だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

iPadを操る赤ちゃん

昨日、地下鉄に乗っていたときのこと。

 

斜め向かいの席に、赤ちゃんをベビーカーに乗せたお母さんが乗ってきた。

 

「赤ちゃん」といってももうかなり大きい。

おそらく1歳ぐらい。家の中では普通に立って歩いているかもしれない。

 

で、、この子が、ベビーカーの中でどうも落ち着きがない。

もぞもぞ、じたじたと動いていたかと思うと、手すりを乗り越えてお母さんのひざの上に行きたがる。

体をゆすり、ときどき「ウーウーウぁー」などと声を上げ、何かを訴えようとする。

 

まあ、お母さんにとってはちょっとつらい状況だ。

なんとかしてこの子を静かにさせなきゃ、と考えたのは、自然なことだろう。

 

そこでそのお母さんがとった行動が、僕にとっては衝撃的だった。

 

彼女は自分のカバンから、何やら秘密兵器を引っ張り出した。

四角くて平べったい板状の物体。

表を覆っていたカバーをまくり上げ、手慣れた感じで、その表面を指先でタッチし始めた。

 

こ、こ、これはっ!?

 


そう、お母さんが取り出したのは、iPad

何かの画面を開くと、すっと赤ちゃんの目の前に差し出した。

赤ちゃんも慣れた様子で、それを受け取る。

なんだなんだ? 何が起きるんだ?

と、、、赤ちゃんはためらうことなく、画面に指先で触れ始めた。
タッチする様子も実に堂に入っていて、まるでスタバで業務をこなすノマドワーカーみたいだ。

ひえーー、、いったいこの子、何をやってるんだ?

チラリと覗けた画面には、パンダかクマさんらしき何かキャラクターの姿が見えた。
たぶん、どこかにタッチすると、そのアニメーションが歩いたり踊ったり光ったりするんだろう。
もしかすると、小さな子供向けのアプリとしてはスタンダードなものなのかもしれない。。

さっきまであんなにばたばたしていたのがウソみたいに、赤ちゃんはおとなしくなった。
声を出さないし、手も足も動かない。
動いているのは、指先と、画面を見つける目だけ。

すかさずお母さんが手を伸ばし、子供の体をシートベルトでベビーカーに固定する。
そんなことにはほとんど興味を向けず、赤ちゃんは一心に、ディスプレーにタッチを続ける。

まあ、、、ここまで劇的に静かになるんだから、お母さんにとってありがたい道具なのは間違いないだろう。

がしかし、、それにしてもiPadとはねぇ。

と、なかば驚き、なかば興味津々で眺めていると・・・・

ふと、赤ちゃんの表情に変化が現れた。

眉間に、深い縦じわが浮かんできたのだ。
それも2、3本、くっきりと。
たぶん、額を中心に顔面が相当緊張しているに違いない。

口元にも力が入ってきたようだ。
口先が尖って、ギュッと締められている。

おおっ、この表情は見覚えがあるぞ。
そうだ、締め切り間際に、パソコンの前でテンパっているときの自分の顔にそっくりだ(笑)

・・・なんて、笑っている場合じゃない。
もう一つ、重大な変化が、この子の体に起き始めていた。

それは、呼吸が浅くなってきたこと。

表情に比べたらちょっと目立ちにくいのだけれど・・・さっきまでじたじた動いていたときに比べると、お腹や胸の動きが、明らかに小さくなってきた。
足や体幹部の動作も減ってきた。

これって、、、どうなんだろう。

デジタル系の装置を通じて与えられるバーチャルな刺激はなぜか、リアルワールドの刺激よりも、体の自然な活動(例えば呼吸など)を抑えてしまう作用が強い。
僕の実感&観察では、これは明らかだ。
たぶん、同じような実感を持っている人も多いと思う。

なぜそうなのか、、、僕の中ではまだ、完全に納得できる説明が見つかっていない。

息を飲むような強い刺激が注意を引きつけ、呼吸を抑え得るのは確かでしょう。
でもそれだったら、リアルワールドにも強烈な刺激はいくらでもある。
いやむしろ、リアルの方が刺激量としては強烈になりえるでしょう。

たぶん「バーチャル」というあり方に付随する性質の何か(刺激の質のアンバランスさ、とか)によって、総量としては大したことがないように見える刺激でも、何倍にも増幅されて体にインパクトを与える(だから体はその刺激に引き付けられて呼吸が抑えられてしまう)というようなことなのかな、と思っているのだけれど、、、
本当の理由は、まだわかりません。

ただ、いずれにせよ、バーチャル刺激が呼吸を抑制する性質が強いのは間違いない。
昨日の赤ちゃんもそうだった。

さらに輪をかけて思うのは・・・

あの年頃の子供は、まだ「リアル」と「バーチャル」の区別ができないだろう、ってこと。

話はいきなり飛ぶけれど・・・

人間という動物の出産には、ほかの動物と比べたとき、際立った一つの特徴がある。
生まれてくる子供の身体の成長度が、きわめて未熟なのだ。

たいていの動物では、生まれた赤ちゃんはすぐに自分の足で立ち上がり、お母さんのおっぱいを飲み始めたりする。
自力ですぐに歩けるぐらいまで子宮の中で育ってから、生まれてくるわけだ。

