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免疫って何をやってるんだろう、と考えてみたら話は壮大なところへ

からだ

最近とんとご無沙汰しております。

 

いろいろとこまごま気付いたりしたことを、twitterFacebookで140Wにまとめて書きつけるのがすっかり習慣になったおかげで、こちらでがーっとまとめて書く機会がなかなかなくて。。

やっぱり、ぽろぽろと一言ずつ書く方が、敷居が低いんですよね。当たり前だけど。

 

まあでも、たまにはなにか書いておかないと・・・ってことで。

 

今日、ふっと考えていたのは、免疫という体のメカニズムの意味付けについて。

 

「免疫」って、一般には、体を害する敵と戦って身を守る体のメカニズムとしてとらえられています。

例えばwikiの「免疫」の項の書き出しはこんな感じ。

_________

 

免疫系(めんえきけい、immune system)は生体内で病原体やがん細胞を認識して殺滅することにより生体を病気から保護する多数の機構が集積した一大機構である。

_________

 

まあ確かに、現象の記述としてそのとおり、、と思いたくなるのだけれど・・

 

でも、この文章の中には、「現象の記述」を超えて、「現送の解釈(ないし意味付け)」も含まれているわけです。

 

「生体内で病原体やがん細胞を認識して殺滅する」
これは、現象の記述ととらえて、まあいいでしょう。
そういう現象が実際に起きることが、細胞レベルで観察されているわけだから。

「・・・ことにより生体を病気から保護する」
ここは、記述者による意味付けです。
上記の現象にはこういう意味があるのだろうと、記述者が解釈しているわけです。

この解釈がもっともらしいと裏付けるファクトをあげることは、もちろんできます。
たとえば免疫力が総合的に低下していると生体が病気になりやすい傾向がある、とか。
これは、免疫が病気を防ぐメカニズムとして稼働しているという解釈と良くマッチします。
だから、この解釈がもっともである(合理的である)ことは否定しません。

だけど、、そうじゃない解釈もあるよな~・・・って思ったわけです。

例えば、・・・

「認識されて殺滅される病原体やがん細胞」は、死んだあとどうなるかというと、外に捨てられるわけじゃありません。
マクロファージのようなお掃除細胞がやってきて、残骸をぱくぱく食べる。
「残骸」っていうのは、成分でいえば、たんぱく質や脂質、核酸といった生体素材です。
だから、捨てちゃあもったいない。

で、食べられた残骸は、いろいろな代謝経路を経たのちに、自分のからだを構成する部品として使われます。
体内でリサイクルされるわけですね。

だったら例えば、こんなふうに言ってみたらどうだろう。

「免疫系は生体内で病原体やがん細胞を認識して殺滅することにより、病原体やがん細胞を生体の一部として取り込む機構である」

「取り込む」というのは、比較的ニュートラルな言葉として選んでみたのだけれど。
ここを「リサイクルする」に置き換えると、ちょっと別の意味が付け加わる。

あるいはここを「同化する」とすると、またちょっとニュアンスが変わる。

で、そこで思い出すのが「新陳代謝」。

ここまで取り上げてきた免疫の流れ(何か取り除くべきやつがいる→殺す→死骸を貪食細胞が食べる→自分の体の一部になる)とほぼ同じ流れの現象が、体の中では日常的に起きている。
血球や肝臓、上皮細胞系などの増殖系細胞は、古くなった細胞を取り除く必要があるので、古いやつから計画的に死んでいく(アポトーシス)。それをマクロファージなどがぱくぱく食べて、素材はリサイクルされる。
そして死んだ細胞と同数が、新たに増殖して埋め合わされる。
ぱくぱく食べられる細胞の量は、1日200gぐらいだという。けっこう大きなステーキ1枚ぐらいってこと。

これが、いわゆる「新陳代謝」という活動。
これは全く病的な現象ではありませんし、非常事態の対応メカニズムでもない。日常的な体の営みそのもの。
むしろ、こんなふうに形あるものの形成と破壊が動的平衡状態で釣り合っていることを、生命現象の本質と呼んでもいいぐらいでしょう。
(さらっと福岡センセの言葉を使わせてもらいました・・・笑)

これと、さっきの免疫と、何が違うのか?

出発点の取り除くべき相手が「病原体」や「がん」といった、体にとっての「敵」である、という意味合いを強調すれば、免疫は「体を病気から守る機構」という意味付けで落ちつく。そういう見方が間違ってるというつもりもない。

でもさ、病原体が体に入ってくることも、がん細胞が体内で生まれることも、決して非日常的なことではない。むしろ、日々普通に起きていること。(まあ程度の差は波があるだろうけれど)
だとすれば、活動の意味付けとして、病原体やがん細胞相手の免疫と、古くなった細胞を除去する新陳代謝を同列に並べても、おかしくはない。
少なくともそういう見方だって成り立つことは、否定できないでしょう。

それに、古くなった増殖系細胞だっけ、もし取り除かれなければやがて体に害になる(例えばガン化する)可能性を秘めているわけで。
そう考えれば、「敵」と、「古くなった細胞」の違いも、程度の差でしかない。

逆にいうと、がん細胞は元々は自分の体の上皮細胞、つまり通常の新陳代謝サイクルの中で生まれては死ぬという流転をすべき細胞だったわけです。
それが、どうしたわけかそのサイクルから外れて、アポトーシスできない(死なない)やつに変身してしまった。

それを、アポトーシス以外の方法で死なせてぱくぱく食べて、もう一度もとの新陳代謝サイクル(生まれては死ぬという流転)にもどすのが免疫のしくみだと考えると・・
ここにおける「同化する」は、単なる材料の再利用以上の意味付けがあるわけです。
「死に切れなくなったやつ」を「死んでは生まれ変わるサイクル」の中に連れ戻す、という意味。
成仏させてあげる、みたいな感じか(笑)

で・・・ふたつの見方の違いは、依って立つ世界観ないし生命観のようなものの違いから派生していることは、理解いただけると思います。

「免疫=病気を防ぐ」論は、体を「健康」と「病気」に2分割する2元論。
もっと言い切ってしまうと、善悪二元論ってこと。
それに対して、「免疫=新陳代謝」論は、世界を流転する一続きの現象ととらえる。

ああ、、、ここまで書いて、去年自分が書いた長文のエントリー「体にいいこと何かやってる?」と同じ話だな要するに・・・と自分でもいま、思いました(笑)

読んでいない方は、ぜひこちらの記事も読んでみてください。
長文ですけど、力が入ってます。

で・・・だから何がいいたいのか、といいますと。

ようするに、人間はものごとを、見たいように見ている(見たいようにしか見ていない)ってことかな。