だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

台風一過の野口体操的カラダとの対話

昨日は台風で、すごい風でした。

 

今日は、雨はすっかり上がったけれど、風はまだ少し強い。

 

さっき昼過ぎに、恒例のお散歩(近所の運動公園をうろうろする)に行ってきました。

 

草が茂っているところで、ふと思いついて、はだしになって草の上を歩いてみた。

 

「歩く」って、片脚ずつ交互に立つことです。

で、「立つ」ときには、足の裏が地面に触れている。

 

その、「地面に触れている足の裏の感触」に意識を集中して、草の上を一歩一歩歩いてみた。

30分ぐらい、のんびり歩いてただろうか。

周りから見たら、かなり怪しいおじさんです(笑)

 


「草」って一言でいっても、いろんな種類があるわけです。
そのエリアは、もとは多分芝生として整備されたと思われ、芝生らしき草が覆っているエリアもあるのだけれど、クローバーやオオバコが優勢になっているところもある。
木の葉がふかふか積もっているところもある。
そのどれでもなくて、土がほぼ露出しているところもある。

それぞれ、感触が違うわけです。
まあ当たり前といえば当たり前ですが。
実際に足の裏で触れてみると、「ああ、クローバーの葉っぱはほんとにまるっこいんだな」とか、「オオバコの茎は強そうだな、なるほど、草相撲で強いわけだ」とか、いろんなことを感じる。

芝生はふかふかして気持ちいいんだけど、均質で単純で、ちょっと飽きる。
言葉にすると同じふかふかだけど、枯れ葉が積もっているところのふかふか感は、もう少し深みというか、奥行きがある感じ。土まで柔らかい、っていうイメージ。
クローバーの茂みはこんもりしていて、表面はほわっと温かいのに、中はひんやりして、やや湿っている。
そうか、虫の目線でクローバーの茂みに入ったら、日を遮ってじめじめした、立派な密林なんだな。

そこでしばらくうろうろしてから、次は、もっと開けたエリアに。
そこはサッカー場よりもっと広いぐらいの芝生で、周囲をいろんな木が囲んでいる。

そこの木々は、天気や季節によって、いろんな表情を見せてくれる。

昨日、今日と強い風に吹き付けられた木々は、どんな表情なのかな、と思いながら、見渡してみた。

木の枝の中を、風がびゅんびゅん通り抜けてる。
枝葉の隙間がすかすかに空いていて、その中を空気がスーーーと通り抜けていってる感じ。

これが、ちょっと蒸し暑い日なんかだと、樹木の姿がなんかみっしり、こんもりとした感じで、枝に覆われた密度の高い空間から、陽炎のようにゆらゆらと何かが立ち上っているような、そんなふうに見えるのだけれど。

それに比べると、今日の木々の姿は、存在感という意味では少し薄いんだけど、気持ち良さそうに空気と同化しているように見えた。

今日の木々を音でいうなら、「すー」っていう感じ。漢字でいえば、「粗」。多孔質でやや希薄だけど、流れがある。
蒸し暑い日の木々なら、「みしっ」っていう感じかな。漢字なら「密」。そこに「炎」ぐらい強いエネルギーがこもっている。

すーっと流れて、みしっと締まる。

家に戻ってから、そんなイメージで、野口体操の状態のぶら下げをやってみた。

足の裏を開いて床に丁寧に触れながら、息をすーっと吸うと、何かがすーっと上がってくる。
そこでちょっと保息。すると、みしっという感じになる。
で、すーっと吐く。体の中がからになる。

うん、なるほど。