暗闇体験(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)と、失敗したくないココロの不思議な関係
ダイアログ・イン・ザ・ダークをご存知だろうか。
自分の手のひらも見えないほどの完璧な暗闇の中に設置されたコースへ、白い杖を持って少人数グループで入り、コース内のいろんな仕掛けを、視覚以外の感覚(聴覚、嗅覚、触覚など)を頼りに進んでいく体験型エンターテインメントだ。
発祥はドイツで、日本初開催は1999年。
当初は期間限定イベントだったが、今は東京・外苑前に常設会場ができた。
コースを案内するのは、アテンドと呼ばれる視覚障害者。
彼らは普段から視覚を使わずに生活しているので、真っ暗闇の中でも、普段となんら変わらずに動き回ることができる。
いわば、暗闇のエキスパート。
・・・と、説明的にいえばこんな感じになるのだけれど、この体験をすることで、自分の中にどんな経験や変化が沸き起こるかは、実際に体験してみなければわからないと思う。
想像がまったくおよばないぐらい、日常のあり方とはかけ離れた状況に遭遇するという意味だ。
僕はこのイベントを、これまでに3回経験している。
最初は2006年。まだ常設化される前のことだ。
その時の感想が、旧ブログに残っていた。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク | カラダの語り部、ときどきギタリスト
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フリーランス物書きの働きぶり
フリーランスの物書きとして働く僕には、オフィスというものがない。
同業者には事務所を持っている人もいるが、僕は、あまり興味がない。
まあ、書庫的なスペースと考えれば、あると便利だろうなって思うこともあるけれど、仕事場としての事務所は、いまの自分には、不要な気がしている。
なぜ興味がないかというと、、、たぶん、「いつも同じ場所で執筆する」っていうのが嫌なんだと思う。
パソコンひとつあれば、あとは気分次第でどこでも仕事(執筆)できるのが、この商売のいいところ。
それをわざわざ、一か所の拠点に固定したくない。
確定申告の書類などでは、自宅が職場ってことになっている。
もちろんそれはそれで当たっている。自宅にはかなり大きな書棚とデスクトップパソコンがあり、そこで執筆や作業をすることも多い。
特に、デザイン入稿的な、大テーブルと大ディスプレーが欲しい業務は、なかなか外ではやりにくい。
でも、、、連日ずーっと同じ席にすわっていると、だんだん自分の中の何かが枯れてくる。
だから、枯れきってしまう前に、ラップトップをリュックに入れて外に出る。
まあ、今風の言葉で言えば、ノマドワーカー。
いまの自宅は品川駅のそば。
とても便利なこの界隈だけど、ネットカフェや長時間居座れるチェーン系カフェは、意外と少ない。
だからたいてい、五反田界隈までぶらぶら歩いていく。駅まで20分弱ぐらいかな。
もしくはバスに乗って、目黒界隈に行く。
この2エリアはどちらも、ネットカフェ、チェーンカフェともにかなり充実しているので、たいていこのどちらかに出向くことになる。
だいたい2〜3時間おきに場所を変える。昼過ぎに家を出たとして、夕方までなら2カ所。深夜まで粘るなら3カ所ぐらいはしごする感じ。
五反田辺りは、カフェがいい感じに点在している。1カ所で2時間ぐらい執筆して、そろそろ頭が飽和してきたと思ったら外に出る。そして5分ぐらい歩いて少しほぐれてきた頃に、ちょうど次のカフェに着く。
もっと頭が飽和した時には、目黒〜五反田間ぐらいを歩く。
