は、、、、、まあ、それはそれとして読んでみて。面白いと思えるかはわかんないけど(笑)

 

2日ほど前、僕はこの曲をyoutubeで初めて聴きました。

ただし、back numberのオリジナル演奏ではなく、Goosehouseというユニットがカバーした演奏を、聴いたのです。

 

Goosehouseは現在7人編成のグループ。ネット動画を活用した活動が人気で、そこではカバー演奏を多数、発表しています。

グループ内の数人で自在にユニットを組んで演奏するスタイルも特徴的。

で、、この曲は、女性4人で演奏しています。

 


ヒロイン/back number(Cover) - YouTube

 

 

さて、この曲を知らなかったあなたは、この演奏を聴いてどう思ったでしょう?

 

僕は単純に、「ああ、いいなぁ」って思いました。

 

ここでちょっと、僕の音楽的嗜好というか、特性について一言説明しておくと・・・

音楽を構成する3要素としてよく「リズム」「メロディ」「ハーモニー」などと言われますが、僕の音楽脳はどうも、音楽を聴くときに、

リズム>>>ハーモニー>メロディ

のような、そうとう偏ったバランスで、意識を配分しているようです。

最も意識を向けているのはリズム。つまり僕にとって音楽はまず「ノル」ためのもの。

かなり差があって、ハーモニー。そしてメロディーは、僕にとって実に軽い要素。

まして、そこに乗っかっている「歌詞」なんて、ほとんどどうてもいい。

 

実際、自分が好きだと感じている曲でも、歌詞で何を歌ってるのか全然知らないけど、バッキングのリズムパターンが頭から離れない、なんてことがよくあります。

何かのはずみでカラオケで入れてみて、「ほ〜こんな内容の歌だったのか」って驚いたりする(笑)

 

なので、このGoosehouseの「ヒロイン」は、僕の耳には、ゆる〜い音色の太鼓と木琴風のキーボードがポクポク刻むまったりリズムの上に、アコーディオンと女性の声のハーモニーがふわ〜〜っと広がってる、という、実に牧歌的でのんびりした、民族音楽風ないしエスニック風なサウンドとして響いていたのである。

イントロが象徴的ですが、その雰囲気が曲全体を包み込んでいるイメージ。

歌詞もなにやら言ってるけど〜でもまあいいや〜〜って感じで、ボーーッと聞いてた。

 

で、、、気に入ったので何回も聞いているうちに、、、

ふと、動画の下に書き込まれているコメント欄に目を通すと、「オリジナルの雰囲気と違う」的なコメントが多数、目についた。

 

カバーアレンジがオリジナルを踏襲しなきゃいけないなんて決まりはないので、「違う」ってことに文句を言ってもしょうがないのになぁ、、
、、とは思いつつ、これだけそういう系のコメントが出るとなると、オリジナルはどんな感じ?という興味もわいてくる。

 

それで、聞いてみました。それがこれ。


back number/ ヒロイン LIVE - YouTube

※↑これ、テレビのコピーっぽい映像なので、いずれ消去されて見られなくなる可能性もあります。その場合はこちらでどうぞ。

 

www.youtube.com

 

・・・なるほど〜。確かに、全然違うわ。

いや、違うからダメ、っていう意味じゃなくてね。

でも、これは牧歌的とか民俗調とかとはかけ離れた、切ない感じ。

 

はい、これはこれで好きです。

 

しかもこの動画は、ご丁寧に歌詞テロップが出てくる。

歌だけなら、この演奏でも僕は歌詞のことをさほど意識しなかったかもしれないけど、さすがに文字で見せられると、「ホォ〜こんな内容の歌か」って、目に入ってくる。

しかも18歳まで北海道に住んでいた僕にとって、「雪」がテーマの切ない男子の心を歌う曲となれば、、、何十年も前の青春してたころのいろんな記憶の断片がふと浮かんできたりしかねないような、そんな内容ではないか。

 

2、3回聞くうちに、すっかりこの曲のワールドにはまってしまった。

 

曲を知らなかったところからこのブログを読み始めたあなたも、そんな感じでうまいこと、このオリジナルの演奏にはまってくれているといいのだけど。

 

で、、、はい、本題はここからです。

 

そうやって、オリジナルの「ヒロイン」の雰囲気にどっぷり浸って、歌詞の内容やメロディラインも概ね頭に入って、、と、そのぐらいまで行ったところで。

 

もういちど、最初のGoosehouseの演奏に戻ってみる。

 

すると、、、

 

あの、ホワーンとした牧歌的な感じには、もう聞こえないのである。

 

なんというか、、、、男心を歌ってる歌なのに女性の声で、しかも切なさが中途半端で、、「あーーちがう!」って感じに聞こえてしまう。

つまりは、あのコメント欄に「オリジナルと違う!」って書き込んだ人の感覚に、自分もはまってしまったわけです。

 

あーー、最初に聞いた、あのほんわりした曲をもう一度聴きたい、、、って思って何度か聞いたけど、、、

もしかすると、もう二度と、あんな風には聞こえないのかもしれない。

 

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何が起こったのかといいますと、、

わかりやすい例えとしては、この手のやつでしょう。

 

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有名な「だまし絵」です。ここには2種類の横顔が隠れています。

で、「若い女性」の顔に見えると、「おばあさん」は引っ込んでしまいます

逆に「おばあさん」の顔を見つけると、「若い女性」は引っ込んでしまう。

 

二つの見方(解釈)を同時に成立させることは、人間の脳にはできない。

 

もっといえば、人間は、物事をあるがままに見てなど、いない。

 

ある方向性を持った解釈に沿って、物事を意味付けし、脚色し、取捨し、そうやって「何かを見た」と思っている。

 

さらに、こんなのもあります。

www.senju.co.jp

 

最初は、ただの模様にしかみえなかった画像が、あるものの姿が中に浮かんで見えた途端、さっきまで見えていた「ただの模様」には、もう二度と戻れなくなってしまう。

 

同じようなことが、「音楽を聴く」という聴覚中心の活動においても、起きるのでしょうね。

 

そういうものから全く自由な人は、たぶんいない。