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パラリンピックのスーパー大回転(視覚障害クラス)から、恐怖心の由来について考えた

からだ

ソチオリンピックが終わって、パラリンピックが始まった。

 

昨日の夜、たまたまつけたテレビで、男子スーパー大回転の中継をやっていた。

 

ふと見た瞬間、目が点になって、、、すっかり目が離せなくなってしまった。

夜中の1時ぐらいだというのに。。

 

スーパー大回転というのはアルペンスキーのスピード系に分類される種目。最高速度は100kmを超える。

その高速を保ちながら滑らかにターンする技術が要求される、非常に難易度の高い種目だ。

 

パラリンピックのコースがオリンピックと同じかどうかは知らないが、同じソチで開催されているのだから、少なくとも一部は共通のコースを使っているだろう、きっと。

ソチオリンピックスーパーGはかなりの難コースだったようで、多くの選手たちが苦しんでいた。

 

その難コースを、、、二人のスキーヤーが前後に隊列を組んで滑っている。

 

な、なんだこれは?!

 

 

 

アルペンスキーでは見たことのない光景に、一瞬ぎょっとする。

次の瞬間、「ああそうか」と思いつくものがあった。

視覚障害を持つ人が、マラソンでガイドランナーと一緒に走る光景なら、テレビで見たことがある。

そうか、あれのスキー版か。

そう思って画面を見直すと、確かに前を滑るスキーヤー(こっちがガイド役だろう)は、時々後ろのスキーヤー(こっちが視覚障害を持つ選手)を振り返りながら、終始大声で何かを叫んでいる。
たぶん、ラリーカーのナビ役のように、事細かにコース状況やターンの大きさを伝え、先導しているのだろう。

よく見ると、画面の上の方に「スーパー大回転 視覚障害クラス」という文字が出ている。

なるほど、そういうことか。

・・・と納得しかかって、さらに次の瞬間、「えっ、待てよ?!」と思う。

だって、この種目はスーパーG。時速100kmぐらい出る種目だ。
見ていると、斜面はけっこう変化に富んでいて、斜度変化や旗門のリズム変化、ジャンプスポットなども多い。

こんなコースを視覚障害者が滑るだぁ??

と、画面の肩に時速表示が現れた。スピードガンで計測するポイントがあるのだろう。

確かに。。100kmを軽く超えている。

ひょえぇぇ~~~。目、見えないんでしょ?

どれだけの勇気があれば、できるだろう。
ちょっと想像してみたけど、とても想像力が届かない。

それで、画面から目を離せなくなってしまった。
この人たち、どんだけすごいことやってるんだ。。。

   ※       ※       ※      

ずいぶん前だけど、ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントにでかけたことがある。
(当時はまだイベントだった。今は常設の施設があるはず。検索してみて)

自分の手のひらも見えないほどの真っ暗闇の中に入って、いろいろ歩き回ったり、触れたりする体験だ。

最初は足がすくんで、一歩踏み出すことさえ難しい。

でも、少し慣れてくると、ちょっとは動けるようになる。
徐々に、視覚以外の感覚(聴覚、皮膚感覚、嗅覚など)が敏感になって、目に頼っていたときには気づかなかった繊細なシグナルを感知できるようになっていく。
その、自分の中の変化を味わい、楽しむ、一種のエンターテインメントだ。

そのときの体験記を当時書いたものが、これこれ
そんなに長くないので、よかったら読んでみてください。

   ※       ※       ※      

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、脳科学者の茂木健一郎さんがけっこう応援している。
茂木さんが、主催者やガイドとして参加する視覚障害者と対談した本が出ている。

まっくらな中での対話 (講談社文庫)
まっくらな中での対話 (講談社文庫) 茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク 

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この本が実に面白い。
最後の方に、こんな話が出てくる。

目が見える人が、暗闇に入った当初に恐怖を感じるのは、視覚を「喪失」するから。
失ったらまずいと思っている(大事だと思っている)ものを失うことで、恐怖の感情がまずわいてくる。
でも、少したつと「もういいや」と開き直るような感じになり始めて、見ようという努力を手放す。
すると聴覚や嗅覚が冴えてきて、少しずつ、「見える」にしがみついていたときは閉じていた感覚が働き始める。

こういうプロセスを通じて、参加者は「手放すことは怖いことじゃない」と実感できる。
それまで「これはとても大事、これをなくしたら終わり」としがみついていたものを手放すから、新しい世界が広がるわけだ。
それが、楽しい。

まあ、一種の異文化体験ですね。
「見えない」という身体条件をベースに構築された文化を、体で味わってみる体験。
異文化を実感するには、自分の中にある既存の価値観を手放して、えいやと飛び込んでみないとわからない。

今の僕は、目が見える世界で生きていて、そこに大きく依存している(「見える」文化にどっぷり浸っている)から、暗闇のような目が見えない状況を「怖い」と感じる。見える文化を手放す恐怖があるわけだ。
それの延長で、目が見えない状態で時速100kmで疾走したら、ものすごく怖いだろうとイメージする。

確かにこわいかもしれない。
でも、スキーで時速100km出すのは、目が見えていてもきっと怖いだろう。
「見えない」からこわいのではなくて、制御できないかもしれない速度で生身で移動するから、怖いのだ。
実際、そこには制御不能になって転倒、大けがをする、といったリスクが現実に存在する。この恐怖心は実体を伴うものだ。
この場合、怖さを克服するのに必要なのはスキー技術であって、目が見えることではない。

「目が見えないのに100kmで滑るなんて怖い」って思うのは、100kmの怖さの上に、「見える」を失う(想像上の)怖さが重なっているからそう感じるわけだろう。

目が見えない人は、目が見えないがゆえに、100kmでスキーを制御する技術を習得するハードルは、すこし高くなっているかもしれない。
でも、「100kmで滑るのは怖い」という恐怖心を超えるのは、目が見える人よりも軽々とこなすのかもしれないね。