今日はそんな感じだった。バスで目黒に行って、五反田まで歩いて、そのあとは歩いて自宅に帰ってきた。
まあつまり・・・それだけ執筆が飽和してたってことですが・・(苦笑)
なかなかスイッチが入らない時は、新しい環境を求めていろいろさまよい歩くことも多い。
いつもの五反田方面ではなくて、反対に向かって歩いてみたり。
逆向きの電車に乗ってみることもある。それで、過去にあまり降りたことがない駅で降りてみる。
(そういえば、そんな感じのテレビ深夜番組があったな。出勤するサラリーマンを「逆向きの電車に乗ってみませんか」ってそそのかすやつ。あれはオフィスがあるサラリーマンだから夢のある話なのであって、僕にとっては日常だ)
それで、新たな居座り場所を見つけることもある。
でも、単に時間の浪費だけに終わることもある。
でもそれはそれ、スイッチを入れるための段取りみたいなものだ。
物を書くという仕事は、工場で製品を作るようにはなかなかいかない。
時間を投下すればそれだけプロダクトが生産できる、というタイプの業務ではないのだ。
もちろん、自分の中ではそんなふうに計算しているところもある。「あの記事なら◯時間で書き上がるだろう」とか。
でも実際は、計算通りにならないこともかなり多い。
だから、仕事をする上で、自分の最大の関心事は、「どんな環境を準備すれば、自分の中のスイッチが入りやすいだろうか」という一点に、ほぼ常に集約される。
スイッチさえ入れば、どんな大変な仕事でも、たいていはなんとかなるものだ。
そのためには、オフィスより大事なことがあるようだ。
そういえば会社員時代は我慢ばかりしていた
僕が会社を辞めたのは、2009年。あれからもう6年になる。
フリーランスとしての暮らしも、すっかり身についた、と思う。
ときおり、取材や打ち合わせが朝になったとき、ラッシュアワーの電車に乗り合わせると、以前の生活を思い出す。
あー自分もこういう暮らしを毎日やってたなぁ、なんて思う。
「ラッシュアワーの通勤」っていうのは、会社員時代の象徴的な姿。いまの僕にはそう思える。
つらいことを「我慢する姿」だ。
そんなふうに思ってしまうほど、会社員だったときの自分は、いろんなことを我慢していた。
新入社員のころ、とある会社の先輩が、「サラリーマンの給料は、我慢料」って言ってたけど、本当にそうだと思う。
いや、当時の僕はそれを我慢だとは思っていなかったんだな。
あのころはたぶん、「努力」だと思っていた。あるいは、きちんとした大人ならみんなこなすべき「義務」みたいな感じ。
でも、今になって思い返せば、あれは全部、我慢。しんどい状況をがんばってふんばってひたすら耐える行為。
我慢することでパフォーマンスが向上するのであれば、我慢にも意味がある、といえる。
だが、何をするにしても、良いパフォーマンスのために必要なのは、歯をくいしばることではない。むしろ緊張を除き、心身を快適なリラックス状態に置くことが、とても重要。
当時はいつも力んでいたから、それが自分の平常状態だと思って、力んでいることに気づかなかったのだろう。
「我慢」という態度は、表立った反発や抵抗はしないで耐えることを意味する。
でも、力んで緊張した体では、ものごとを本当の意味でやり過ごすことができない。
形の上では何も抵抗していないように見えるが、実は、対峙してくるものに対して身を固め、ガツンガツンとぶつかっている。
ぶつかるだけでは、何も変化しないし、何も生み出さない。でも、内面ではものすごく消耗する。ストレスや不満もたまる。機嫌が悪くなる。当然、体調も悪くなる。
「クリエイティブ」という状態とは、真逆だ。
なんであんなに我慢ばっかりしてたんだろう?
