だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

「いい姿勢になりたい」と願うことの矛盾

先週の野口体操クラスで聞いた話。

 

野口体操の羽鳥先生は、大学でも体育のクラスを持っていて、若い男女に体操を教えているのだけれど、年度替わりなどで新しく来たその子たちに、体のことでどんな関心(あるいは悩み)があるか、最初に必ず聞いてみるのだそうです。

 

「ダイエットに興味ある?」

これは、女子はほぼ全員が手を挙げる。まあそうでしょう。

 

「姿勢を良くしたい?」

これも、女子を中心にかなりの人が、手を挙げるそうです。

 

ま、ダイエットのことはさておいて、今日のお題は「いい姿勢」。

 

「いい姿勢」ってどんな姿勢だろう?と思って、姿勢について解説してある本やサイトの情報を見ていくと、まあいろんなことが書いてあります。

いわゆる「猫背」と呼ばれる背中が丸く見える姿勢や、左右が傾いた姿勢、ねじれた姿勢が、いい姿勢じゃないっていうのは、わりとすぐに納得できるでしょう。。

で、それ以外によく、「一見いい姿勢に見えるけれどよろしくない状態」のお話が出てくる。

たいていの場合、そこで槍玉に挙げられているのが、「体育の「気をつけ」のような、力を入れて背筋を伸ばした姿勢」。
あるいは、「軍隊の行進のような姿勢」。

まあこの二つのルーツは一緒なので、同列で扱うのはわかります。

ようするに、“力”でカラダをまっすぐにするような姿勢はよろしくない、と、そういうお話なわけです。

これは、何が良くないかというと、「外側からカラダを固めてしまう」のが問題なのでしょう。

「いい姿勢」って、どういう条件を満たすものかを考えてみます。

カラダというのは飾り物ではありませんね。生き物であり、機能体です。
だから、「いい姿勢」というのは、カラダのいろいろな働きを阻害することなく、よく働く(よく機能する)状態でなければならない。

具体的には例えば・・・

深い呼吸ができる
筋肉の緊張が少ない
(その結果として●いろいろな動作がすぐにスムーズに行える●全身の血行がスムーズである●心が落ち着いている・・・のような状態になる)
内臓の働きを邪魔していない

のような条件が揃っていることになるでしょう。

こういう条件を満たす姿勢は、結果として、背筋がすらっとまっすぐな印象で伸びることになるでしょう、理想的には。

でも、背筋をピンと伸ばせば必ずこういう条件を満たすのか?といえば、必ずしもそうじゃないですね。

それが、「外側からカラダを固める」方法。
軍隊式ないし「気をつけ」式、といわれているやつです。

主に体の背面の筋肉、例えば広背筋とか僧帽筋とか、あるいは菱形筋あたりに力を込めて、背中をギュッと伸ばす。
イメージとしては、「左右の肩甲骨をぎゅーーっと近づけて固める」という感じ。

実際にやってみればわかりますが、こんなふうにすると、確かに背筋は伸びます。
でも、筋肉は緊張しっぱなし。リラックスとはほど遠いです。
深い呼吸もできません。
筋肉の緊張は、交感神経活性化につながるので、内臓機能(例えば胃腸の働き)もおそらく下がるでしょう。

ということで、背筋を力づくでまっすぐにしても、いい姿勢になるわけじゃない、というわけです。

ここまでは、僕もおおかた納得しています。

ただねぇ・・・そんなふうに書いているにもかかわらず、「では自分の姿勢をチェックしてみましょう」とか、「いい姿勢で立ってみましょう」という実践部分のアプローチに目を移すと、「そのやり方では“外側からカラダを固める”の域を出られないんじゃないかなぁ」と思えてしまうものが、けっこう多いような気がするんですね。

例えば・・よくあるのは、「いい姿勢のチェック法」として、「耳」「肩」「股関節」「足首」がまっすぐ縦に並ぶ、のようなお話が出てきます。

これ、結果としては正解なのだと思いますよ。

だけど、もし「いい姿勢になりたい」と思っている人が、大きな鏡を使ったり、人に自分の立ち姿を横から見てもらって、これらのポイントが一直線に並ぶように腰や首の角度を調整する、というようなことをやったら、どうなるでしょうか。
その時その人は、姿勢を調節をするために、カラダに力を入れて動かすことになるはずです。

