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紅白感想記、今回の注目はもちろん「トイレの神様」

ギター、音楽

自分の中では勝手に「毎年恒例」と位置づけられている、紅白歌合戦の感想記。

 

いや、実は例年以上に今回は、あまりきちんと見ていないのです。

ほかのチャンネルといったり来たりしながら、要所要所だけ聞いていました。ワンセグを駆使して曲をチェックしながら(笑)

 

そんなわけで、たぶん全体の1/3も聞いていないので、今回の感想記はもうパスしようかとも思ったんだけど、やっぱりなんか書いておきたい気がして、書き始めました。

 

書いておきたいと思った理由は、「トイレの神様」です。

 

いやぁ、この曲ははじめて聞いたときからすっごく気に入っていて、実はひそかにギターソロバージョンなんかも作ってしまったぐらいなんだけど(笑)、でもこの曲に関しては、歌詞がないとやっぱりほとんど意味がない。

なので、そのソロアレンジは事実上お蔵入り状態です。

でもときどき、、歌詞を思い浮かべながら弾いてみている。

 

(どんな曲?って思う人はもうそんなに多くないと思いますけど、もしいたらぜひこちらで聞いてみてください)

 

この曲、去年中ずーっとじわじわ売れていたはずだけれど、紅白に出たことでまた一段と知名度が上がって、いろんなチャートで軒並み1位になっているらしい。

 

自分の好きな歌が売れるのは、まあ、うれしいことです。

いや実際には、好みのアーティストに対して、「自分ぐらいしか知らないぜっ!」というマイナーな存在のままでいてほしいという勝手な願望を抱くこともあるのだけれど(笑)、この曲に関してはなぜだか素直に、多くの人に聞いてほしいという気持ちになります。


この歌の歌詞の中で、強烈に際立っている二つのキーワードがあります。

それは「トイレ」と「おばあちゃん」。

で・・・こうやって二つ並べてみて僕がパッと思うのは・・・この二つの言葉は両方とも、きわめて感覚直結的というか、理屈抜きに体で感じる情動的な存在だ、ということです。

「トイレ」が情動的なのは、説明するまでもないですね。
排泄(大にせよ小にせよ)の欲求というのは純然たる本能的な衝動ですし、何かの事情で溜めに溜めた排泄を果たしたときの、あのえもいわれぬ体を突き抜ける感覚は、そりゃあ至福の境地です(笑)そこには何の理屈も、説明もいらない。たぶん世界中の人が共有できる(もしかしたらあらゆる動物が共有できる)快感でしょう。

実はそうなるのには、れっきとした理由があります。
トイレに関わる臓器の代表格である「腸」は、人体の中でもっとも起源が古い臓器だからです。
その起源は、ざっと6億年ぐらいさかのぼることができます。原初の多細胞生物の中ではじめて誕生した、特殊化した機能を持つ器官は、腸なのです(いや、明確な証拠を残す化石はないはずなので、想像されているところでは、ということですけど)。

ということはつまり、腸にまつわる機能(=排泄)に伴って起きる衝動は、人間(というか、すべての動物)にとって、もっとも原始的、根源的といえるわけです。
「快感」という情動の起源は排泄だった、といってしまっても良いでしょう。(いや正確には知らんけど。でも、たぶんそんなに間違ってないはず)

トイレはそれに、「におい」という五感の中で最も原始的な感覚と直結する存在でもある。こっちはかならずしも快感とは言い難いのだけれど、いろいろな動物が自分のマーキングに排泄物のにおいを使うことから考えても、とっても存在感のある感覚であることは間違いない。

まあようするに、強烈に体で感じる存在だってことです。

さてもう一つは「おばあちゃん」。
こちらはトイレに比べたら、受け止め方に個人差があるでしょうね、たぶん。
どれぐらい親しいところにいたかは、人によって違うからね。
でも、ある程度以上親しい存在だったと仮定すれば、これは通常、親とはまた違う独特の存在感であることが多いと思います。

僕のイメージで言うと、おばあちゃんという存在は、「一番近いご先祖さま」。

親は、家族という感覚が強すぎて、ご先祖というイメージにはなりにくいですよね。
もちろん、おばあちゃんと一緒に生活していた人にとっては、おばあちゃんも家族の一員でしょう。
だけど、一代上に上がることで、そこに「自分が知らない昔の時代と、今の自分を繋ぐ人」というような意味合いが付加されてくる(というか、そういう意味合いを帯びた存在としてこちらが受けとめる)ような気がするんです。
昔話や、伝統的な料理などを聞いたりするから、というのももちろんその理由のひとつですが、それ以前に、存在自体の位置づけとして、「お墓」や「仏壇」と、「自分」の間を繋いでいる人、という感じが、しませんか?

そして、、、、多くの場合は、自分や自分の親より早く、自分がまだ比較的若いうちに、鬼籍に入ります。
そうなれば、本物のご先祖さま。

「ご先祖さま」のことを、亡くなった人という意味で考えれば、実体としての体はもう存在しないわけだから、先に挙げた「トイレ」のような直接的、身体的な存在とはかけ離れたものにも思えます。
でも、亡くなった人を含めて、無形のものを信じる(ないし感じる、ないし重んじる)ことができるのが、人間という生き物の精神のすごい能力なわけで。
亡くなった人以外ではどんな無形のものを信じているかというと・・・・神様とか、お化けとか(あ、これは亡くなった人のことか・・笑)。
もっと近代的なものもあります。貨幣や証券の価値とか、学歴とか、法律とか、国家とか、人権とか。あと、言葉という記号もそうですね。

こういう、無形であって価値視されているものの中で、ご先祖さま、とりわけ「おばあちゃん」という存在は、もっとも血が通う、情動的なものだと思いませんか?
特に、生きているときに親しい関係があったおばあちゃんなら、なおさらです。
(いやまあ人によっては「それは神様です」などとおっしゃるかもしれません。そういわれる人はもちろんそれでいいと思います。ただ、たぶんいまの日本人の中でそういう感覚の持ち主は、少なくとも多数派ではないでしょう)

ということは、まとめるとどうなるかというと・・・

有形の、実体のある存在のうちで、もっとも身体的にガツンとくるのが、トイレ(というか、正確には「排泄」でしょうけど)。
無形の、実体がない存在のうちで、もっとも情動的にガツンと来るのが、おばあちゃん。

この二つが組み合わさったんだから、そりゃあ多くの人の体と心に、ガツンと響かないわけがないのです。

・・・って、ここまで書いてしまってから思ったんだけど、これは全然、紅白の感想じゃないね。わたし流の曲の分析、考えるヒット(笑)

まあ・・・それじゃあ紅白に話を戻すと、この長大な曲が、イントロや間奏を縮める程度の変更で、歌詞は全くノーカットで歌われたのが、僕の中ではもっとも感動的な出来事でした。

なのになんで、白組勝利ということだったのか、全く解せない。
まあ、別に勝ち負けに関心があってこの番組をみているわけじゃないので、そこはどっちでもいいんだけどね。