ところが、生まれたばかりのヒトの赤ちゃんは、立つどころか、這うことも、寝返りさえもままならない。
なにしろ、自分の頭の重量を自分の首の筋力で支えることもできないのだ。

這えるようになるまで約6カ月。
何とか歩けるまでは1年。

こんなのろい成長では、野生の世界では決して生きていけないだろう。

なのに、どうして人間はそんな生まれ方をするのか?

この問題は進化人類学的に、「ヒトにおいては脳が巨大化したため、子宮の中で十分に育ててしまうと出産が不可能になってしまう。だからまだ未熟なうちに生んで、生後に脳を育てる戦略を採用した」と説明される。
そしてここには、さらなるヒトという生き物の特徴として、2足直立姿勢ゆえに骨盤輪=産道のサイズに制限があることや、生活スタイルの原型が大家族社会だったため子育てを支援する人手が母親以外にもいることなども、深く関連している。

まあ、、、とにかく、ヒトという生き物は、赤ちゃんをえらく未熟なうちに産んでしまうのだ。
そして、外に出て母乳を飲み始めてからも、脳がぐんぐん育つ。

このことがおそらく結果的に、ヒトの脳の認知能力をさらに高めることへつながった。

子宮の外に出た赤ちゃんの感覚器(目、耳、鼻、舌、皮膚、平衡感覚器、筋肉や内臓の感覚器、その他)は、いやがおうにも、さまざまな種類の刺激にさらされる。
刺激を受け取った感覚器は、脳へシグナルを送る。

当初、脳にとってそれらのシグナルは、ノイズのようなものだ。
というか、脳自体がまだ構築途中なのだから、シグナルを受け取っても対処のしようがない。
だから、どんな刺激もノイズ。

それでも刺激はどんどん入ってくる。

たとえば目の前にリンゴがあるとする。

視覚は、リンゴの輪郭の形や色、表面の模様などを捉える。
手を伸ばすと、指先がリンゴに触れる。すべすべした感触が伝わってくる。
両手で持てば、重さがわかる。
顔の前まで持っていくと、甘くておいしそうなにおいが感じられるだろう。
そして、、、手で持ったリンゴをビュッと放り投げれば・・・
床や壁に衝突したリンゴはぐしゃっとくだけてしぶきが飛び散り、甘い匂いが立ち上り、音を聞きつけたお母さんが台所から飛んできて、「まあ、あんた、なんてことをしたの!」とかいいながら怒り出す・・・

といった一連の刺激入力が発生することだろう。

そういうことを繰り返し経験し、刺激をなんどもなんども重ね合わせ、それが成長に伴って脳の中で統合されていくことで、、、「リンゴ」という一つのまとまったイメージが形成されていく。

そこまでいってはじめて、その子は、リンゴという実体を「認識」できることになる。

だから、こういう認識が成立するためには、いろいろなリアル経験をいろいろな方法で積み重ねることが、とても重要になる。

で・・・バーチャルな刺激は、実体としてのリンゴのイメージを想起させるための「記号」だ。シンボルとか、アイコンと呼んでもいい。
リアルな実体のイメージが成立していてはじめて、記号としてのバーチャルも意味を持つ。当たり前のことだ。

リアルの成立がまだおぼつかないであろう年頃の赤ちゃんに、iPadを介してバーチャルをあてがって育てる、、、
いったいどんな脳が出来上がるんだろう?

答えは誰も知らない。

でも、健全な感性の持ち主ならたぶん、痛ましい未来を想像するだろう。
少なくとも、僕はそう感じる。

実は昨日、その子の姿を眺めながら、僕の心の中では一つの期待感がむくむくとわき上がっていた。

その赤ちゃんが、iPadを、リアルなモノとして扱わないかなぁーって思っていたんだ。

もう少し具体的にいうなら、、、iPadをかじるとか、べしべしたたくとか、放り投げるとか、そういうタイプの振るまい。

でも、、、僕としてはちょっと残念なことに、そういうことは起きなかった。

その子は眉間にしわを寄せ、口をつんと尖らせたまま、人差し指で軽やかにディスプレーをタッチし続けていた・・・・



・・・念のため申し添えておきますが、私は基本的にはapple商品のファンです。
自分が仕事に使う2台のパソコンはどちらもmacだし、iPadの購入にも興味を持っています。
成熟した大人が使う限り、iPadが有用かつ魅力的な商品であることには何の疑問もありません。
この書き込みは、iPadという特定の商品に向けられたものではなく、現代の社会環境全体に対する私の個人的な感想をほのめかすために書かれたものです。