まあ、組織の問題と、自分の問題、両方あったのだろう。
組織の問題というのは、マネージメントの方向性のことだ。組織構成員の力を引き出し、開花させようとするのか、それとも抑圧して管理・支配しようとするのか。
会社員時代、僕が出会った個別の上司の中には、前者的な考え方を持っている人もたくさんいた。これは本当にラッキーなことだったと思う。
にも関わらず、組織全体の空気はなぜか、抑圧的なものにしか思えなかった。
ただ、そういう組織の問題も、自分の振る舞い次第で緩和させる道があったはずなのである。
そう考えれば、基本的にはすべて、自分の問題だ。
組織の中での身の処し方として、何かしらの圧迫感を感じたとき、「ガードを固めて頑なになる」というやり方しか知らなかった、自分の問題。
もっといえば、自分がそういう振る舞いしかできなかったから、組織の空気が抑圧的なものにしか感じられなかったのかもしれない。
ラッシュアワーの中で、身を固めて、肩肘を張って、足を踏ん張って、周りからの圧力に抵抗する、そんな姿に似ている。
「満員電車でも、体の力を抜いて、揺れに身を任せて、天上の心地よい空気と繋がってるようなイメージでゆったり呼吸していれば、いくらでもリラックスできるよ」。
あるヨガの先生が以前、こんなふうにおっしゃっていたけれど。
そういうことが本当にできるって気づいたのは、会社を辞めてずっと時間がたった、ごく最近のことだ。
だから今もし組織の中に戻ったら、以前よりはまともな振る舞い方ができるのかも、って思うこともある。
まあ、戻りたいとは思わないけどね(笑)
テレビ出演、無事終了(現場の記録)
今朝のBSジャパン、「日経モーニングプラス」出演、無事に終わりました。
朝5時台に、自宅へタクシーのお迎えが来る。早朝で道はガラガラなので、大手町のスタジオへは20分もかからなかった。
ディレクターさんに挨拶したり、キャスターの榎戸教子さんと軽く打ち合わせたり。
榎戸さんは勘のいい人で、台本(と名付けられたテキストが一応準備されている)はさらっと眺める程度。あとはちょこちょこっと話している中から、「あ、その辺り、本番でもう少し突っ込んでもいいですか?」なんて感じで、面白そうなポイントを絞っていく。
まあジャーナリストなら、みんなやることではある。「取材」の中で、メッセージを際立たせるネタをパッと見極めて、ストーリーの中に散りばめていくという手法。
でも、それを「生放送」という状況でやるのが、物書き稼業の自分と違うところだな。
6時半頃、番組スタート。本編は経済ニュースなので、控え室でぼーっとテレビ画面を眺めて過ごす。途中、メイクさんがやってきて顔に何か塗ってくれた。
7時過ぎにスタジオ袖へ移動。マイクをつけたりする。
CMの1分30秒の間に着席。
テレビスタジオのコメンテーター席なんて初めて座るので、とりあえず周りをいろいろ見渡したり、椅子を調節したりして、空気感の中に自分をなじませる。
始まってしまうと、もうノンストップだ。
しゃべっているうちにふと思いついたことがあるけどそっちに進んで大丈夫?とか、そういう場面でも、先を見通してじっくり考える暇はない。
えいやっと、とにかくどっちかを選んで進む。
普段、ものを書く時は、あんまりそういうタイプの行動選択をしないので、いい頭の体操になったに違いない(笑)
「突っ込みます」と予告されていたあたりも、まあそれなりにうまいこと言葉が流れていった。
終盤。「あと40秒」と書いたカンペが見えた。
40秒ってどのくらいのものがいえるんだろう?
もはや長時間でないのは確かだけど、たぶん素人がイメージする時間感覚よりは長いはずだ、と思って、「よし、もうひとネタ行ってみよう!」みたいな話を持ち出してみる。
あとは、榎戸さんがうまいことさばいてくれた。プロだ。
というわけで、無事終了。おつかれさまでした。
帰ってきてビデオを見たら、挙動(特に頭の動き)がちょっとせわしなくきょときょとしてる感じで、少し笑えた。
「あーやっぱ緊張してるわ」って思った。
でもまあ全体としては、前半の経済ニュースと対照的な楽しい雰囲気で、よかったんじゃないかな。
ときとして、話の中身より、「この人おもろいわ」みたいな要素の方がよっぽど伝わるのが、テレビというメディアの特徴だろう。
まあ、文字にもそういう部分はあるけど、テレビの方がそういう性質は圧倒的に強い。
そういうところに自分のカラダをさらしてみるという意味でも、面白い体験でした。
今後もときどき出演する、、ことになりそうです。
【テレビ出演のお知らせ】
来週月曜朝のBSジャパンの情報番組に、健康系コメンテーターとして出演します。
「日経モーニングプラス」 BS ジャパン
6月1日(月) 6時39分〜
http://www.bs-j.co.jp/mplus/
僕の出番は7時半頃から。
「耳の加齢」について話す予定です。
同じ曲の聞こえ方が短期間で全く違ってしまったのはなぜ?
