だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

ジョン・デンバーの81年来日公演DVD、当時の微妙な心境がよみがえる・・・

先週はインフルエンザ(たぶん)で、ほぼ寝ていた。

月曜からずっと38度台の熱が続いていて、寝ているしかなかった。

あ、水曜日あたりで原稿1本書いたか(笑) 金曜になってようやく36度台にさがった。 それで、ためてしまったお仕事を週末になんとかやっつけて、今ちょっと一息ついたところ。

 

ふーーっ で、、今から書くのは、熱がようやく少し下がり始めた先週木曜日のお話。

ちょっとだけ体調もましになって、ずっと寝ているのもかえってしんどいので、最近手に入れたDVDでも見ようかと思ってね。 それが、これ。

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子供のころから好きだったシンガー、ジョン・デンバーが、81年に来日したときのライブ映像。 なぜか最近になってひょっこりと発売された。

それをまだ見てなかったので、、、、まあ、こういう自分にとって懐かしの映像にあたるものなら、体も受け付けるかなぁと思って。

内容については、詳しくは書きません。
でも、オールドファンならたまらないでしょう。
古い時代の彼の雰囲気がたっぷりと味わえます。
十分、楽しめました。

本当に、惜しい人をなくしました。

・・・・というファンとしての一般的な感想は、まあこのくらいにして。

ジョンは、いろんなギターをとっかえひっかえしながら、いろんな曲を演奏しています。
その中には、「ジョニー・B・グッド」のような曲もあるのです。
ここで彼はなんと、エレキギターを手にするんですね。

・・・・実は81年というこの時期は、ジョンのファンにとってはちょっと微妙な時期でした。

70年代前半に「カントリーロード」「サンシャイン」「ロッキー・マウンテン・ハイ」といったヒット曲を次々に出していったジョンのトレードマークはもちろん、Guildのアコギ。
12弦ギターも使い分けつつ、時に訥々と、ときにがっつりと響かせる素朴で太い、ウッディな音が、あのハイトーンボイスと組み合わさって、ほかに類のないジョンのナチュラルで極めつけに美しい音楽ができていた。

それが、70年代の後半~80年あたりで(79年「JOHN DENVER」和名「大いなる飛翔」、80年「AUTOGRAPH」)、「なんか、、、、最近のジョンの音楽、ちょっと雰囲気違うよね」って感じになっていたのだ。

当時僕は中学~高校生ぐらいで、ジョンの音楽にどっぷり浸ってアルバムもさかのぼって一通りそろえた上で、新しいのが出るたびにおこずかいやりくりして買っていたけれど、このころから正直なところ、聞いてもあまり楽しくない曲が増えてきて、、、たしか、上に挙げた80年の「オートグラフ」以降は、新作を買っていない。

その、、「何か違ってきたよね」をもっとも象徴する曲が、「ジョニー・B・グッド」だったのです。

この曲は確か「大いなる飛翔」に収録されていました。
ロックンロールなエレキギターのイントロから始まるこの曲を、よりによってジョン・デンバーのアルバムで聴いたとき、、「・・・はぁ?」という戸惑いしか感じなかったことを覚えています。

で、、、実はDVDの映像からも、「もしかしてこれ、お客さん、退いてるな」って感じられなくもない雰囲気が少し、伝わってくる。
客席の映像はほとんど映らないので本当のところはわからないけれど、、演奏中のジョンの表情が、微妙にビミョーな感じで、、、ときどきちょっとうつむき加減になったり、両サイドのバックメンバーとのアイコンタクトに元気のもとを求めているかのようなそぶりが、かすかにだけど、感じられる。
これがカントリーロードのような曲だと、お客さんの大半が、一緒に歌っている。こっちも客席は映らないけれど、見えなくたって、ジョンが満足げに客席全体を見渡す姿から、確実にわかる。

ただね、、、この曲を聴きながらもう一つ思ったのは、、、、

「演奏、悪くないじゃん」ってこと。

いや、ジョン・デンバーらしいかっていわれれば、今でもビミョーな選曲だとは思うけど。
でも、普通にアメリカンポップ音楽の演奏として聞けば、ノリもサウンドも、別に問題は感じない。
ボーカリストとしての力量はもちろん、超一級。
そりゃあチャックベリーと比べたらさすがに分が悪いだろうけどさ。
でもこれはこれで、十分に、楽しめる。

と、今ならそう思えるこの演奏を、どうして30年前の自分は(そしてもしかすると日本のジョン・デンバーファンも)受け入れられなかったんだろうなぁ?

