読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知的活動もカラダが覚えている

昨日書き込んだ「技術はカラダで覚える」という話。

武術家じゃなくても、ちょっと職人肌の人ならみんな実感していることだと思う。

「教科書に書いてある通りに覚えたって、そんなの使えないよ。カラダで覚えなきゃ」って。

 

さらにいうと、手を動かす技術(大工とか料理とか)だけではなく、もうちょっと知的生産に属するタイプのお仕事、例えば僕がやっているような「雑誌の記事を書く」という分野でも、似たようなことはよくいわれる。

取材のやり方。文章の書き方。情報ソースの見つけ方などなど。

20年ぐらい前だけど、会社に入ったばかりのころ、「理屈じゃない、カラダで覚えろ」みたいな話を先輩からよくいわれた。

 

文章(記事)の書き方をカラダで覚えるっていうのは、言葉の意味としては少し変にも思える。

文章を考えるのは、肉体労働というよりは頭脳労働だ。

ここでいう「カラダで覚えろ」は、「アタマじゃなくてカラダで」ということを言外にいっているので、「文章を書く」というかなりアタマに特化した活動のやり方を「カラダで覚えろ」っていうのは、文字通り受けとめるとおかしな話に見える。

 

でも今の僕にとっては、この言葉はピンとくる。

僕だけじゃない。職業的に文章を書いている人なら(つまり「文章を書く職人」であれば)、「文章の書き方をカラダで覚える」とはどういうことをいっているのか、すぐピンとくると思う。

(初心者の指導方法としてそういうふうにいうことに賛成するかどうかは人それぞれかもしれないけどね)

 

脳科学の世界では、最近、ちょっと面白いことがわかってきている。

「カラダで覚える」と、「アタマでピンとくる」は、脳の働きでいうと非常に近いらしいのだ。

 

「カラダで覚える」という活動は、脳科学では「手続き記憶」といわれる。
「体の動かし方を覚える記憶」という意味だ。

例えばダンスの振り付けのような動作を覚えるとしよう。
最初は、「ここで右手を上げて、次に左足を出して」などと、動作をひとつずつ確認しながら動かすところから始まる。
この段階では、大脳皮質の運動野という場所が、体の動きをコントロールしている。
「まず右手、次は左足」と、大脳皮質がひとつひとつ確認しているのだ。
この時点では、手続き記憶はまだ完成していない(まだ記憶として定着していない)。

一通り流れを覚えたら、何度も練習する。
するとやがて、考えなくても動けるようになる。そうなれば、「カラダが覚えた」=手続き記憶完成だ。
この段階で、手続き記憶に関する情報は、「大脳基底核」という、大脳の中ではより原始的な脳に保存されるという。

この境地までいくと、動作自体はもうほとんど、無意識のうちに体が勝手に動くような状態。
するとダンサーは安心して、「表現」とか「情感を込める」といった方向に専念できる。
いちいち「えっと、右手、左足・・」と考えていたのでは、絶対にそんなところまで気が回らないはずだ。

ダンスだけではない。自転車の乗り方とか、テニスのスイングの仕方とか、楽器の演奏や包丁さばきといった、体の操作にかんして「カラダで覚えた」という境地までいったものは、大脳基底核が重要な働きをしているという。

で・・・、今年の初めころ、理化学研究所の脳研究チームが面白い発表をした。
将棋のプロ棋士が詰め将棋を解くときにも、「大脳基底核」が活発に働いているというのだ。

この研究では、何人ものプロ棋士に協力してもらって、詰め将棋をパッと見てパッと答える、そのときの脳活動を測定した。
「パッと見る」の時間は1秒間。そして4択の答えを提示して、2秒以内に答える。
合計でも3秒。素人はそれだけで「すごいね~」って思ってしまうけれど、プロ棋士にとってはまあ、このぐらいの時間でパッパッパッと答えていくのは、あくびしながらでもできるぐらいたやすいものらしい。

プロ棋士は、見た瞬間に直感的に答えがパッとわかる。
「ああなって、こうなって・・・」とひとつずつ考えるプロセスをすっ飛ばして、パッと答えが浮かぶのだそうだ。
そしてその「パッと浮かぶ」という直感作用において、大脳基底核が働く。

この研究では、比較の対象としてアマチュア高段者の脳活動も測定している。
アマチュアの人は、「えーと、最初に銀を打って、飛車でとられて、それから桂馬・・・」などと、ひとつひとつ考えるような思考をしているらしい。
なぜかというと、考えている間、大脳皮質ばかりが働いているから。
これはおそらく、1ステップずつ、論理的思考をしていることの表れ。

これに対して、直感的に答えが分かるプロは、大脳基底核が働いているのだ。

もちろんプロ棋士も、大事な実戦では、さすがに直感だけで手を決めることはない。持ち時間を使って、思いついた手を「本当にこれで大丈夫かな?」と、改めて手順を見直しながら、検討するという。
そのときは、アマと同じように大脳皮質が働く。
でも、この実験は合計3秒でどんどん答えてもらったので、直感の部分だけで回答することになったわけだ。

運動の手続き記憶と、プロ棋士の直感将棋。
やっていることの中身は全然違う。
でも、両者に共通の特徴があることも、なんとなくわかるような気がする。

共通点は、例えばこういうことだろう。
どちらも、無意識下で、ものすごい量の情報処理をやっている。
脳内の意識に上らないところが超高速運転をしていて、最後の答えに相当する部分だけをパッと意識に伝えてくる。
そして、その「無意識下の情報処理システム」は、本能的なものではない。
絶え間ない練習の結果として習得されたものだ。

そんな条件を満たす場合に、大脳基底核が働く。

そして、大脳基底核が働くときの感覚を言葉で言うなら、「カラダが覚えている」であり、「直感的にピンとくる」なのだ。

冒頭に書いた「記事の書き方」でいうと、こんな感じになる。
取材に向かうとき、書き手にはたいていの場合、「このインタビューは2ページです」といった情報が事前に伝えられている。
書き手はそれを念頭に置きながら、インタビューを始める。
で・・・設定したテーマに沿ってあーだこーだといろいろ話をするわけだけれど、ある程度話を聞いたところで「あ、これでもう2ページ書ける、大丈夫」っていう感覚が湧いてくるのだ。
これはとっても感覚的な判断で、「なぜ?」と切り返されると理論的な説明は難しいのだけれど、プロの書き手だったらみんな、こういう感覚を持っている。断言していい。

たぶんこのときも、大脳基底核が働いてるんだろう。

以前、ある現役のプロ野球投手(それもエースと言われるクラスの人)にインタビューしたとき。
彼は米国流のトレーニング法などにも精通していたのだけれど、自分では「日本式の投げ込みを重視している」といっていた。
「やっぱり、カラダに覚えさせないとだめなんだ」と。

で、そこで面白かったのは、こんな話。

「投げ方をカラダが覚えていれば、投げる方は体にまかせて、オレは勝負に専念できる。そうやって相手打者をよく観察していれば、リリースの瞬間に何のボールを待っているかピンとくることもある。そのときはとっさにコーズを変えたりする」

ここまでいくと、まるで「江夏の21球」を彷彿させるようなお話だけど・・・

こんなのが、大脳基底核がフル稼働になった状態なのだろう。