お久しぶりです。。
今日は、ここ2日ほどで僕が経験した、「音楽」と「解釈(先入観)」に関するお話をシェアしたいと思います。
back numberという日本のバンドが今年の初めにリリースした「ヒロイン」という曲をご存知でしょうか。
JRのCMに使われたらしいので、耳にしたことがある人もけっこう多いかも。
僕は2日ほど前まで、この曲を全く知りませんでした。back numberというバンドも知らなければ、CMも見たことがない。
もしあなたが、僕と同様にこの曲をぜんぜん知らないのであれば、ラッキーです。
僕がこれからここに書くことを、ある程度実感を持って追体験できる可能性があります。
「ああ、知ってるよ、あの曲でしょ」って思い浮かぶ人は、、、、、まあ、それはそれとして読んでみて。面白いと思えるかはわかんないけど(笑)
2日ほど前、僕はこの曲をyoutubeで初めて聴きました。
ただし、back numberのオリジナル演奏ではなく、Goosehouseというユニットがカバーした演奏を、聴いたのです。
Goosehouseは現在7人編成のグループ。ネット動画を活用した活動が人気で、そこではカバー演奏を多数、発表しています。
グループ内の数人で自在にユニットを組んで演奏するスタイルも特徴的。
で、、この曲は、女性4人で演奏しています。
ヒロイン/back number(Cover) - YouTube
さて、この曲を知らなかったあなたは、この演奏を聴いてどう思ったでしょう?
続きを読む文章の書き方「わかりやすい」と「おもしろい」の狭間
長年、文章を書くことを仕事にしていると、ときに自分が書いたものに関する感想を伝えられることがある。
肯定的なものもあれば、否定的なものもある。
否定的なもの(まあ、批判ですね)は、反省材料として自分の胸のうちに入れておくとして、、、
僕の場合、肯定的な反応としては、なぜかいつも、ほぼ同じ言葉を言われるのである。
「わかりやすいですね」
・・・・個人的な願望を言わせてもらうと、実は僕は内心、「わかりやすい」以上に、「おもしろい」ものを書きたいと思っていたりする。
だけど、「いやぁおもしろかった〜」というタイプの反応を耳にすることは、まず、ない。
そういうスタイルの文章は、仕事として僕に発注される時点で、そもそも期待されていないのかもしれない。
まあ確かに、人にはそれぞれ得手不得手というものがある。
続きを読む脳は都合よく記憶を書き換える、、を実感できたお話
年をとると物忘れしやすくなるとは思っていたけれど、あんなに見事に記憶が消えていた経験は、初めてだ。
先日、リビングで掃除機をかけていたところ。
かみさんがいつも座っている椅子の足下あたりで、ふと目が止まった。
その椅子には、彼女が夏の間ずっと愛用していた、エアレーション機能付きのマットが
置きっぱなしになっている。
ファンを回して座面や背中から空気を送り、涼しい座り心地にする、というしくみだ。
電力で動く装置だから、当然、電源を取る必要がある。こいつはUSBケーブルでつなぐ方式。
だから、ケーブルの先端には、USBのジャックが付いている。
・・・はずなのだが、床に垂れたケーブルの先に、ジャック部分がない。
ケーブルの末端は、まるでただの紐のようだ。あるべきコネクター部がなくて、そこでブチっと終わっている。
よく見ると、中の導線の断面が露出して見える。
どうやら、何かの拍子にシャック部がちぎれたらしい。
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