将棋NHK杯、深浦さん完敗にみた勝負師の奥深さ
僕はテレビでよく、将棋の番組を見る。
毎週日曜にやっているNHK杯のほか、名人戦、竜王戦といったテレビ中継されるような大きなタイトル戦は、かなりよく見る。
自分では指さない。
いや、正確にいうと「指せない」。
もちろん、日本人の常識程度、例えば角は斜めに進むとか、王様を取られたら負けとか、それぐらいのことは知っている。
でも、そのレベルのことを知っているのと、「将棋を指せる」の間には、深い深い溝がある。当然のことだ。
だけど、見るのはなぜか好き。
将棋のことをろくに知らないのに、見て楽しいのか?という疑問は、当然あるだろう。
確かに、「次の一手を予想せよ」とか言われたら、何もわからない。
でも、優れた解説者(現役プロ棋士がつとめる)が、展開の陰に浮かぶ指し手の心理や、この先の構想、駆け引き、勝負のあやなどを語ってくれれば、互いに何をやっているのかは何となくわかる。
その「何となくわかる流れ」を念頭に置きつつ、棋士がさす手つきや表情、呼吸などを眺めているのが、実におもしろい。
今日のNHK杯は、まだ2回戦なのに、屈指の好カードだった。
先手は、過去8年にわたって竜王のタイトルを守っている若き天才、渡辺明。
後手は、今でこそ無冠だが、数年前まで王位のタイトルを保持していた強豪、深浦康市。
決勝戦で実現してもおかしくない、超一流棋士同士の対戦だ。
将棋において、まず注目されるのは、戦形。
「矢倉」とか「穴熊」とか、「中飛車」とか言われるやつだ。
序盤しばらくは、お互いに王様の周りをほかの駒で囲って、自軍の陣地を築く。
守りやすく、攻めやすい体勢を作るわけだ。
そこで深浦さんが、新しい構想を出してきた。
「横歩取り」という戦形から、かなり珍しいタイミングで端の歩をついてきた(と解説者が語っていたのできっとそうなんだろう)。
予期せぬ展開に、しばし考える渡辺さん。
持ち時間をたっぷり使って考えて、おもむろに次の手を指す。
畳み掛ける深浦さん。
さらに考える渡辺さん・・・
・・・・最終的には、深浦完敗であった。
練りにねってきたであろう新構想だったが、渡辺さんの見事な対応の前で、深浦さんはほとんど何もさせてもらえなかった。
さて、「この話のいったい何がおもしろいの?」って思うでしょうか。
プロ棋士が争うたくさんの棋戦の中で、NHK杯というトーナメントは、ちょっと独特のポジションを占めているという。
ステイタスという意味では、7大タイトル戦(名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将)が格上。NHK杯はその下の、準タイトル戦というぐらいの扱い。
でも、すべての勝負が、NHKによって全国中継される。
親兄弟や親戚縁者、ご近所さん、地元の支援者、古い友人や恩師など、実に様々な人が、その中継を見て「おお、あいつは棋士としてがんばってるんだなぁ」と思ってくれる。
つまり、世間から見たときの影響力というか、目立ち具合が、別格に大きいのである。
だから棋士にとって、ここで勝つことはおそらく、タイトル戦での勝敗とはまた違った意味で、非常に、ひじょう~~に大きな意味を持つ。
「なんとしても勝ちたい」という気持ちを、かなり強く感じやすい戦いであろうと想像される。
実際、先崎学さんという、プロ棋士で、かつ軽妙なエッセイ集を何冊も出版している人が、そういうことを書いていた。
「NHK杯は特別なんだ」って。
あそこで負けると、近所のおじさんとかとの会話が、実に気まずくなるんだそうだ。だからなんとかして、勝ちたい。
さてここで、ちょっと考えてみてください。
自分のお仕事で、何か大きなマヤがめぐってきたとします。
ここでのできばえが、上司やクライアントからの評価を大きく左右しそうです。
もちろん収益的にも、うまくいけばかなり大きい。でも失敗したら手痛いことになりそう。
そして、その仕事にのぞむにあたって、自分の心の中に、大まかに2種類の作戦というか、方針が準備されているとします。
(1)過去に何度も成功を収めてきた、自分のなかでは「勝利の方程式」と呼んでいるような、盤石なアプローチ。
(2)かねてより、どこかの機会で一度試してみたいと思っていた、斬新でチャレンジングなアプローチ。
さて、どっちを選ぶでしょうか?
(2)をやってみたい気持ちは、当然ある。
でも、、、、そのヤマは大きくて失敗の許されないものであるほど、、、、結局(1)を選ぶ人が多いんじゃないか。僕はそう思うわけです。
もちろんその選択は、非難されるようなものではない。
(1)は、自分が取りうる作戦の中で最も成功確率が高いアプローチであり、ぜひ成功させたい仕事においてその方針を選択するのは、通常、当然のことだ。
そして成功させた暁には、あなたは高く評価され、報酬も手にするだろう。
めでたしめでたし。何の問題もありません。
だけど・・・・深浦さんはそこで、NHK杯というぜひとも勝ちたい大きなヤマにおいて、果敢に(2)を出してきたわけだ。
深浦さんだけじゃない。
羽生さん、森内さん、渡辺さん、佐藤さん・・
居並ぶ強豪たちの中で、さらに突出したものを出し続けて、超一流と呼ばれているような棋士たちは、みんな、そういう戦い方をしている。
大事な場面で、相手が強い、そんな状況のときほど、おそらく相当意識的に(2)の作戦をとっている。
少なくとも、僕の目にはそう見える。
むろん、それがいつもうまくいくなら、誰でもそうする。
でも現に、今日の深浦さんのように、全国の将棋ファンが見ている画面の中で、無惨に“公開処刑”される場合もある。
温めてきた新構想が一蹴されたってことは、時間をかけてその構想を検討してきたときにまったく気がつかなかった何かに、相手が対戦の場でぱっと気づいて、そこを突かれた、ということだ。
つまり、自分の検討に、何か大きな見落としがあったということ。
そういう姿を、全国にさらしてしまった、、ともいえる。
さらすのがいやなら、(1)をやっていればいいのです。
(1)的な戦いに終始して、それ相応の勝率を納めれば、それも棋士として十分立派なこと。
じっさい、そういう感じで戦っているように見える棋士もいる。
その人たちも、地位としては十分に一流棋士だ。勝ってるんだし。
でも、「超」がつく一流は、(2)にチャレンジするんだよな。
それをやらないと、自分を今以上に高められないことを、よくわかっているのだと思う。
しかも、練習試合で100回試すより、大舞台で最高の強豪を相手に1回チャレンジする方が、価値が大きい。
もちろん負けた場合は、失うものも大きい。
だけど、それ以上のものがそこにある。
勝負が決したあとの感想戦で、深浦さんはほとんど言葉を発せず、渡辺さんが語る言葉に耳を傾けていた。
自分が準備したこの新構想を目にしたとき、天才渡辺の頭脳は何を考えたのか。
指し手を振り返りながら反芻される言葉の隅々まで、一片のかけらも聞き漏らすまいと集中しているように見えた。
そりゃあもちろん悔しいだろう。勝負師なんだし。負けず嫌いに決まっている。
でも、悔しがって、感情的にカッカしている場合じゃないんだ。
そうやって、自分を研ぎすましているように見えた。