だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

アマゾンは便利だけど物足りないこともある

昨日は、アマゾンにやられっぱなしだという話を書きました。

やられっぱなしで終わるのも少ししゃくなので、ちょっと物申しておこうかなと思って、今日も書き込みします。

 

アマゾンから送られてくる商品推奨メールは、確かに、実によくできている。

その「よくできている」商品セレクションはもちろん、僕のこれまでの購買記録データをベースに割り出されている。

 

Aという本を買った人はたいてい、類似の内容が書かれたBという本にも興味をもつことがわかっている。

そしてこの人(私)は、Aという本を買った。

だからおそらくBにも興味を持つに違いない。

 

というタイプのロジックと、実際の購買行動記録を重ね合わせれば、僕がどんな本に興味を持つか、傾向はおおむね割り出せる。

そして、私が実際の購買を重ねることが、あちらが持っているデータベース(Aを買う人はたいていBにも興味をもつ、という関連付けのデータ)をより充実させることにもつながる。

 

だからアマゾンで商品を買う人は、買えば買うほどその傾向をより正確に把握され、より自分の関心にマッチする商品が推奨されるようになっていくことだろう。

 

まあ、興味のある本を教えてもらえるシステムとしてとらえれば、必ずしも悪いことじゃない。ある意味では、ありがたいとともいえるだろう。

 

だけどこのシステムには、一つ盲点がある。


それは、「たまたま目に留まった」という現象が、非常に起きにくいこと。

本屋さんと比較すればわかる。
書店に行くと、たくさんの本の現物が、そこに並んでいる。
もちろんジャンルごとに分類されてはいる。だから、何か目的の本があるときは、その本が置かれていそうなコーナーへ直行する。
目的の本があってそれを素早く見つけたいときは、本屋さんよりアマゾンの方がストレスなく到達できることが多い。

だけど、、本屋さんではその代わり、目的のコーナーまでの途中にある、自分とは何の関わりもなさそうな気がしているジャンルのコーナーを通過する、という余録がついてくる。

「余録」と書いたけれど、多くの場合、とくに大したことは起きない。
通常はただ、通り過ぎるだけ。

だけどときどき、ずんずんただ通過しているつもりで歩いている視野の片隅に、「あれっ?!」というものが飛び込んでくることがある。

何だろう、と思ってそちらを振り返って、飛びこんできたものが何なのかを探す。

するとそこにはたいてい、なぜ自分がそれに引っかかったのかはよくわからないのだけれどたしかになんとなく気になるものが発見される。

何だろうこれは?

しげしげと眺めてみる。

ああそうか、数日前にちらっとテレビのニュースでやってたあの話が頭に残ってて、そこからの連想で、このキーワードが目に留まったのか。

・・・のように、「なるほど、そうかそうか」ってわかる場合もある。

でも、いくら考えてもそういう引っかかりが見つからないこともある。

そもそもこれは何についての本なのかもよくわからないことさえある。

でも、確かになんだか気になるんだな。

経験上、断言します。
こんなふうに向こうから飛び込んできて引っかかったものは、ほぼ間違いなく、「アタリ」ですね。
そういうものの購入は、絶対に、ためらってはいけない。

・・・今ふと思ったんだけど、今日のこのお話は「書店」が舞台なので、商品単価もまあ普通はせいぜい数千円レベルです。
そういう状況であれば、「絶対に」なんて強い言葉を使ってもそんなに反感を買うことはないでしょう。
でも、このブログを読まれる方の中には音楽(特にギター)をやっている人がかなりの割合で含まれていて、そういう方々は、楽器ショップでもしばしば似たような現象を経験しているはずなんですね。
僕もよくありました。ギターショップでよく知らないブランドなんだけど「おっ、なんだこれは?」ってふと目が止まった1本があってなじみの店員さんを振り返ると、「あーやっぱりそこに目が止まりました?」みたいな言葉が返ってくる、とか(笑)
で、そういうのはたいてい弾いてみるとドンピシャズバリ、自分の好みなんだよね。
ただこの場合、単価は数千円には収まらない。それより二桁(下手したら三桁)は上の話であることが多い。
その場合にも、「絶対に、ためらってはいけない」原則を適応していいかどうかは、どうぞ各自でご判断くださいませ。