ってなことを考えつつぼんやり聞いていた。。

・・・熱があるときの精神状態は、たぶん普段より理性による管理が弱っているので、聞いているうちになんとなく、そのまま30年前にストンとタイムスリップしたような気分になってきた。
30年前に「・・・はぁ?」って感じた、そのときのまさにその気分は、自分の体の中のどこかにそのまま凍結保存されていたようで、その気持ちがふっと、心の中に生々しく浮かんできた、そんな気がした。

そのよみがえった30年前の気分を味わったときに、「そうか、なるほど」と、一つとても納得した感覚があった。

「そっか、あのとき自分は“裏切られた”気がしたんだな」

ちょうど、問題の構造としてほぼ相似形の、もっとわかりやすい、もっと多くの人が接点を持ちやすいであろう事例があるので、まずそっちのお話をします。

日本のフォークファンなら、吉田拓郎エレキギターを使うようになった頃、当時のファンから痛烈に批判されたことがあるって話を、どこかで聞いていると思う。
「商業主義」「堕落した」「裏切り者!」
そんな言葉が浴びせられたらしい。

でも拓郎は、別に何も裏切っていない。
彼は、素直に自分がやりたい音楽をやっていただけだと僕は思う。

拓郎の音楽に「フォーク」というジャンル名をくっつけて、それ以前のフォークシンガー、例えば岡林伸彦あたりとリンクさせて、「フォークかくあるべし」みたいな枠組みを作り上げていったのは、聞き手(評論家と呼ばれる人たちを含めて)が勝手にやったこと。

そしてその枠組みを成立させる条項の中になぜか、「ギターはアコギであるべし」という条件が暗黙のうちに含まれていたようだ。
(いや、当時は「アコギ」なんて言葉はなかったから、「フォークギター」っていう方がいいんだけど、、まあその辺はあまり気にせず)

「フォークなんだからフォークギターで」
「エレキなんか持ったらフォークじゃない」
「そうまでして売れたいのか?!」

・・・はっきり言いまして、ここには何の論理的脈絡もありません。
論理的にはただ循環しているだけで、何ら意味のあるステイトメントではない。

だけど、、、当時(この場合は70年代半ばぐらいかな)の時代感覚におけるギターという楽器のとらえ方や、ロックとフォークという2種類の音楽の間に横たわっていた深い深い隔たりの感じが、何らかの実感を伴って感じられる人(つまり、当時既にある程度時代の空気が分かる年齢になっていた人)であれば、なぜエレキを手にするだけで「裏切り」呼ばわりされるのか、なんとなくわかると思う。
僕はこの時代はまだ小学生でギターに触れていないけれど、エレギワールド(ロック)とアコギワールド(フォーク)の距離が今よりはるかに大きかったという感覚があったことは、かすかにわかる気がします。

ちなみに、妙な枠組みを抱え込んでいたのはフォークだけじゃありません。
ロックもまた当時、不思議なところにはまり込んでいた。
「英語で歌わないとロックじゃない」「日本語なんか使うとほんとのロックにならない」といった議論が、大真面目で音楽雑誌などで繰り広げられていた。
これはさすがに60年代? いや、僕もそういうものを目にした記憶があるから、70年代にもそういう議論は残っていたはず。

「ホンモノ」=英語と規定している立場から、日本語で歌うフォークとの接点なんて、出てくるはずもない。
そういう立場からすれば、見事なロックビートに日本語の歌を載せたはっぴいえんどなんかは、もろ、裏切りなのかもしれない。

ま、この辺は勝手な想像だけどね。

で、、、、両者の距離を縮めていったのが、拓郎やユーミンの音楽ってことになるでしょう。
サウンド的にも、言葉の使い方においても洗練された、ロックともフォークともつかない音楽(ニューミュージックと呼ばれました、当時)が台頭するとともに、聞き手の方でも、そういうことにこだわる人は減っていった。

だから今の若い人には、僕がここで何を書いているのかわかんないと思う。
ニューミュージックとか、ましてJ-popが生まれる前に、ロックとフォークにどんな感じの距離感があったか。

そして、かつてそういう感覚を「そういうものだ」と受け入れて信じていたかつての若者も、今は今の時代の感覚に浸っているため、以前のようにその境界を鮮烈に感じることはできなくなっていることが多い、と思う(少なくとも僕はそうだ)。

