動けるカラダ、動けるアタマ

最近、ふと思ったこと。

 

自分は、物書きを仕事としている。

それも、身体・健康関連というきわめて限定的な分野で、取材・執筆をしている。

 

会社員だったころも、現実には医療・健康分野に限定という事情は一緒だったのだけれど、会社員という立場上、全然畑違いの雑誌(例えばビジネス誌とか、パソコン誌とか)にいきなり配置転換される可能性もゼロではなかった。

「ゼロではない」ということを、いつもどこかで意識しながら仕事をしていた。

 

別のいい方をすると、以前は、どんな分野でも通用する編集者ないし記者であろうとしていた(一応そういうことも念頭に置いていた)ということなのだろう。

つまり、「編集」とか、「雑誌作り」いった業務のプロであろうとしていた。

 

今はそれが、「身体」のプロであろうとする意識に変化している。

 

そしてその結果として、自分の身体に対する接し方というか、扱い方が、以前とは全く違っていることに、ふと気が付いた。

 

よく「カラダが資本」なんていう言い方をする。
特にガテン系の仕事をしている人にとっては、大事なこと。

体を使って仕事をする人、わかりやすいのは職人さんなどだけれど、そういう人にとって、からだがちゃんと動くかどうかというのは一大事だ。
例えば老化によって目が悪くなったり、指がうまく動かなくなったら、大工さんのような仕事を続けるのはきっと難しいだろう。

もっとわかりやすいのは、スポーツ選手。
走れないとか、機敏な動作ができないとか、そういう状況になったら、引退せざるを得ない。

だから、プロとしてちゃんと仕事をするためには、体を維持することがとても大事になる。
そもそも、体を維持すること自体が仕事、という感覚になるだろう。

ある競輪選手が語ったという有名な言葉。

「オレの仕事は練習。レースは集金だ」

競輪場でレースに出るのは最終的な集金活動で、自分の仕事は、1日何時間もペダルを踏んで勝てる体を作ること。
そういう意識が、「カラダが資本」の仕事において必要になる。

あるいは、音楽家もそうだ。
僕は音楽活動も多少やっているので、この人たちの感覚ならある程度わかる。
例えば、1時間の演奏会(ライブと呼んでもいいけど)を普通にこなす技術を維持しようと思ったら、1日1時間の練習では全然足りない。
少なくとも2時間、理想的には5~6時間ぐらい楽器に触っていろいろやってるぐらいじゃないと、そのレベルのスキルを保つのは難しい。

僕のようなレベルのギタリストでさえ、ライブ前にはかなり集中的に練習する。
・・いやまあ・・・できないこともあるけど。そんなときは当然、散々な結果になる。

だから本物のプロなら、まさに「仕事は練習」を地で行く生活をしているに違いない。

古武術研究家の甲野善紀さんのtweetを見ていたら、ふとこんな一言が目に留まった。

「動ける身体だけは作っておかねば」

そう、まさにこの感覚なんだよな。
「動けるカラダ」を準備しておくことが、何より大事。
それが「カラダが資本」という言葉の真意。

で・・・物書きとしての自分の意識も、最近、かなりこちら側に近づいている。

「カラダを作ること」が、自分の仕事の中心である、という感覚。

いや、体操や整体のプロを目指してるのかと言われると、そういうつもりではないのだけれど。
でも、一番大事な足場はそこにある、と思っている。
体の動きや変化を繊細に受けとめ、感じ取れる状態であること。
その足場がなければ、カラダについて語ることはできない。

理屈で言えば、いわゆる頭脳労働をする人たち(例えば雑誌編集者もそのひとつ)にとっても「カラダが資本」という事情は一緒のはず。

でも、頭脳労働の現場には、そういう感覚はほとんどない。
仕事といえば、実際にものを作るためにパソコンを操作したり、人と会って折衝するような業務を指す。
「カラダが資本」という言葉はせいぜい、「病気で倒れたり、体力が追いつかなかったりしたら仕事にならない」という文脈で語られるぐらい。

競輪選手や音楽家や武術家にとっての「動けるカラダの準備」に相当するものは、物書きや編集者や、それ以外の頭脳労働者にとっては、何なのだろう?

まあ、言葉としては、「動けるアタマを準備すること」っていう表現にでもなるのだろうけれど。
それって、どういう意味だと思います?

・・・自分はたまたま、物書きのテーマとして「身体」という題材に興味を持ち、それを中心に仕事するようになったので、「動けるカラダ」という言葉がそのまんま、物書きとしての準備にも当てはまるというラッキーな展開になった。
加えて、ギタリストとして活動している(つまり現実にカラダが資本な仕事の世界を垣間見ている)ことも、動けるカラダの重要性を理解する助けになっている。

でも、普通に会社に勤めたりしていると、そういうことに気が付くのはたぶん結構難しい。

だけど・・・そこが実感としてピンとこない人ばかり集まると、、東電みたいな会社になるのかもしれない。