文章の書き方「わかりやすい」と「おもしろい」の狭間
長年、文章を書くことを仕事にしていると、ときに自分が書いたものに関する感想を伝えられることがある。
肯定的なものもあれば、否定的なものもある。
否定的なもの(まあ、批判ですね)は、反省材料として自分の胸のうちに入れておくとして、、、
僕の場合、肯定的な反応としては、なぜかいつも、ほぼ同じ言葉を言われるのである。
「わかりやすいですね」
・・・・個人的な願望を言わせてもらうと、実は僕は内心、「わかりやすい」以上に、「おもしろい」ものを書きたいと思っていたりする。
だけど、「いやぁおもしろかった〜」というタイプの反応を耳にすることは、まず、ない。
そういうスタイルの文章は、仕事として僕に発注される時点で、そもそも期待されていないのかもしれない。
まあ確かに、人にはそれぞれ得手不得手というものがある。
雑誌の編集者なりが、1冊の構成を考えて、「ここはわかりやすい解説」「ここはおもしろいコラム」などと設定していった場合、おもしろいコラムの書き手として僕の名前が浮かぶことは、考えにくい。
自分が編集者だったとしても、きっとその選択はしない。それなら小田嶋隆さんとかにお願いするだろう。
誰にでも、無い物ねだりの心理というのはあるわけで。
というわけで、、、基本的には、「わかりやすい」という部分で評価していただけることについては、ありがたいと思っている。
こんな回りくどい言い回しを連ねて、とても素直にありがたがっているようには見えないかもしれないけれど、感謝してるのは本当だ。
ただ、、、ここでもうひとつ、疑問というか、問題が残るのだ。
僕がさっき「おもしろいものを書きたい」と書いたのは、中学生の将来の夢みたいに漠然と希望していることを述べたわけではない。
むしろ、日々のお仕事としてキーボードをバシャバシャと打っているそのまっ最中、目の前の書きかけの原稿を反芻しながら、「さて、この先どこへ話の展開を持って行こうか」なんて思案するその時に、「おもしろい」という基準を、何より大事な指針にしているのである。
少なくとも、そういうときに「わかりやすくしよう」とは、あまり考えていない。
「おもしろい」に向かって、まっしぐらに進んでいるつもりなのである、自分としては。
そうやって書いたものが、、、ほとんどの場合、「わかりやすいですね〜」と言われる。
いや、言ってくれる方には感謝してますよ、もちろん。しつこく言っておきますけど。
で、、それはそれとして、、、、
この微妙なすれ違いというか、行き違い感みたいなものが、なかなか興味深いなと思うのである。
何が言いたいかというと、、、
情報発信側が一般に「わかりやすいってこういうことだよな」と考えているものと、受け手が「ほーわかりやすいな、これ」「おっ、わかった!」などと感じることの間には、ちょっとしたギャップがあるんじゃないだろうか。
「おお、わかった!」という感覚に至るうえでは、一般にわかりやすさと捉えられているものだけでなく(あるいは、それ以上に)、「おもしろさ」に近いタイプの要素が大切なんじゃないか、ってこと。
「腑に落ちる」って言葉がある。
「腑」は、臓腑の腑。はらわたのことだ。
何かが本当に「わかった!」って感じるときは、身体感覚的にいうと、頭ではなくむしろはらわたに響く、そういう感じがあるわけだ。
一般に「わかりやすさ」といわれるものは、論理的な整合性とか、一貫性とか、明快さとか、そういうタイプの性質で成り立っていると考えることが多い。
これは、頭にとってのわかりやすさといえる。
それに対して、、、「腑に落ちる」につながるのは、、、さて、何?
たぶん、僕が自分の感性としては「おもしろい」と感じるようなものの中に、こっちへつながる何かがあるんだろう。