別にそんな無意味な距離感のこと、忘れたって構わない。
もちろんそうですとも。

でも、無意味な距離感を生み出す無意味な枠組みを、自分のアタマは何の疑問もなく受け入れていたことがあるっていう事実は、頭の片隅に残しておいた方が、きっと何かのときに役立つと思う。

ま、それはともかく。

「裏切り者」などという物騒な言葉が飛び出してきた理由は、そこに何か強固な「枠」ないし「テリトリー」のような境界を伴う存在が想定されていたから。これはまちがいない。
拓郎の場合は、「フォーク」という枠。

その枠を作ったのは本人ではなく、聞いていた人たち。

そして、枠を作るときのよりどころになったのは、音楽そのものというより、なにか社会的なスタイルとか、世の中と向き合う姿勢のトレンドみたいなものだった。
そういうところで共感した人たちの頭の中に「フォーク共同体」みたいなものが作られ、それにふさわしい様式やスタイルが暗黙のうちに定められ、みんながそれを踏襲して納得し合い、、、、、

そして、そのスタイルをないがしろにした拓郎には、裏切り者のレッテルが貼られた。

ちなみに、ボブ・ディランがエレキを手にしたときにもずいぶん批判が上がったという話も聞いたことがあるので、似たような状況は当時、アメリカにも多少はあったのかもしれない。
でも、アメリカのポップ音楽(例えばロックやカントリー)のミュージシャンたちは、かなり古くから、アコもエレキも両方弾く人がたくさんいるし、ばりばりのロック曲の中でアコギがすごくうまく使われていたりとか、そんな事例も事欠かない。
だから、70年代の日本人のフォーク or ロックみたいな構図は、アメリカ人にはあんまりピンとこないんじゃないかなぁ。
ボブ・ディランに対する批判云々という話にしても、どうせネタ元は日本人の評論家がどこかに書いていた記事だと思うので、本当にそういう批判が当時アメリカでわき上がっていたのかはわかりません)

ということで・・・
ジョン・デンバーにとっては、エレギ持ってジョニー・B・グッドなんていうのも、自分の芸がカバーする範囲として十分アリ、だったんだろう。
実際、なかなかなパフォーマンスだと思うし。(彼は実は、ギターが相当うまいです、派手なことはあまりしないだけで)
もちろんロックンロールは彼のメインキャラじゃない。でも、20曲近く歌うようなライブの中の一コマとしてそんな曲をやるのなら十分ありでしょう。
そうね、今の僕がライブ会場でそれを聞いたら、「ヒューヒュ~~」とかいって盛り上がると思う。

だけど、当時の僕の感覚では、それは「裏切り」に思えた。

何を裏切ったのか。

それはもちろん、僕が自分の頭の中に作り上げていた「ジョン・デンバー」という偶像への、裏切り。

その偶像が形成される過程では、さっき拓郎のところで書いた、日本におけるフォークギター vs エレキ」的な構図が下敷きになったであろうことは、想像に難くない。

その枠組みでいえば、僕は自分のことをフォーク側の陣営に位置づけていたんだな。

エレキを使う音楽と自分が関わっている音楽を対置して、そういう構造の中で自分の側に何らかの優位性を感じる。

自分より少し上の世代の人たちが、フォークという記号を合い言葉にして無意識のうちに行っていたであろうそういう行動を、僕は「ジョン・デンバー」という記号を使って、行っていた。

DVDに収録された81年の東京都内某所のコンサート会場でも、同じような思いを抱いていた人が、少なからずいただろうと思う。

「ジョン、エレキなんか持たないで~」

もしかしたら、そんなふうに言った人もいただろうか?

それはわかんない。これも僕の勝手な想像。
でも、内心つぶやいた人ならきっといたと思う。それも、けっこうたくさん。

頭の中に偶像という枠を作り上げるから、ファンとしての熱狂的な振る舞いが成り立つ。
それが反面、音楽をカラダで楽しむことの足かせにもなる。

でもさ、、音楽はやっぱり、カラダで楽しまないと。

さてさて・・・昔話はこのくらいにしておきますが。

この話を、「そういえば昔はあったよなーそういう妙なこだわりが」っていうところに押し込んでしまったら、ちょっともったいない。

というのは・・・

今この瞬間の僕らの頭の中にも、30年ぐらいして振り返ったら笑っちゃうような妙ちくりんな枠とか境目とかスタイルとかこだわりとか、そういうのがいっぱいあるはず、だから。