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意外な仕事が舞い込んだらできるだけ引き受けよう

お仕事

物書きとしての自分の仕事のメインは、雑誌やネットの媒体、書籍などに文章を書くこと。

 

医療・健康に関わる仕事が多いけれど、時おり、「そのネタ、僕に来ます?」って思うようなお題をいただくこともある。

 

最近でいうと、現在発売中の日経ビジネスアソシエ7月号で、なんとドラッカー先生の時間管理に関するお話を執筆した。

 

・・・ごめん、この依頼をいただくまで、「もしドラ」しか読んだことなかったです、すみません。

 

ほかにも、歴史物とか、エネルギー問題、法律に関するお題をもらったこともあった。

さらにいうと、執筆というカテゴリーから明らかにはみ出た、商品開発のサポート的なお仕事をいただいたこともある。

 

そんな“想定外”のお話をいただいたときは、できるだけ受けることにしている。

 

 

依頼をしてきた人は、自分が認識していなかった、自分の中の何かに期待してくれているわけだ。

自分としては、「それは何なんだろう?」というところに興味がある。

だから、とりあえずやってみる。そんな感じ。

 

自分のいわゆる“ストロングポイント”が何なのか、実は周りの人の方がよくわかっている(見えている)ことが多いという。

自分でも、しばしばそんなふうに感じる。

 

というのは、自分のストロングポイントにあたる能力や技術は、しばしば自分にとってはごく当たり前の、慣れ親しんだ、とるに足らないことに思えるからだ。

自分では「え、こんなのでいいの?」と思うことが、すごく高く評価されることがある。

かと思えば、自分が「オレはこんなことをやっていきたい!」などと考える「自分のこだわりポイント」は、しばしば無い物ねだりのあこがれだったりする。
あるいは、こだわりゆえに問題をひねりすぎて、とるに足らない隘路のような狭いポイントにはまり込んでいることもある。
シンプルなはずの問題を、わざわざ複雑にして自己満足してるというか。
僕の場合は、この後者のパターンが多いかな。

どんなジャンルでもそうだと思うけれど、「ラクにこなせる」って、実はすごい価値がある。
職人でも、アスリートでも、芸術家でも、卓越した人は、まるで呼吸をするような自然体で、ものすごいワザを繰り出す。
そういうのは、基本的には長年の修練の結果たどり着いた境地だろう。
でも一方で、だれでも何かしら、「もともと自分にとってこれは呼吸と同じぐらいラクなことだった」といえるようなものを持っていたりもする。
そういうものに、ものすごい価値がある。

気がついてないのは自分ぐらいで。

いや、自分のカラダは気づいているのですよ。
だって「ラクにこなせる」っていうのは、体がウエルカム!っていってるんだから。

でもひねくれた頭は、そういうものに「とるに足らないこと」というレッテルを貼ってしまう。

文章もそうだ。
おしゃべりのようにラクにつらつら書いたものは、するする読める(ことが多い)。
でも、本人的には何となく物足りないと思ってしまったりする。

しかし、、、それでは、といって歯を食いしばって目を血走らせて、疲労困憊しながらひねり出した原稿は、書き上げた瞬間は渾身の作品だと思っても、あとで読み返すとたいていイタい。
読むだけでどっと疲れるような、重苦しさがどんよりと覆い被さってくるような感じ。

先に紹介したドラッカーの記事は、「まあ、どう逆立ちしたって、自分はこのジャンルの知識の蓄積があるわけじゃないし、今わかっていることを素直に書こう」って思って、淡々と書いた。
そうしたら、意外なほどするすると言葉が流れて出てきた。

活字になったものを読むと、なかなか読みやすいと思う。
まあ、ドラッカー研究のエキスパートがどう読むかはわかりませんが、一般的な意味では、受け取りやすいメッセージになっているように感じた。

まあ、、、ここまでわかってる(かのように書く)のなら、さぞ日頃の原稿も呼吸をするようにラクに書いているのだろうと、そんなふうに思うかもしれませんが・・
すみません、未熟者ですから、あいかわらず連日、目を血走らせています(笑)

でも、「呼吸をするようにラクに書く」スイッチがある、ということは、ようやく意識できるようになってきた。

で、、想定外の依頼でいただいた仕事って、意外とこのスイッチが入りやすいのです。

依頼する人が、何を見て依頼しているのかは、いまだに良くわからないのだけれど(苦笑)
でも、きっとうまくいきそうな根拠なり、予感なり、何かあるのだろう。

そういうものがたぶん何かあるんだろうと、そこを信頼して(ゆだねて)、やってみる。

この姿勢がカギなのかもしれませんね。