で、そうやって仮にポイントが一直線に並んだとしても、そのときのカラダは、外側が固く緊張した状態になっているに違いないのです。

というのも・・・

カラダを「外側から見る」目線でとらえたとき、カラダはたいてい、外側が固くなるのです。

別の言い方をすると、「他人から見た自分」の目線を強く意識したとき、人間は緊張する、といってもいいでしょう。

この緊張感が過剰になるのが、いわゆる「自意識過剰」です。
この「自意識」とは、外から見たとき自分がどう見えているか、という意味の、自意識。

通常、自意識過剰という言葉を使うときの「外側からの見え方」は、社会的なあり方とか、人間関係のポジショニングとか、そういう意味を指します。
「姿勢」のことをさしていうケースは、あまりないでしょう。

でも、姿勢を念頭においた外からの目線意識も、結果はほぼ同じ緊張状態を導くのです、経験的にいいますと。

まあ、個人差はあるでしょう。
松井秀喜選手のような人はおそらく、人からの注目のまっただ中にいるという意識(感覚)のときに、一番リラックスしてからだが動くのでしょうね。古くは、長嶋茂雄さんなども、そうです。

ただ、そういう人たちがスーパースター扱いされるのは、そういうメンタリティーがきわめて例外的だからです。
圧倒的大多数の普通の人は、外から注目されている目線を意識すると、カラダが固くこわばります。

さて・・・ここで話を最初に戻してみましょう。

大学の体育のクラスで「いい姿勢になりたい?」と聞くと、多くの人が手を挙げる、というお話。

この人たちは、なぜいい姿勢になりたいのでしょうか。

呼吸を深くしたいとか、内臓機能を高めたいとか、そういう理由ではないでしょうね。それは、確実に違うと思います。

そうではなくて、カラダの「見た目」をよくしたいんですよね。
(ちなみにそれは「ダイエット」にも同じことがいえるでしょう)

もうちょっと正確にいうと、自分の観念(価値観)の中で、「自分は人からこんなふうに見られたい」という自意識(の自分なりの希望)があって、そこに近づきたい、と思っている。

ということは・・・・「いい姿勢になりたい」という希望それ自体の中に、「外(他人)から見た自分」への意識が強烈に含まれていることになります。

たぶん、この部分の意識をカクンと外さないと、本当の意味でのいい姿勢にはならないんじゃないかなぁ・・・と、思うわけですね。

これは一種の、価値観の転換。パラダイムシフト。

それはきっと・・・「耳」「肩」「股関節」「足首」がまっすぐ縦に並ぶ、というようなことを意識しても、なかなか難しいと思うのです。

いや、絶対無理、というわけでもないかもしれないけど。
いわゆる「身体系ワークショップ」と呼ばれるような場では、カラダをいろいろ操作しながら、なにがしかの「気づき」をもたらそうとします。

この「気づき」っていうのが、一種のパラダイムシフトなんですね。

うまーく導けば、「「耳」「肩」「股関節」「足首」がまっすぐ縦に並ぶ」のようなアプローチからでも、何かに気がつく可能性がないわけじゃない。
実際、そういうタイプのアプローチをとっているメソッドもあるようです。

でもそういう場合はたいてい、「「耳」「肩」「股関節」「足首」がまっすぐ縦に並ぶ」といった説明以外のところに、自分を見つめる意識を内側に転換させる秘密があるわけです。

野口体操ではこれを、「重さに貞く」という言葉を通じて伝えようとしています。

僕は、同じようなことを伝えたくて、「カラダの声をきく」というタイトルの本を書きました。

何がきっかけでパラダイムがひっくり返るか。
それも人それぞれなので、一概にはいえないのかもしれません。

でも、カクンと何かをひっくり返さないと、・・・いい姿勢になるのは難しいと思うんだなぁ。

姿勢に関する何かを伝えようと思ったら、そのへんがポイントなんじゃないかと思っています。