だからやっぱりギブソンが好き

Gibsonの古いギターと、ラグタイム音楽、そしてももクロをこよなく愛するフリー物書き、キタムラのブログ

ナマケモノのスーパーボディ

先日、「人間の脚は第二の心臓」という話をネタに書き込みをした。

趣旨をざっくりレビューすると・・・

 

・人間の体は、人類という種が成立した頃の生活環境や暮らしぶり(つまり野生生活)を前提に、そのなかでうまくやっていけるように設計(適応)されている。たとえば当時の生活では生きていくために1日数万〜もしかすると10万歩ぐらいは歩くのが普通だったので、歩くときの筋肉の動きを血流の動力源として利用するしくみを身に付けた。

 

というもの。

 

血液の巡りというのは動物が生きていくうえできわめて大事なものであり、それを「歩くときの筋肉運動」などという不確かなものに任せてしまって大丈夫か?と現代人の感覚では思ってしまうけれど、当時の人類にとってはそのくらい歩くことは、太陽が24時間周期で昇ってくるのと大差ないぐらい当たり前の、ごく当然な、信頼できることだったのだろう。

 

だからこそ、体内時計が24時間周期の補正を、日の出のサイクルに全幅の信頼を置いてそこに依存したように、血液循環は歩くときの筋肉運動に全幅の信頼を置いてそこに依存したわけでしょう。

 

・・・・という話を考えたところで、ふと、思いついたことがあった。

 

それは、ナマケモノの体液循環。

 

ナマケモノって、怠け者のことじゃないですよ。
そうじゃなくて、あの、動きのとろい動物。
ナマケモノなどというひどい名前を付けられてしまった獣です。

人間の物差しでみたら、彼らは確かにほとんど動かないし、動作もとろいし、なまけているように見えるかもしれない。
でも、かれらも生存競争にさらされた野生動物である以上、あの暮らしぶりは彼らの生存戦略であり、それが少なくともある程度成功しているから彼らは現在も生き残っているわけです。
だとすれば彼らの身体は、あの生活スタイルに適したものになっているはずであり、少なくとも人間のように、脚の筋肉のポンプ作用を「第2の心臓」として利用するような構造にはなっていないはずだ、とそんなふうに思ったわけ。

じゃあ、いったいどんなしくみになってるのだろう??

まあ、こんなささいな疑問を抱いたときは、現代のネット社会は実に便利。
ぐぐぐっとググってみるだけで、わずか数秒で何かしらの情報が出てきます。
もちろん情報の信憑性の判断は、自分でやらないといけないけどね。。

で・・・出てきたものを少し眺めてみて・・・こりゃあ驚いた!!

ナマケモノは、ほ乳類のくせに、変温動物らしい!!!

つまり、体の中で熱を発生させて体温を維持するという、ほ乳類や鳥類が(もしかしたらかつての恐竜も)採用している身体維持システムを、彼らは進化の途中で放棄したんです。
へ~~こりゃあびっくりだ。しらなかったなぁ。

「放棄した」というのは・・・ほ乳類の原形になった生き物(数千万年前のネズミみたいなヤツだったらしい)は、かなり早い段階で熱を作る能力を身に付けたと考えられているから。
だから、ナマケモノの祖先も、どこかの段階まではきっと、恒温動物だったはず。
それが、ああいう動かない生活スタイルに適応するとともに、発熱機能を捨て去った。

捨てることで何を得したのかというと・・・

摂取エネルギーがぐんと減ったわけですね。命を維持するのに必要な最低限の食料の量が、かなり少なくてすむようになったはずです。
その代わり、す早く動けなくなった。当然ですね。
なんでも体重に占める筋肉量の割合も、動物としては驚くほど低いレベルになったらしい。
筋肉というのは、運動器(動くための器官)であると同時に、ほ乳類にとっては発熱器官でもあるわけで。

想像するに、「食べなくても生きていけるようになる」というのが、環境から突きつけられた要請だったのかな。

まあいずれにしても、夜になって太陽が沈むと体温がキューっと下がって動けなくなるような体を、わざわざ手に入れたわけです。

で・・・血液循環の話は、さくっとネットで検索した程度ではよくわからなかったのだけれど、体温維持を捨て、筋肉量を捨てたのであれば、それにともなって循環を良くすることの重要度が、恒温動物より低くなったのであろう、という想像はできます。
そうであれば、あんなとろい筋肉運動でも十分なのかもしれない。

あれを「ナマケモノ」などと名付けた人は、思慮の浅さを恥じるべきでしょう(笑)
彼らはなまけているのではないです。あの暮らしぶりでもきちんと生きていけるような、超個性的なスーパーボディの持ち主なのです。