・・・はい、横道でした。すみません。戻ります。

もう10年以上前だけど、日経ヘルスのデスクだったころ、書評ページの担当をしていたことがありました。
「担当」っていうのはこの場合、自分で書くってこと。
いやまあ人にアサインしてもいいのだけど、僕は自分で書く方が楽しかったので、たいていは自分で書いていた。
なので、空いた時間を見つけては書店巡りをして、載せる本を探していた。

健康雑誌なのだから、基本は健康に関わる話が載っている本を探す。

それはその通りなんだけど、ある時期から、一見、健康とは直結しそうにない本を探す方がおもしろいということに気づいた。

いや、正確にいうと、この場合は「探す」じゃない。

さっき書いた余録=「引っかかってくる」のを待つ、ということ。

「何か引っかかってこないかな」と思いながら、書店の中をぶらつく。

それでふと引っかかってきたものを、「これの何が引っかかったのだろう」とか思いながら読んで、「おーそうか、そういうことか」などと何かに気がついて、その気づきを中心に短い書評を書いて、雑誌に載せる。

そんな楽しい時間を「仕事」として毎月できたんだから、あれはホント、いい担当だった(笑)

で、、やっているうちに、何かが引っかかってくる確率を高めるコツのようなものも、だんだんわかってくるんですね。

まずは書店選び。
そういうのがポンって飛び込んできやすい書店と、あまり入ってこない書店がある。
まあこれは僕との相性もあると思うので、入ってこない書店のディスプレーが悪いとかそういう風には、一概にいえないと思うけど。
だから固有名詞は出しません。
でも、書店によってかなりはっきり差があるな、という印象は持っていました。

次に、こちらの姿勢。
あんまりきょろきょろと何かを探しているって感じだと、かえってよろしくないのです。
むしろ経験的には、さっき書いたみたいに、何か目的があってそこに向かってずんずん突き進んでいる、その途中みたいな状況で、「あれっ?!なにこれ??」って何かが目に飛び込んでくる感じの方が、おもしろいものが引っかかる。

実は、僕が野口体操と出会ったのも、そんな流れだった。

あれは新宿の紀伊国屋だったと思うんだけど、何かを求めて歩いていたら、視野の端の方で何かが見えた。
なんだ?って振り返ったら、そこにあったのが、野口三千三先生と養老孟司先生の対談DVDだった。

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僕はこの時点で、「野口体操」という固有名詞を知らなかった。もちろん野口三千三先生の名前も知らない。
だから、この表紙(ジャケット)を見てもこれが何なのか、まったくわからなかったと思う。
(実際、しげしげと見返してみても、この表紙には「野口体操とは」みたいな説明が何一つないですね、今始めて気がついた)
かろうじて養老さんの名前は知っていたけど、情報はそれぐらい。

それで、、、そんな状況なのに僕はなぜか3000円ぐらい払ってこれを買ってきた。
帰宅して見てみたけれど、相変わらずなんだかよくわからない。
いや、養老さんの話は僕にとっては理解しやすかった。
それに対して、野口三千三氏の言葉は正直、なんだかよくわからなかったような記憶がある。
いや、直接の意味は一応わかるけど、その価値というか、意図というか、そういう部分がピンとこなかった。

あとは、映像として映し出されるなんだか不思議な体操(笑)
最後の方で、野口先生がいきなり「ひらりっ」と逆立ちするんですね。
その身のこなしの軽さが、強烈に印象に残った。

それで僕はこのDVDを書評コーナーの一番大きな枠で取り上げ(逆立ち、逆立ちって連呼するような意味不明の記事でした、、、笑)、その1カ月後には羽鳥先生の野口体操クラスに通い始め、、、そしてこの4月で10年目に突入する。

これって、何が引っかかったんだろうね?

「なんだかよくわかんないけど何かこれ、すごいぞ」

みたいな気分だった、としか言いようがない。

でも、人生を左右するような出来事って、往々にしてそんなふうに起こるもののような気がする。

で、、、、アマゾンでは、そういうことがなかなか起きない。

ロジカルに導かれた「あなたが興味を持つはずの本リスト」には、「なんだかよくわかんないけど何かこれ、すごいぞ」みたいなものが入り込む余地は、ないのです。

だからアマゾンはダメ、って言ってるわけじゃないですよ。
あれは便利な道具です。それは間違いない。

でも、、、余録を期待するなら、書店に行く方がいいんだな、きっと。